第6話
ゴールデンウイーク明けの月曜日。
ケンジとカナトと一緒に、居酒屋に入った。
2人とも、家の外で飲酒するのは、初めてらしい。不安と期待の入り混じった、微妙な表情を浮かべていた。ぼくも最近まで、そうだった。
あっさりと慣れるので安心してほしいが、ビビる2人も、いい肴になるだろう。
その居酒屋は個人経営らしくて、店内は、こぢんまりとしていた。
厨房をL字型に囲むカウンター席に、テーブルがいくつか。雑居ビルの地下1階だからか、全体的に薄暗い、印象を受ける。
「好きな席どうぞ」
若い女性店員に案内されて、ぼくらは、隅のテーブル席に着く。
腰を下ろした後でも、ケンジとカナトはどこか、そわそわしていた。
「……酒飲む?」
重々しい口調で、ケンジが言った。
「俺は飲む」
奇妙な緊張感を拭いたくて、ぼくは努めて、軽快に返す。
「カナトは?」
「飲まない」
カナトはきっぱりと言い切った。
未成年禁酒の遵守を毅然と体現し、それどころか、言外にぼくを非難するかのような眼差しさえ、浮かべている。ぼくが悪いので、何も言い返せない。
「俺は……飲んでみよっかな」
ケンジがおそるおそる言うと、断罪の眼差しが、ぼくから逸れた。
店員が、おしぼりとお冷を運んで来て、カナトがひと息に飲み干す。
またすぐに、店員がお通しを運んで来た。カツオ節の載った冷奴だった。
「先にお飲み物お伺いいたしまーす」
長方形の端末を取り出しながら、店員が言う。もちろんぼくらは何も決まっていないが、まごつくのもかっこ悪いので、指を2本立てて「生ふたつ」。
「オレはウーロン茶で」
「かしこまりましたー」
軽やかな調子で店員が去った。
カナトが怪訝そうに、口を開く。
「生ってなに?」
「生ビール」
「ビール飲んだことねえよ」
「これも経験だと思っときな」
やがてビールが、ジョッキで運ばれて来る。注文を聞かれて、何があるのかと店内を見回す。
厨房の奥に、本日のオススメが書いてあって、今日はサーモン刺し身だった。サーモン刺し身とか、唐揚げとか、ポテトとかを、適当に注文する。
それから、適当に乾杯して、一斉にジョッキをあおって、ケンジはたちまち顔をしかめて、「これ無理」と言った。
「ビール飲めない?」
「無理。まっずい」
「声がデカいよ」
ため息交じりに黙らせてから、仕方なく、ジョッキを受け取る。生を2人分。やれやれ。
けっきょく、ケンジはカルピスサワーを注文し直した。ぼくも2杯目はそういうのを飲みたかったが、道のりは遠そうだ。
「それにしてもアレだな」
ケンジが口を開く。続きの言葉を聞くのに、醤油で真っ黒になった冷奴を口に入れてツルリと飲み込む、それまでの数秒を待たされた。
「上手いこといきそうだな。サークルの方は」
「まあな」
気の抜けた相づちを打つのはカナトだった。
ぼくも黙って頷く。本当に上手いこといけるかは別として、順調に事が進んでいるのは間違いなかった。
カメラを回して、ようやく発覚した様々な問題――例えば、音声の質がよくないとか、誰ひとりとして映り慣れていないとか、映像がひたすら殺風景であるとか、そういうことは、全部解決できた。
カナトがあれこれと編集して何とかしたに過ぎないが、とにかく、形にはなっていると思う。
もちろんぼくだって、バラエティー番組とYouTubeをたっぷり見て勉強したし、ケンジも、おそらく何かしらやっているはずだ。
とにかく、動画サークルの「動画」の部分はクリアできそうだった。
問題は「サークル」の部分である。
新設に必要な最低人数の「5人」が、まだ揃っていない。
「あと1人、来るかな?」
ビールの萎んだ泡を見つめながら、言った。
唐揚げと、ポテトと、じゃがバターが運ばれてきた。カナトがポテトに飛び付いた。
「来るっしょ。動画も撮ってTwitterに載せたんだし」
「だといいけど」
ポテトを数本、口に放り込んでから、ビールで一気に流し込んだ。何も舌に触れていないので、口の中は、味のない質量に満たされた。
飲食の実感がないまま、お腹ばかりが膨れていく。飲酒とはそういうことだ。
そうじゃないのかもしれないが、大学1年生は、こんな感じでしか飲めない。
「これからだよこれから。これからやってくんだよ、色々」
ケンジはうわ言のように、これから、これから、と繰り返した。カルピスサワーはもう半分くらい減っていた。
ケンジの「これから」は、宙に浮いたまま、ぼくらの目の前を、ふわふわ漂っていた。やがてすぐに見えなくなるだろうと、そんな予感を呼び寄せながら。
「流行りに乗って動画撮りまくって、YouTubeとかにアップしまくって、有名になれば億万長者だぜ」
「億万長者になれたらいいけどな」
投げやり気味に言い放って、たっぷり残ってるビールを一口、飲んだ。
「これから頑張りゃいいんだよ」とケンジが言った。
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