第12話

 翌日の昼下がり。

 ぼくらはコメダ珈琲にいた。キャンパスではゆっくり話し合えないでしょ、とリオは言っていた。


 2限の講義を、カナトと3人で受けていて、ぼくらは何食わぬ顔で普段通り接していたはずだが、一緒にいたカナトの顔を見る限り、普段通りではなかったのだと思う。

 心穏やかでなかったのは事実だが、例えばそれが、怒っているのか悲しいのか怯えているのかまでは分からなかった。自分の感情が分からなくなることは、ときどきある。


「奥行きなよ」


 グラスを2つ載せたトレイを持ちながら、さりげなく、リオにソファ席を促す。


「私こっちがいい」


 しかし彼女は手前の椅子に腰かけて、トートバッグを足元のかごに入れてしまった。

 ぼくは仕方なくソファに腰掛ける。かごにリュックを入れる。


 ふと顔を上げると、リオがじっとこちらを見ていた。

 なんとなく、リュックを下にして、トートバッグを上に置く。姿勢を直して、リオと真っ直ぐ向かい合う。


「4限までに終わらせようか」

「4限まで?」


 深呼吸してから切り出すと、リオは語尾を上げてオウム返しにした。ミルクとガムシロップを注ぎながらだった。

 コーヒーにミルクが落ちる様は、さながらグラスの中で、逆さにした火山が噴火しているみたいだった。


「ほら、だって授業が」

「授業の方が大事?」


 ぼくは黙った。リオも口を閉ざしてアイスコーヒーをかき混ぜた。氷とガラスが当たってカラカラと音がした。音から逃げるみたいに素早くミルクとガムシロップをコーヒーに注いでかき混ぜた。しばらく2人分のカラカラが鳴っていた。


「昨日のことなんだけど」

「うん」

「別にサキノと遊んでたわけじゃないんだ」

「だれ?」

「同じ動画サークルの子」

「この前デート中に来た人?」

「だけど昨日は遊んでたわけじゃないんだ」

「なにしてたの?」

「サークルで仕方なくて」


 嘘偽りなく答える間、リオは静かにコーヒーを飲んでいた。


「ごめん」

「なんで謝るの?」

「え?」

「遊んでたわけじゃないんでしょ?」

「うん」

「じゃあなんで謝るの?」

「いや、でも。それは……えっと」

「やっぱり遊んでたんだ?」

「いや違くて」


 思っていたよりも大きな声が出た。コーヒーの表面にさざ波が立った。

 いつの間にかリオは視線を上げていた。目が合った。澄んだ目をしていた。不思議な気分にさせられる瞳だと思った。


「なにが違うの?」

「本当にサークルでたまたま一緒になっちゃっただけで――」


 そのとき、ぼくのスマホが鳴った。

 最悪のタイミングだと思った。しばらくはスマホに目も向けず、静かにリオと見つめ合い続けた。


 やがてリオが「出ないの?」と短く言った。

「ごめん」と言ってからスマホを取った。


「もしもし?」

『やっと出たよ。いまどこにいんの?』


 カナトだった。まるで別世界みたいに明るい声色だった。こちらがどんな状況かなど、知る由もないらしい。


「別に。なんで?」

『いやー今日の4限終わりに軽音部に取材行くらしくてさ。お前空いてる?』

「もう? はやすぎんだろ」

『まあ早い方がいいし。行けるか?』

「いや、わかんない。お前かケンジは行けないのかよ。てかサキノが行くんじゃないの?」

『だから俺らで富山について行くんだよ』

「とにかく俺は今日は無理」

『じゃあ俺らで行くわ』


 そこで電話は切れた。

 手のひらで画面を拭いながら、顔を上げるとリオと目が合った。


「カナトだよ」


 言いながら画面を示す。リオが着信履歴を覗き込む。


「ふぅーん」と、唇を開きもせずに言う。


「それでさ、今回はぼくが悪かったよごめん」

「別に謝ってほしいわけじゃないの」

「でもリオに誤解させちゃったから。なにすれば許してもらえるかな?」

「許してほしいの?」

「埋め合わせはさせてほしい」

「どうやって?」

「何でもいいよ」

「そうだなー」


 リオは少し考え込む。いつの間にかコーヒーが無くなっていて、氷水がグラスの底で泥水みたいになっている。

 ぼくもストローを咥えて一気に吸い込む。飲み干す頃にリオが言った。


「前にいった居酒屋。美味しかったからもっかい行きたい」


 そう言ってリオはニッコリ笑った。


 4限の心理学概論には、無事に間に合った。

 2人で教室に行くなり、ケンジとカナトが「デート?」と声を揃える。


「そう」


 淡々と肯定しながら、ぼくは彼らの隣に座る。

 リオは一列後ろ、カホの隣に座る。


 5人全員が講義でそろうタイミングは多くない。

 ましてや、終わってから直接サークルに行けるのは、この日だけだ。


「これ終わったら取材だぜ俺」


 ケンジが言った。妙に誇らしげだった。


「テジマ先輩の友達だっけ?」

「誰だそれ」

「新聞部の人」

「あーあの人そんな名前なのか」

「取材って何すんの?」

「そりゃ話聞くんだよ。ボカロPいますかーって」

「そもそもボカロPとか知ってんの?」

「いや。でもその辺はカナトが詳しい」


「おうよ」とカナトが言った。


「じゃあお前も取材に行くのか」

「いや、俺は情報収集」

「情報収集?」

「ネットでひたすら『乱視ゼロコンマ』のこと調べんだよ」


 要するにネットサーフィンである。

 代わりにカホが同行するらしい。


「お前は?」


 ケンジに訊られねた。


「ちょっとね。今日は行けない」


 背後からリオに見られている気がした。

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