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第15話
7月の終わりに差し掛かり、前期のテスト期間になった。
サークル活動は禁止され、勉強に専念しろ、という雰囲気が蔓延する。
ウンザリと気を引き締める学生もいれば、知ったこっちゃないと弛んだままの学生もいる。
言うまでもなく、ぼくらは後者だ。
勉強会という名目で、ぼくらは空き教室を、転々としていた。この期間に、1階から20階まで制覇しようと、無意味な試みさえ抱いている。
どの教室も、さほど変わりはないので、決して興味深い冒険ではない。
「次の動画どうすっかなー」
教壇の丸椅子でユラユラしているケンジが、間延びした声で言う。
ノートも教科書も開いてなければ、ペンも出していない。勉強する気など微塵も無いのが、丸出しだ。それは、ぼくとカナトも、同じだった。
「編集は今日中に終わりそう」
ノートパソコンを開いて、カタカタしながらカナトが答える。
彼が編集しているのは、パソコンのフリーゲームを実況した動画で、ぼくはほぼ加担していないが、主にカナトとカホが、のめり込んでいるらしかった。
YouTubeでも、Twitterでも、それほどバズっていない。すっかり動画編集の担当になったカナトの、技術ばかり向上している。
「ずっとゲーム実況だけじゃなあ。なんかいいアイデアくれよ」
「たまには自分で考えろよ」
ぼくはスマホの画面から目を離さず、答える。ホットペッパービューティーで、渋谷の美容院の一覧を見ていた。
学割の使える店の口コミを眺めつつ、ふと教壇の方を見ると、ケンジは間の抜けた笑顔で、こちらに目を向けている。
ようやく、思っていたよりも棘のある口調だったのに、気が付いた。
「そうだなあ」
目が合うとケンジは、ふと視線を外して、ぼんやり宙を見つめた。
「またミナガワ先輩に聞いてみようぜ」
「特ダネとかいうやつ?」
珍しく彼がアイデアを出したので、少し面食らった。
しかし、ミナガワ先輩、というより新聞部に関わっても、ロクなことにならなかったのは事実。そもそも、特ダネが頻繁にあるとは、思えなかった。
「上手く撮れたら、一気にバズるだろ?」
「上手く撮れたらだけど、簡単じゃないってことが分かったし」
「もっとオレたちだけでやりたいよな」
カナトが口を挟んだ。カタカタとキーボードを打つ音は、カチカチとマウスをクリックする音に、変わっている。
オレたちだけ、というのはつまり、ゲーム実況動画みたいなことなのだろうか。だとしたらそれも、反対だった。
「オレたちだけって?」
ケンジが訊ねた。
「新聞部とかに頼らない、完全にオリジナルな動画」
「オリジナルって、どんなやつだよ」
「そうだなあ」と、カナトは天井を仰いだ。
性格も仕事も正反対のくせして、悩み方は、ケンジと同じだ。
数秒の間があって、その隙に、ぼくはホットペッパービューティーに戻った。
「歌ってみたとか?」
「最悪」
間髪入れずに否定した。
歌ってみた。それだけは絶対にやりたくない。
なんでだよ、とカナトの不服そうな声がした。
適当に「最悪」と繰り返しながら、美容院の予約を済ませた。口コミがよくて、学割を使えば、カットとカラーで7000円。安いのか、高いのかは、分からない。
「たしかに歌ってみたは軽音部っぽいよなあ」
「それも最悪」
「なんでだよ。いい人たちだったぜ?」
「そんなわけないだろ」
言い放った途端、シンと刺すような沈黙があった。
顔を上げると、2人が目を丸くして、ぼくを見ている。
「次の動画はもっと真剣に考えよう」
「まあなー。でもほら、まだ始めたばっかだしさ、気楽にやってこうぜ」
「じゃあいつ真剣にやるんだよ」
ぼくの問い掛けには、誰も答えなかった。てっきりケンジが「今でしょ」と茶化すと思っていたが、何も言わなかった。
彼は貼り付けたような笑顔のまま俯いて、カナトはノートパソコンをジッと眺めたまま微動だにしていない。
サークルのことを、新聞部にも頼らず、ゲーム実況なんかにも甘えず、ちゃんと考えているのは、ぼくだけなのだろうか。
そう思うと、イライラしてきた。2人がそんな風にしか思ってないなら、ぼくがこれ以上考えるのも、バカらしい。
それからは一切口を開かず、ZOZOTOWNとかインスタとかを見て、やがてリオから連絡がきたので「じゃあ」とだけ告げて出て行った。
「ああ」とか「うん」とか、鳴き声みたいなあいさつが返ってきた、気がした。
しばらく腹立たしさが収まらない。だが、エントランスに待つリオの姿を見掛けると、醜い怒りは、たちまち消え失せた。
むしろそれは、ぼくを力強くするエネルギーに変換された。美しい勇気にさえ、進化した。
「お待たせ」
声を掛けると、振り向いたリオが笑顔を見せる。
「待った?」と訊ねると「待った」と返ってきた。
並んで歩きながら、行き先を考えた。だが、ゴールが見つからない。
「どうしよっか」
読点みたいに、便宜的に言ってみる。
「どうしっよかね」
「キャンパスのカフェ行ってみる?」
「いいよ」
リオは、あっさりと提案に乗っかった。
2号館の1階にあるカフェテリアは、意外と遅くまで営業していた。5限の時間でも、そこそこの学生が入っている。
店内は騒がしいのかと思っていたが、入ってみると、そういう印象は受けなかった。静かというより、店内BGMが、喧騒をかき消しているようだ。
中央に、大きな楕円形のカウンターテーブルがあって、ぼくらは横並びに座った。
客層の大半は学生だったが、中には年寄りの姿もある。
「テストいくつある?」
片腕をテーブルに置きながら、漠然と口を開いた。
大学のシンボルがあしらわれたカップには、氷と生クリームがぎっしりの、カフェモカが入っている。それが2つ。
生クリームの渦巻きが高い分だけ、チョコレートソースが濃い分だけ、ぼくは学生らしさをまとっていられた。
「けっこうある。レポートもあるけど」
「だよね。心理学の勉強してる?」
「まだプリント見ただけー」
そっかー、と言いながら、楕円の隅に、明るい髪色の学生が見えた。男女1組、おそらくカップルだろうか。
どういうわけか、いつかの軽音部の姿が、脳裏をよぎった。
「こんど美容院行くんだよね」
いつの間にかぼくは、そんなことを言っていた。
「そうなんだ。どういうのにすんの?」
「まだ分かんない。渋谷の美容院」
「渋谷まで行くんだ」
「リオはいつもどこで切ってんの?」
「私は地元で済ませちゃう」
「あとさ、ゾゾで夏服も見ててさ。どういうのがいいかな」
ZOZOTOWNのアプリを開いてスマホを見せながら、もう一度隅にいるカップルに目をやると、彼らの髪色は明るいだけで大したことはないように思えた。
「髪も染めたいなあ」
「そうなんだ」
リオは視線を落として、カフェモカを舐めた。
「サークルはどう?」
「さあ、どうだろ。それよりさ、髪何色に染めたらいいと思う?」
「そのままがいいよ」
カフェテリアは1時間ほどで出た。
どうやって夕食に誘うか考えていると、リオが出し抜けに口を開いた。
「今日は早く帰らなきゃなの」
「そうなんだ」
何でもない風に答えながら、冷静を保つ自分を、褒めたかった。
ガッカリどころじゃない、煮えくり返るような失望を抑え込んで、ぼくらは駅で分かれた。
数日後に美容院へ行って、アッシュブラウンに染め上げた。
リオに写真を送ると、『いいじゃん!』と返信があった。
やがて夏休みになった。ほとんど毎日を、バイトとリオで過ごした。
アッシュブラウンの髪が、ぼくとリオをどこへでも連れて行くようだった。モノトーンばかりのクローゼットが、カラフルになっていった。
ふとした瞬間に、派手なアクセサリーやアイテムが目に入ったり、インスタやティックトックで見掛ける言動をしたり、そういうことが重なって、ぼくは順調なんだと感じることができた。
できるなら、軽音部の連中に見せてやりたかった。
これが今のぼくだぞ、ぼくにはリオがいるんだぞ。
そう教えてやりたい。
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