第21話
撮影が始まった。
噴水の前で、『乱視ゼロコンマ』がマイクを持って俯いている。
そこに笑顔の宮本アスカが、踊りながらやって来る。
宮本アスカは『乱視ゼロコンマ』を誘う。しかし彼はなびかない。
マイクを握ったまま、宮本アスカを見向きもしない……。
そんな場面が、かれこれ1分ほど続いた。
売れないミュージシャンの男が、様々な誘惑を受けながらも音楽だけは手放さなず、ついに音楽で成功する、という曲らしい。
曲を聞いたら違うのかもしれないが、PV撮影の現場は、とにかくシュールだった。シュールというか、滑稽だった。
傍目には滑稽に思えたが、冷静に様々なPVを思い出すと、似たような場面は見たことがある、気がする。
「後からいくらでも編集する」
カナトはそう言っていた。
何でも、中田先輩の指示があれやこれやとあるらしい。「いい勉強になるだろ」、と意気込んでいたので、何とかなるはずだ。
何とかなるはずなのだが、実際の現場を見た限りでは、このシュールな映像が変貌する様は思い浮かばない。
「はいオッケーです」
カナトが声を掛けて、『乱視ゼロコンマ』と宮本アスカが動きを止める。
ようやく撮影が終わった、と思ったのだが、「じゃあ次」と声が上がって同じ場面をもう1回撮り始めた。それも終わって、さらにもう1回。
「構図のパターンを、いくつか撮っておくんだって」
撮影がひと段落したところで、いつの間にか傍らに来ていたサキノが、耳打ちしてくる。
「後から繋ぎ合わせるってこと?」
「そういうこと。例えば、このままズームしたら、画質が滅茶苦茶落ちるからな」
ケンジも近くまで来ていて、サキノに続いて解説を加える。
「お前なんでそんなこと知ってるんだ」
「さっきカナトが言ってた」
なんだよ、と失望が口を突いて出た。
離れたところでは、カナトとカホが映像を確認し合っている。そこへ中田先輩が、丸い体躯を揺らしながら、笑顔で駆け寄って行く。疲れそうな走り方の割に、涼しい顔をしていた。
何事かを話し合い出した3人を見ながら、映像技術は上達しているんだな、と思った。
そこそこ売れっ子(らしい)ボカロPに、依頼されるくらいなのだ。半年足らずでここまで上り詰めたのは誇らしい……のは、カナトだけだ。
ぼくはあまり貢献していない。しかしぼくにはリオがいる。
「あいつすげえな」
カナトの方を見ながら、ぽつりと言った。
「出世したよな、ボカロPのPVなんてさ」
「このままじゃやばいよ、ぼくらは」
「何でだよ」
「カナトばっかり成長して、置いて行かれるかも」
「俺らは別の役目があるんだよ」
「どんな?」
「アイデアマン」
「アイデアを出したことがあるの?」
「少なくともネタはあるぜ」
ケンジがニヤリと笑った。
ネタ? と訊ねるより先に、サキノもニヤリと笑った。いつの間にか彼女は、わざとらしい快活な笑みを忘れている。
陰のあるチェシャ猫みたいな笑顔が、本当の笑顔なのだと思った。こっちの方が、自然で良い。
「面白い話なの」
サキノが言った。
「面白い話?」
「タレントのスキャンダル」
「タレントって、誰だよ」
サキノとケンジが、宮本アスカを同時に指差した。
「宮本アスカ?」
「奇遇でしょ」
ウシシ、とサキノが悪戯っぽく笑う。
「スキャンダルって、どんな?」
「深夜ドラマの主演、決まってるらしい」
引き継いだのはケンジだった。
ドラマの主演というのが、どのくらいのビッグニュースなのか、ぼくには分からない。
宮本アスカは抜群の美人だが、テレビやSNSでは聞いたことがない。言ってしまえば、無名のタレントである。主演に抜擢されるのは、出世街道への第一歩なのだろう。
「だけどそれを動画にするって、変な話じゃんか」
「どうして?」
「だって、どっちかって言うと、新聞部でやることっぽいし」
「あーえっと、それは……ね」
言い淀むサキノを訝しむ、それより先にケンジがフォローして、
「ミナガワ先輩がいい顔しないかもしれないってさ」
「あの人が?」
「うん、多分なんだけど……」
「それはどうして?」
「まだオフレコっぽいし。裏取りも曖昧だから」
「そもそも、そんな話どこから見つけてくるんだよ」
「お父さん」
サキノが言った。
「お父さん?」
「ほら、私のお父さん。ジャーナリストだから」
ジャーナリストだから、何なのだ。
問いただしたかったが、真っ直ぐに目を見てくるサキノに気圧されて、口をつぐんだ。まるで、この話にはあまり踏み込まないで、と告げるみたいな眼差しだった。
「分かった。それで、今から宮本アスカに突撃インタビューするってわけ?」
「いや、答えてくれるわけないな。そもそもオフレコの話を……」
そこで、饒舌だったケンジが口を閉ざした。
どこかを見つめていて、視線を辿ると、カナトとカホがこちらへ来ていた。
「何の話してたんだ?」
近くまで来て、カナトが訊ねる。
ぼくが何か言うよりも先に、
「いや、大した話はしてない。それより、PVはどうなった」
「それがさ、もう少し別のアングルから撮りたいって――」
話を逸らしたケンジを見て、これは一筋縄ではいかないな、と思った。
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