第2話
キャンパス内にはそれなりに広い中庭があって、やんちゃな連中がビニールシートを敷いてワイワイやっている。
最初の数週間は何が楽しいのか分からなかったが、断片的な情報から察するに花見のつもりらしかった。
中庭に桜の樹は1本も生えていない。
とにかくぼくらは、柄にもなく中庭にいる。
割り勘して買ったビデオカメラを持って、普段よりも一層気合を入れたファッションのケンジを映している。Vネックのホワイトシャツに黒のネックレス、ズボンはカーキのカーゴパンツ、スニーカーはティンバーランド。
大学生らしいと言えば、大学生らしい。デビューっぽいと言えば、デビューっぽい。
「まだー?」
「おっけー」
適当に返事をした。
正直に言えば、ビデオの機能を把握していないので、何をどういじれば、きちんと「おっけー」になるのかは知らない。
とりあえず、ケンジの顔は明るく見えるし、光は散っていないし、色もそこそこ鮮やか。たぶん、これでおっけー。
「なんか地味じゃね?」
撮影画面を覗き込んで、カナトが言う。
「編集でなんとかすればいいでしょ」
誰が編集するのかは分からないが、とりあえずお茶を濁した。
絶対にぼくはやらない。おそらく、ケンジかカナトが、夜通しブルーライトを浴びることになるはずだ。後でユーチューバーの自伝でも薦めておこう。
片手でオッケーサインを作りながら「いつでもいいよ!」と声を掛けると、ケンジが口角を上げて頷く。緊張すると、にやけるタイプらしい。
肩を動かしながら深呼吸して、勢いよく喋り出す。
「みなさん初めまして。私たちは動画サークルのビッグムービーです。私たちは現在、部員を募集しています――」
意外に流暢なケンジの語りを眺めながら、風のない日で助かった、と思った。
身振り手振りが激しくて、さながら軽薄なメンタリストだが、それを除けば、特に問題はない。
さっきカナトに言った通り、いよいよ編集次第になりそうだ。
中華を食べた日の、帰りに訊ねた。
「動画撮って、その後はどうする?」
ケンジはお腹をさすりながら、
「そりゃーYouTubeに決まってんだろ」
「YouTubeって……」
「いや他にTwitterとかインスタとか、色々やってみるけどよ」
「うーん、まあそれしかないか」
そう簡単に上手くいくとは思えなかった。だが、他に有効な手立ても浮かばない。
そもそも、動画サークルの宣伝を動画で行なわないのも、変な話だ。
「つーわけで、3人で割り勘しようぜ」
「何を?」
「カメラだよカメラ。スマホで撮るわけにもいかないだろ」
「あーそっか。カメラっていくらするの?」
「さあ?」
ググれよ、と言うより、自分でググった方が速い。調べると、相場は6万円くらい。
「ひとり2万か」
ふとケンジを見ると、あからさまにイヤな顔をしていた。
絶対に逃がすまい。ぼくの心が燃え盛る。
言い出しっぺが金を渋るなど、言語道断。
「カメラ妥協するわけにもいかないし、これ買おう」
「そうだな」
どう見ても「そうじゃない」という顔だが、口で「そうだな」と言ったのだからそうなのである。
どうやら目と口で別の神経を使っているらしい。こいつが見栄っ張りで助かった。
そんなわけで購入したビデオカメラの初仕事は、新入部員の勧誘である。
正確には、勧誘動画の撮影。
画面の向こうでは、ケンジが、動画サークルについて色々と喋っている。
撮っている間は、長々としたスピーチに思えたが、実際の動画時間は2分足らずだった。
「どんな感じだ?」
撮影を終えて全身を弛緩させたケンジが、訊ねてくる。
「今から見る」
動画を呼び出して、再生ボタンを押し、動画が動き始める。
思っていたよりも声が遠くて、ケンジの表情と動作も硬い。
「どうやって編集する?」
「撮り直した方がいいと思う」
苦々しく言うカナトに、ぼくは率直な意見を述べた。
ケンジは、咳き込んだ後で「やり直すか」と言って、再びカメラの前に立つ。
「もっと声出せる?」
「やってみるけどよ。近くで撮った方がいいんじゃね?」
「あとケンジ動き滑らかにしてみろよ」
そんな風にアレコレと言い合ってから、撮り直しに入る。
ケンジは、先ほどよりも大きな声で話し、先ほどよりもリラックスした態度を見せている。
ぼくは、先ほどよりも近くで写す。今回は1分半くらいの尺に収まった。
「どうだ?」
「やっぱり声が遠い。雑音が入っちゃう」
「動きが無いのも寂しいよな。もっとこう、カメラワークを付けたい」
「カメラワークはともかく、声が入らないならマイクも買った方がいいのか?」
「マイクはあった方がいいかもしれない」
「でも高いっしょ。まずは屋内で試すとか」
などと議論して、それ自体は案外有意義に思えるが、話は平行線のまま答えが出る気配もない。
ひとまず、「屋内で撮ってみる」という最も現実的な案を実行しようとしたとき、学生の一団が、こちらに向かって来るのが見えた。
「こんにちは~」
先頭に立つ柔和な感じの男子学生が、あいさつを口にした。後ろにいるのは3人だけ。
遠くからでは一団に見えたが、近くで見ると精々グループという程度だ。
「こんにちは」
ケンジがあいさつを返した。何事においても、口火を切ることと他人と喋る系の事柄は彼の担当である。
「ぼくたち新聞部ですー。いま中庭にいる人たちにインタビューしてるんですけど、よろしければお話聞かせてもらえませんか?」
「いいですよ」
ケンジは二つ返事で了承した。
はじめは、面倒くさそうなのでとっとと逃げ出したかったが、インタビュアーを務める男子学生の話を聞いているうち、少しくらい付き合ってやろうという気になってくるのだった。
どうやら、単に柔和なだけの男ではないらしい。
「ありがとう、助かるよ! あ、ぼくは新聞部2年生の皆川って言います。よろしく」
「あーはい。えっと、動画サークル1年の滝田です」
「動画サークル……なんてあったっけ?」
「実はこれから新しく作ろうとしてて」
「へぇーサークル作るんだ! すごいねえ」
2人のやり取りを聞きながら、インタビューが滑らかに始まっていることに驚いた。これも、ミナガワと名乗った彼の能力なのだろうか。だとすれば、新聞部に向いた人材である。
「みんなは1年生なのかな?」
「はい」
頷くのはカナトだった。ぼくも続いて首を縦に振ると、ミナガワ先輩は感心したように「すごいねえ」と繰り返した。
それから、後方に控えている学生に向けて「1年生だってよ」と言った。まるでぼくらとの結びつきを促すように。
そして実際に、1人の女子学生が促されて、1歩前に出てきた。
「実は私も1年生なんです」
彼女はペコリと会釈しながら言った。
ショートカットのよく似合う、ハツラツとした印象の女子だった。
実はも何も、彼女の学年を疑ったつもりはないのだが、とにかく、同級生というカテゴライズで仲を深めようと試みているらしい。
ぼくらは友達が少ないので、応じるべきなのだろう。
「そうなんですね」
情けないことに、ぼくはそれしか言えなかった。
しかもケンジとカナトは、何も言わなかった。3人全員揃いも揃って、女慣れしていないようだ。
「動画サークルはどんなことをやってるの?」
気まずい沈黙が訪れるより先に、ミナガワ先輩がインタビューを再開する。
「今は部員募集の動画を撮ってます」
再び、ケンジが答える。
「部員募集、なるほどね。そういうのも動画にするんだね」
「これは何のインタビューなんですか?」
「中庭にいる人に話しを聞いてみようってインタビュー」
「へえ……」
「まあ微妙な企画だけどね。でもほら、月曜から夜ふかしみたいに面白い人がいるかもしれないしさ」
「なるほど」
傍らでやり取りを聞いていると、何とも大学生らしい目論見だと思った。
テレビの真似事をすることなど、いかにもである。
ぼくらはユーチューバーの真似事なので他人のことは言えない。
そして大学生らしいという響きには心が躍る。
残念ながら、ぼくらのインタビューには、月曜から夜ふかしほどの面白さはないだろう。
しかしミナガワ先輩は、サークルを作るという試みを気に入ってくれたらしい。『ビッグムーヴィー』の部員募集を、新聞に掲載すると言ってくれた。
「そっか、5人以上いないと出来ないんだね」
掲載用の写真(3人揃ってぎこちなく笑っただけの退屈な写真だ)を撮った後で、ミナガワ先輩が言った。
カメラマンを務めるのは別の部員だったが、彼曰く「写真は多く載せないからレアだよ」とのこと。
「あと2人募集中です」
「それって兼部でもいいの?」
「たぶん」
「それじゃあうちの1年生にも声掛けとくよ。どう?」
と言って、ミナガワ先輩はさっきの女子学生を振り返る。
彼女は笑顔で「ハイ!」と言っていたが、本気なのか社交辞令なのかは分からなかった。
「SNSは何かやってる?」
「一応Twitterを」
「じゃあフォローしとくよ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、頑張って」
新聞部の一行はそこで立ち去って行く。
去り際に思い切って、
「ミナガワ先輩はうちに入りませんか?」
彼の答えは、目いっぱいの笑顔だった。
おそらく愛想笑いなのだろうが、人をほだす、恐ろしい魔力を持った愛想笑いだと思った。もしくは、ぼくが案外お人好しなだけかもしれない。
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