第14話

 居酒屋「いおり」はかなり賑わっていた。週に1回のペースで通っているこの店の名が、「いおり」であることは、最近知った。

 店名なんか問題にならないくらい、味は無類である。


「カウンターでもよろしいですか?」


 いつもと同じ女性店員に、声を掛けられて、いつもと同じカウンター席に、通される。

 リオと来るときは必ず、カウンターに座る。ケンジとカナトと来るときは必ず、テーブルに座る。


 お通しが出てきて、カシスオレンジと生ビールを頼んで、ひと息つく。

 リオに話しかけようとするが、テーブル席の方がかなり盛り上がっていて、ぼくの声が、かき消される。


「すごいね」


 リオが言った。正確に言うと、声は聞こえなくて、唇の動きを見て何となく読み取ったに過ぎない。


 ぼくらはテーブルの方を見た。普段は2,3席バラバラになっている卓が、全部くっつけられて、大宴会になっている。

 ざっと見たところ、10人はいそうだ。奥のソファに、楽器ケースがまとめてあって、どうもバンドマンらしかった。


 うちの軽音部だったら、面白いのに。そんな風に思っていると、


「そういえばユウスケ今日取材とかあったんでしょ?」


 という声が聞こえた。

 ぼくとリオは顔を見合わせて、彼らの観察を始める。


「あったー」

「アレっしょ、新聞部」

「え、うちに新聞部とかあったの?」

「らしいよ」

「うわ読んだことないわ」

「そもそも新聞とか出してんの?」

「知らね」


 いろいろな人物が次々に口を開くので、誰が誰なのか、分からなかった。

 とりあえず、取材を受けたのはユウスケという人物らしい。


「あーでも新聞部だけじゃ無いんだよな来たの」

「えどゆこと?」

「なんか別のサークルもいたんだよ」

「どこどこ?」

「なんだっけな……思い出せね。なんか知らない変なサークル」

「あー待って言ってたななんだっけ」

「新聞部じゃないのに取材とかくんの?」

「いや一緒に来てたっぽい」

「あー思い出した。なんか動画サークルとかだった気がする?」

「動画サークルなんてあんの?」

「最近できたらしいよ」

「ヒカキンの真似とかしてんじゃね」

「小学生かよ」

「めっちゃ偏見じゃんそれ」

「いやーでも実際陰キャっぽかったわ。来た奴」

「いや新聞部とか動画とか、いかにも陰キャだろ」

「それこそ偏見じゃねえか」

「え、1年?」

「たぶん」


 小さく舌打ちをした。

 生ビールとカシスオレンジが、運ばれてきた。無言でグラスを合わせて、ゴクゴクと喉に、流し込む。


「お店変えよっか」


 リオが小声で言った。小声じゃなくて、普通くらいの声だったかもしれない。しかし小声に聞こえた。


「大丈夫」


 ぼくも普通くらいの声で、返した。


「本当に?」

「ここ気に入ってんでしょ? 好きなもん食べなよ」

「うん」


 リオは意識的にメニューを注視して、わざとらしく、「なにしよっかなー」と言った。ぼくもわざとらしく、「何でもいいよ」と答えた。


 知らない変なサークル。

 小学生。

 陰キャ。


 彼らの言葉がグルグルと、頭の中に残った。言葉の渦に、あらゆる活力を削がれるような気がした。

 抗うように、ビールを飲む。グラスを置く。大きな音がして、叩きつけたみたいになる。

 リオの視線が向く。


「やっぱり出よ?」

「大丈夫。それより食べたいものは決まった?」

「ううん」

「適当に頼んでいい?」


 リオが、小さく頷いた。

 ぼくは、厨房に向けて、エイヒレや玉子焼きやサラダや唐揚げを、適当に注文した。

 それから付け加えるように、2杯目のビールも頼んだ。リオのカシスオレンジは、まだまだ残っている。


「リオはさ」

「なに?」


 気楽に声を掛けたつもりが、リオは、大袈裟な反応を示した。怯えに見えた。

 それでぼくは、自分が思っていたよりも、ずっと大きな声を出したのだと気付いた。


「リオはさ、週末なにするの?」


 口を引き伸ばして、言い直す。脳みそが別のところにある心地だった。

 リオの前で必死に取り繕う自分を、ここではないどこかから眺めているみたいだった。

 自分が上手く喋れているか、変なことを聞いていないか、不安でたまらなかった。そして、それを表に出さないために、必死だった。


 ビールを一気に飲んだせいか、げっぷが出そうになった。

 我慢して喉の底で、鳴らした。濁ったビールの臭いが、鼻の奥を通り抜けていった。


「えっと、週末はね」

「うん」

「明日はバイト。午後から」

「明後日は?」

「明後日は何もないと思う」

「そっか」

「なんで?」


 答えるより先に、2杯目の生ビールが来た。ゴクリゴクリと飲んだ。

 今はとにかく音を立ててるべきだと思った。


「明日の夜。会えないかな?」

「夜?」

「一緒に夕飯でも食べて、ゆっくり散歩してさ」

「バイト終わるの22時とかだよ?」

「平気。門限とかないよね?」

「ないけど」

「じゃあ決まり」

「ねえ本当に大丈夫?」

「大丈夫」


 大丈夫じゃないと思った。ぼくじゃなくて、何度も確認するリオが、大丈夫じゃないのだ。


 やがて料理が運ばれてくる。ぼくらは静かに食べる。ポツリポツリと会話をする。

 ビールを飲む。ビールを頼む。

 カシスオレンジが無くなって、リオの分も頼む。ファジーネーブル。

 食べる。飲む。食べる。飲む。食べる。飲む。


「ちょっとトイレ行くね」


 短く断って、トイレに立つ。男女共用の洋式トイレだ。小便を済ませて、手を洗う。

 洗面台の壁には鏡が掛かっている。ぼくと真っ直ぐ目が合う。一重で、鼻が小さくて、唇が平たい。これといった印象を与えない、地味な顔。

 強いて言えば、自信に欠ける印象がある。これではいけない。

 大きく息を吐き出す。力強さを見せつけなければならない。眉と目の尻を上げて、眼差しを鋭くする。

 大丈夫、これなら大丈夫。


 席に戻ると、軽音部の1人が。ぼくの席に座っていた。

 リオに何か話しかけている。話しかけられているリオは、いかにも困った様子で、愛想笑いを浮かべている。

 心臓がドクドクと、うるさくなる。急かされるように、口を開く。


「なに?」


 わざと、攻撃的な声を出した。

 視線を向けられる。彫の深い顔だった。体格もよかった。

 一瞬怯むが、リオもこちらを見ていて、全身に何かが、カッと巡った。


「なに?」


 もう一度言う。


「こーわっ」


 男は笑いながら、去って行く。

 気付けばテーブルには、誰もいなくなっていた。軽音部の団体は、会計を済ませていたらしい。

 男は、「バイバイ」と言い残して、店を出て行った。外から騒がしい何かが、聞こえた。何を喋っているのかは、分からなかった。

 だけど唯一、具体的な単語が、耳に飛び込んできた。


「童貞っぽくね?」


 ため息をついて、席に座る。

 真っ直ぐにリオを見る。感情の読めない表情を、浮かべている。


「だれ」

「知らないよ。急に話しかけられた」

「可愛い子には片っ端から声掛けてんのかな」


 リオは、何も言わなかった。

 ぼくも、何も言わなかった。


 しばらく黙った後で、再びポツポツと、他愛もない話をした。


 会計を済ませて、店を出て、地上へ続く湿った階段を昇る。

 長い階段ではない。


 地上と地下を結ぶ階段は、わざと短く造っているのだ。別世界みたいな地下に行ったまま帰って来れなくなる、なんてことが、起きないように。

 昇るにつれて、地上の喧騒が近付いてくる。


 地上と別世界を結ぶ階段の途中で、リオにキスした。深く、長く、口づけをし続けた。

 リオが何か言う間も与えない。滑り落ちてくる蒸し暑さと、下の方で蠢く淀んだ空気に挟まれながら、力強く、抱き寄せた。力強く、唇を食んだ。

 少しだけ、少しだけ強引に、舌をねじ込む。リオのそれと、絡ませる。

 キスをしている間、ぼくらはどこか、遠くにいた。

 何も聞こえない、何も感じない、ここではない、どこかに。


「どうしたの?」


 顔を離した後で、目を丸くしながら、訊ねられる。

 喧騒とか、蒸し暑さとか、淀んだ空気とかが全部、元通りになっている。


「どうもしないよ」


 微笑みを浮かべて、答える。それから、リオのおでこに軽く、キスをする。


「帰ろっか」


 軽快な調子で言って、リオの手を引いた。

 少しでも余裕ぶって、前に立つことが、精一杯の抵抗に思えた。


 何からの抵抗だろうか。


 翌週の月曜日。

 キャンパス内に、新聞が配られた。エントランスや、カフェや、図書館に置かれた。掲示板に、一面が掲載された。Twitterやインスタで、電子版が配布された。

『乱視ゼロコンマ』は見つからず、軽音部への取材が、中心になっていた。他の紙面は、サークル紹介や、教授へのインタビューで、埋められていた。


 軽音部への取材の様子は、動画でインターネットにアップされた。

 やはり、再生回数は芳しくなかった。当然である。

 けっきょく、ボカロPは見つからなかったのだから。逆に言えば、ボカロPさえ見つかれば、こうはならなかった。

 絶対に。

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