第24話

「私も動画サークル入ろっかな」


 出し抜けにリオが言った。鰯雲の高い夕暮れ時の、ららぽーとでのことだった。

 海に面した屋外テラスの、軋むウッドデッキを歩いている。


「どうして急に?」


 訊ねながら、必死になって平静を装った。

 頼むから止めてほしい。リオに見せられないことが、ぼくにもぼく以外にも、山ほどある。


「辞めちゃったんだよね、他のサークル」

「あ、ああ。なんか色々入ってたよね、そういえば」


 大昔――正確には長いか短いか分からない4カ月前――に、リオは「色々入っている」と言っていた。たしか、フットサルだとかテニスだとか、それから軽音部。


「なんかね、リオくんと付き合ってから、どうでもよくなっちゃったの」

「ぼくのせいってこと?」

「そうかもー」


 リオは軽やかに笑った。相変わらず、嫌味のない爽やかな笑い方だ。


「なんかね、フットサルとかテニスとか、運動系はダメだったの。楽しいんだけど、あんまり空気が合わなかった感じ」

「そうなんだ」

「他にも、ボランティアとか英会話とかもやってみたんだけど、ちょっと面倒くさかった」

「面倒くさかったかー」


 復唱しながら、ざっくばらんなリオの物言いに苦笑した。

 ボランティア活動を捕まえて、「面倒くさい」。ぼくは痛快に思った。


「それで、合わないとか面倒くさいとか言って辞めてたら、気付けば何も残ってないのね」

「でも、動画サークルはいいのかな。合わないかもとか、面倒くさいとか、そういうのが、あるかもしれない」

「あのね」


 リオが言った。

 あのね、が妙に耳に残った。声色が変わったからだ。歩調を緩めて、顔を横に向ける。リオもこちらを見ている。2人で立ち止まる。リオと目を合わせたまま、彼女の瞳の奥へ徐々に吸い込まれていく。

 さざ波の音が小さく聞こえる。遠くで海鳥の鳴き声がする。ららぽーとから出てくる客が賑やかに会話している。

 リオが次の言葉を紡ぐまでの、数秒間。周囲の音が、まるで音質の良いイヤホンをみたいに、心地よく聴こえてくる。


「他のサークルが面倒くさいのって、私が色んな人に誘われるからなのね」


 誘われる、と聞いて心臓が飛び跳ねた。遅れて、動揺がリアクションを止めているのに気付いた。しきりに頷く。


「その度に私、断わってるの。『彼氏がいるからいいです』って、言うのね。でもそれでもしつこい人がいるから、それでサークルとか行きたくなかったの」

「そうだったんだ」

「でも、動画サークルなら、リオくんがいるでしょ? だからね、私も安心できると思うの」

「たしかに、誰かが言い寄ることもないし、ぼくが守れる」

「リオくんが守ってくれる」


 それなら、と言いかけて、風が吹いた。冷たい海風だった。


「さむーい!」


 リオが身を縮こませたので、咄嗟に両手で身を覆った。カーディガンの上からでも分かる、柔らかい肌。身体の芯かた香る、ふんわりとした匂い。リオがここにいる。


「あ、あともう1つあるの」

「サークルを辞めた理由?」

「いっぱいデートしたいから、全然サークルに行かなかったの」

「そういうことか」


 リオから離れながら、ぼくの左手をリオの右手へ滑らせる。指を絡ませて握る。


「動画サークルなら、いっぱいデートもできるよね」

「そうだね。サークルが、デートになる」


 それが良いことかどうかは別として、少なくとも、ぼくらは楽しいだろうと思った。

 楽しいと思ったが、不都合も多い。


「とりあえず、ケンジに話してみるよ。でも、いま結構忙しいから、ちょっともたつくかも」

「ありがとう。大丈夫だよ」


 上手い具合にお茶を濁して、話を切り上げた。これ以上、この話はしたくなかった。


 海風から逃れるように、ショッピングモール内に入る。

 有明のときとは違って、今回は目的があった。何か派手めな、アクセサリーが欲しい。例えば、ネックレスとか、サングラスとか、チェーンとか、そういうのだ。


「アクセサリーって、どこに売ってるのかな」

「うーん……メンズは分からない。アクセサリーショップ行けば、ユニセックスとかあるかも」

「どういうのがいいかな、アクセサリーは」

「それは、リオくんが着けたいものを着けてよ」


 ぼくらはアパレルショップを見て回って、アクセサリーをいくつか買った。

 レンズが赤いサングラス、ゴールドのチェーンネックレス、シルバーのバンクル、リングをカラフルにいくつか。


 通路のベンチで、早速着けて見せる。

 サングラスを掛けて、ネックレスとバンクルを通して、リングをはめていく。動作を遂行していくごとに、気分がメラメラと高まっていった。自然と笑みが零れる。


「どうかな?」


 リオはニコニコと笑っていた。


 軽くでいい、とリオが言うので、夕食はドーナツで済ませた。

 20時過ぎ。ぼくらは夜の海岸を歩いた。1歩進むごとにウッドデッキが軋むので、床が陥没したらどうすればいいか、といらぬ心配をした。


「明日は3限からだー」


 ふんわりとした口調でリオが言う。


「いいね、朝早くなくて」


 足元を見ながら、答えた。


「明日は早いんだっけ?」

「2限だよ」

「まあ1限じゃないだけいいじゃん」

「もうさ、秋になったら、2限でも早いって思っちゃうよ」


 冗談めかして言うと、リオはウフフと控えめに笑った。何てことない話をしながら、並んで歩くだけで楽しいから、ぼくはリオが好きなんだと思う。


 チェーンのネックレスが首に擦れて、金属特有の冷たさを伝えた。痛みや痒みはないけど、違和感はしばらく消えなさそうだ。

 我慢しようと思う。これを我慢することが、リオの隣に居続けるための、試練なのだ。


「リオって、どらまはあんまり観ないんだっけ」

「うーん、全然観ない。なんで?」

「なんかさ、色々あって芸能人と会ったんだけど」

「え、うそ! だれ!?」

「多分――」


 多分知らない人だよ、と言おうとしたと同時に、数メートル先に見知った人影があるのを見つけた。

 柵に置いた両腕に顎を乗せて、ぼんやりと海を眺めている、ひとりの女。街灯の下で黄昏ているので、まるでスポットライトに当たっているみたいだ。暖色の明かりに照らされる睫毛が、くっきりとした一重瞼を覆うように垂れている。


 彼女を指差して、


「あの人」

「あそこの、ライトの下の人?」

「そう。宮本アスカ」

「うーん……」


 知らない、という代わりに、リオは首を傾げた。


「まあ、まだまだ無名だよね」


 声を潜めて言う。


「だけどあの人、実はね」


 深夜ドラマの主演を、とまでは言えなかった。

 スキャンダルを漏らすのに躊躇ったから、ではない。初老の男がやって来て、宮本アスカに声を掛けたからだ。


 おや、とその場に立ち止まる。手を引かれたリオが怪訝そうに振り向く。


「どうしたの?」

「誰だろう、あれ」

「テレビ局の人とか、事務所の人とか、じゃないの?」

「まあ、そうだよね」


 リオが手を引くので、気を取り直して再び歩き出す。

 宮本アスカが、どこで誰と会っているかなんて、はっきり言ってどうでもいいことだ。仕事の打ち合わせだろうと、歳の差カップルデートだろうと、パパ活であろうと、枕営業であろうと。


 気付いていないフリをして、宮本アスカの脇を通り過ぎた。彼女の視線が、ぼくをジッと捉えている気がした。

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