第22話

 バズったぜ、とケンジが言った。月曜日の18時、『いおり』でのことだった。


「見たよ」


 カナトが言った。


「チャンネルの登録者数もTwitterのフォロワーも増えてる」

「どのくらい?」


 ぼくは見ていない。だから反響の程度も知らない。


「2倍以上。登録者数は2000人超えて、フォロワーは5000人くらい」

「へえ、悪くないじゃん」


 心の底から驚いてしまったので、感心を悟られないように、わざと冷静な声を出す。


「すげえよな『乱視ゼロコンマ』」


 グラスをテーブルに叩き付けながら、ケンジが言う。彼はシャンディガフを飲んでいた。相変わらず生ビールは飲めない。


「まあ曲が良くなきゃ、PVは伸びないからな」

「ありがたい話だ」

「でもさ、コメントみたら、映像もめっちゃ褒められてたぜ」


 誇らしげに言うケンジが、スマホの画面を見せてくる。

 たしかに、映像への称賛は少なくない。彼の言う通りだった。


『サビのところのカメラワーク最高』

『乱視さんがマイク持ってる手を強く握ってるの、音楽への強い意志が出てるみたいで好き』

『このタレントさんだれ? めっちゃかわいい』

『歌えるボカロPは無敵って米津玄師が言ってた』


 ぼくらが微塵も褒められていないコメントでも、映像について少しでも触れられていえば、不思議に誇らしさがこみ上げてくる。

 改めて、登録者数2000人とフォロワー5000人を思い出した。これは素晴らしい数字だ、と思った。


「DMにも色々きてる」


 カナトも、スマホの画面を見せてきた。

 同大学の学生から、たくさんのメッセージがきている。どれもこれも、浅いと言えな浅いが、総じて好意的な内容ではあった。

 待ち望んだ称賛である。ただ内容が軽薄なので、思っていたより嬉しくなかった。

 やはり、頼りになるのは数字だ。


「何はともあれ大きな一歩だ」


 そう言ってケンジは大声で笑った。非常に満足そうな笑い方だ。

 快活で軽やかな笑顔の裏で、サキノと結託してタレントのスクープを追う計画を練っているのだと思うと、人は見かけによらないのだと思う。

 ケンジは意外に策士なのだ。最近気づいた。


「『乱視ゼロコンマ』の余波で、他の動画も伸びてる」

「他の動画って、ゲーム実況とか?」

「そういうこと」


 コークハイを飲むカナトも、満足気だ。満ち足りているならそれでいい、と思ったが、やはり陰キャな響きは拭えない。


「まあそろそろ方針転換の頃合いだろうし、しっかり話し合わないとなあ」


 悪態をオブラートに包むつもりで呟いた、そのとき、


「もしかして、動画サークルさんですか?」


 声を掛けられた。

 リオと初めて会った日のことを、思い出した。しかし、今回は彼女ではない。


 声の方を見ると、男女混合の4人組が、ほんのりと笑みを浮かべている。

 陰キャ。そんな言葉が、脳裏をよぎった。


「はい」


 ケンジが揚々と答える。


「あぁえーっと、私たち『乱視ゼロコンマ』のファンで!」

「あ、それじゃあ新曲のPVを――」

「見ました!」


 先頭に立つ女が、食い気味に言った。


「お、どうだった?」

「いやもうホンッッットに最高でした! あれ撮ったの、動画サークルさんなんですよね?」

「まあ、そうっすね」


 ケンジがわざとらしく鼻をこする。女がもう一度、「っ」に力を込めて、ホンットに云々と言った。

 そういえば、誰もぼくらを「ビッグムーヴィー」とは呼ばない。


「ええーすごーい!」


 女はその場でぴょこぴょこ飛び跳ねた。飛び跳ねただけで、その後に続く言葉は、特になかった。

 称賛が続かなかったので、ケンジのテンションが目に見えて冷えていく。語彙力の欠如とは、こういうことなのかもしれない。


「一応ですけど、大学一緒ってことですよね?」

「あ、はい。そうです」


 カナトの問い掛けに、彼らは首を縦に振る。

 動画サークル、という呼称は、やはり学内でのみ使われているのだ。もしいつか学外で注目されたら、きっとぼくらは「ビッグムーヴィー」と呼ばれるんだろう。


 サインしましょうか、とケンジが言った。

 あー……、とお茶を濁されて、彼らはテーブルに戻って行った。


「余計なこと言うなよ、せっかくのファンなのにさ」

「俺らのファンじゃねえだろ」

「ぼくらのファンにするんだよ」


 ぼくらも席に戻って、コチンとグラスを合わせた。なんだかんだ、美味い酒だった。


   ☆


 翌日、『マトリョシカ』。ぼくは、サキノと二日酔い明けのケンジとで、訪れていた。居酒屋に行ったり、喫茶店に行ったりして、大学生は忙しい。


「いまさらなんだけど」


 砂糖をたっぷり入れたカフェラテをかき混ぜながら、切り出した。


「カナトとカホは?」

「黙っておこうぜ」


 答えるケンジは、肘を突いて手のひらに頭を乗せている。頭痛に苛まれているらしい。

 昨晩、ファン(正確にはファンではない)に声を掛けられてからのケンジは舞い上がっていた。語彙も拙くピョコピョコ飛び跳ねるだけのファンではあったが、心は正直なもので、喜びがじわじわとこみ上げていたらしい。


「イッキとかしてみてえ!」


 イッキとかしたことないのに、3回くらいイッキしていた。

 ぼくとカナトはお人好しだが、同時に賢くもある。駅まで無理矢理歩かせて、後はベンチに放置だ。ホテルを取ってやるほどの世話はしたくないし、最寄りまでついていく余裕などない。


 そんなわけで今日である。

 満身創痍のケンジだが、頭の奥のギリギリまではやられていないようだ。


「黙っておくわけ?」

「だってほら、あいつら真面目じゃん?」


 側頭部をさするケンジは、まるで慎重に言葉を探るみたいに言った。


 真面目かもしれないな、とぼくは思う。

 ぼくは不真面目なのだろうか、と考えて、熱海でリオと済ませているぼくは、たしかに不真面目だと思った。


 不真面目。


 なんてことない言葉だが、それまでに経験したことのない、清々しい響きを含む気がした。真面目と不真面目だったら、ぼくはおそらく不真面目でありたい。


 こっそりとサキノを窺った。ぼおっとした目で、ケンジの横顔を見つめていた。 

 そういえば、珍しく2人が横に並んで座っていることに、ぼくはいまさら気付いた。

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