第28話

 カフェテリアに残されたぼくらは、ひとまず、送られてきた楽曲を聞いてみることにした。


 カナトのスマホに送られてきたので、音声データは彼のチャットに送られてくる。相手は『不潔感』だ。LINE上では『ヤニネコ』という名だった。


「やにねこ」


 声に出して言ってみた。ただなんとなく、どんな響きになるのだろう、と思っただけなのだが、


「なんだそれ、バカにしてるみたいな」


 カナトに指摘されて、バカにしていたのだと気付いた。


「まあ分かる。なんか、アーティストかぶれみたいな」


 笑いながら言うのはケンジだ。手元のキャラメルマキアートは、とっくに空になっている。ぼくのコーヒーも、同じだった。


 さて、肝心なのは、『ヤニネコ』の楽曲である。

 音声ファイルを再生すると、軽やかなギターの音が聞こえてきた。それっぽい、とは思ったが、それっぽいだけだ。


「あーでもいい感じだな」


 ケンジが言った。


「まだギターだけだよ」


 鋭く指摘してやった。


 やがて、鼻に掛かった男の声が、歌い出す。声の主が、『ヤニネコ』なのだろうか。下手ではないと思ったが、嫌な歌声だと思った。


「上手いな」


 カナトが言った。

 指摘は思い浮かばなかった。


 曲自体は3分弱の短さで、割かしすぐに聞き終わる。

 ぼくらは「意外にいい感じだ」とか「そうでもない」とか「思ってたより好きだぜ」とか「すごい嫌い、こういうの」とか、好きに感想を言い合った。


 とはいえ目的は、歌を聴いて感想を言い合うことではない。PV撮影をして、とにかくバズることが、目的なのだ。

 言い方を変えること、この曲を聞いてインスピレーションを得なければならない。なにせ、ぼくらのセンスに任されてしまったのだから。


「もう1回聴くか」


 カナトが最初から再生し直した。真剣な目で耳を傾ける彼を見ていると、何だか馬鹿らしくなってくる。


「なんか、大学生ってこんなもんだよな」


 不意に、口が開いていた。頭の中の、本心ではない本心みたいな軽蔑が、具体的な言葉になってしまった、そんな感覚だった。

 顔を上げると、カナトがこちらを見ている。顔中に、嫌悪感が浮かんでいた。


「何がだよ」

「曲が」


 慌てて穏やかな笑みを浮かべながら、短く答える。

 ぼくだって別に、カナトを嘲笑うつもりはない。気に食わないのは、軽音部の連中であって、彼らの頼みに必死になることが悪いことだとは思わない。


「あのさ、夏川」


 カナトが言った。少しの間があったので、「なに」と言いかけたが、棘のある反撃になりそうだったので、止めた。

 あるいは、静かな迫力に圧されて、言えなかった。


「もう止めようぜ。そういうの」


 そういうのって、どういうのだよ。

 言い返したかった。しかし言葉にならない。言い返してはいけない、と直感で分かっているのかもしれない。もしくは、言い返せない。


 ぼくが反論しないでいる間、カナトはじっとこちらを見ていた。睨んではいないし、宥めてもいない。目の中に浮かんでいるのは、強いて言うなら、失望だ。

 ケンジも何も言わなかった。楽曲を流すスマホに目を落としたまま、ジッと黙り込んでいた。


 静かな空間の中で、『ヤニネコ』の歌だけが流れ続けていた。

 ぼくの大嫌いな声で、君とどうこう、夜がどうこう、WowWow歌っていた。


「夏川、今まで何をしてたんだよ」

「何が?」

「俺が動画編集して、滝田は色んな動画提案したり映ったりして、お前は何をしたんだよ」

「なにってTwitterもインスタも、動かしてるのはぼくだよ」

「動かしてる。滝田だって、やってる」

「でもぼくが一番動かしてる。そもそも、『ビッグムーヴィー』なんてダサい名前にするから、ぼくがやってるんだぞ」

「じゃあ新しい名前を考えてみろよ!」


 カナトが声を荒げた。ようやく感情の起伏らしいものを見られて、ホッとする思いも、どこかにあった。


「新しい名前なんて、コロコロ変えるもんじゃ……」

「そういうことは言ってないって、分からない?」

「じゃあ何が言いたいんだよ」

「お前は口先ばっかりで、何もしてないくせに、偉そうなんだよ、っていうことが言いたい」


 何もしてなくない、と言おうとして、気付いた。ぼくは、何もしていないかもしれない。

 じゃあお前は何を、とも言えない。カナトは、動画を作っている。真面目に。


 何か反論したくて、頭に浮かぶのは、リオの顔ばっかりだった。

 こういうときに、彼女が浮かぶことを、情けなく思った。リオはぼくのステータスなんかじゃない。


「もういいよ」


 口を開くのは、ケンジだった。


「もういって、何が」


 カナトが噛みつくように言う。


「どうせ喧嘩するなら、殴り合ってみろよ。でも、そんなのやらないだろ? だったら、もういい」

「何言ってんだ、お前」

「カナトはさ、何かPVのいいアイデア浮かんだわけ?」

「まだ」

「じゃあ、そっちやろうぜ。つまんない言い合いは、後回し」


 つまんない、という言葉が引っ掛かった。だけど何も言えなかった。


「リオは、どうする?」

「どうするって、何を?」

「このままいたって、暇なだけだろ」


 少し考えてから、首を縦に振った。


「だったら、新聞部行ってこようぜ。サキノが、誰か来てって」

「分かったよ」


 同意して、一歩動こうとした。だけどケンジが引き留めて、


「もうじき、カホが来るから。そしたら行こうぜ」


 そうしてカホが来るまでの数十分、ぼくらは何も言わずに『ヤニネコ』の曲を聴き続けた。


「いけそうか?」


 ケンジが訊ねた。


「いけると思う」


 カナトが答えた。


 いけるな、とぼくは祈った。軽音部も、カナトも、大失敗しれくれれば、多少は心が晴れやかになる。

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