#19

 2025年9月28日日曜日、川崎市中原区、多摩川河川敷にて


 あずさが俺の世界から消えてしまった後、俺は逃げるように『フリーダム』から出た。

 俺は何時間もあずさを捜した。

 でも、見つかるわけがなかった。



 あずさは、もうこの世にはいないんだから。



 1年前に、自殺したんだから。



 気が付くと、俺はここで寝そべっていた。

 多摩川の河川敷。

 あの時、俺があずさを離さないって誓った場所。


「なあ、あずさ。あの時、お前も、俺のことを離さないって……言ってくれたよな」


 俺たちは、お互いのことを離してしまった。



 俺は、1年前、あずさを助けられなかったのだ。

 あいつの世界の統治者になるって約束したのに。

 ずっと笑顔でいてくれって、願ったのに。



 信じたくない。

 信じられない。

 だから信じなかった、そんな事実。

 ひたすら脳内補正して、現実から逃げた。


「……ウソだって、言ってくれよ。また、『やっほー☆彡』って、能天気に笑ってくれよ……」


 願っても願っても、もうそれは、届かない夢。

 俺の中にいるあずさは、俺の脳内補正の結果だから。ただの妄想だから。




 誰かの足音が聞こえる。

 時間を確認してみると、もう午前4時半だった。

 夜中というよりも、明け方。

 こんな時間にうろついている人なんて、いるんだな……



 足音が近づいてきて、やがて俺のところで止まった。

 俺に何か用だろうか。

 誰か確認しようと、身を起こす。

 見たことのない人のように思えた。

 青いパーカーを羽織った少年が、そこにいた。

 少年は、俺の方を見て動かない。


「あ、あの……あなたは」


 俺が声を発すると、少年は安堵したように息をついた。


「こんなところにいたんだ」


 その声で気づいた。


「お前……エスか?」


 少年は微笑んだ。


「やっと気づいた?」

「……和服姿でもないし、口調も普通だからな」

「ああ、そっか。……それにしても君、自分の顔、鏡で見てみたら? くっそまずいオートミール食べた時みたいなひどい顔してるよ」

「………」

「隣、空いてるよね」


 俺の答えを待たずに、エスは俺の横に同じように寝そべる。


「寝そべっていいなんて言ってない」

「ここの河川敷は、君の物じゃあないよ」

「それはそうだが……ひとりにさせてくれないか」

「それも無理。ひかりちゃんとのぞみちゃんに、君のこと頼まれちゃってるから」

「余計なお世話だ」

「まあまあ、そう言いなさんなって」


 それから、俺たちは黙ってただ夜空を見上げていた。


「……のぞみちゃんから聞いたよ。君のこと。この1年間のこと」


 しばらくして、エスが口を開いた。


「今から1年とちょっと前、あずさちゃんは学校でいじめを受けていた。君と、のぞみちゃん、あと、ひかりちゃんはどうにかしてあずさちゃんをいじめから救おうとした。でも、君がいじめに気づいた直後に、あずさちゃんは自殺した。……それが1年前の事実。ここまで合ってる?」


 認めたくなかった。

 違う、それは間違いだ、って言いたかった。

 でもそれが現実だから。

 俺は何も言えなかった。


「こっから先は、今の話と、僕から見える君の行動から考えた推測なんだけど、話していい?」

「…………」

「あずさちゃんは去年の9月27日に亡くなった。9月27日……君の誕生日にね。その日に君があずさちゃんからもらった誕生日プレゼントが、これ」


 そう言ってエスは奇妙な形のメガネをどこからか出して、示した。

 そしてそのメガネを俺に渡してくる。


「『フリーダム』に落ちてた。それ、大事なものでしょ? 忘れてっちゃだめだよ。……君はあずさちゃんの死を信じることができなかった。当然だよ。身近な人が死ぬことなんて、信じたくないもん。それで君は、そのメガネに頼るしかなかった。あずさちゃんがこの世に存在したっていう最期の痕跡。そのメガネがある限り、そのメガネを君が掛け続ける限り、あずさちゃんは、君の中から消えないから。君の中で、生き続けるから。だからそれがいくら変な形でも、決してコンタクトにしたり、他のメガネを買ったりしようとはしなかった」

「…………すごいな、お前。全部、合ってるよ」

「…………」

「俺はな、エス、あずさと昔、約束したんだ。『お前の手を離さない』って、『お前がいつも笑って過ごせる国を創ってやる』って」

「………それが、君がこの国を治めようとする理由だったんだね」

「……だけど、もう、あずさはいないんだ。あいつが笑って過ごせる国なんて、創れっこないんだ。でもそう思いたくなくて、俺は、あずさはまだここにいるって、妄想してた」

「…………」

「俺、あずさのこと守れなかったくせに、なんで正義の味方気取ってたんだろうな。仲間を守れなくて、何が正義の味方だよ! 俺はあいつのことを、助けられなかったんだ!! 俺は、正義の味方なんかじゃ、ないんだ……」

「…………」


 エスは何も言わない。

 それになぜか腹が立った。

 彼に詰め寄る。


「なあ、エス? 哀れだろ? 醜いだろ? なあっ!! どうせお前は、『こいつみたいになりたくないな』とか思ってるだけなんだろ!!」

「思わないよ」


 きっぱりと即答した。


「哀れだなんて、醜いだなんて、思うはずないよ。だって、大切な人をなくしたら誰だって、どうしたらいいか分からなくなるよ」


 そして彼は遠い目をする。

 夜空の向こうの、彼にしか見えない景色を探るように。


「ねえ、君はさ、”フレンズ”って、知ってる?」


 突然の問いに、俺は困惑する。


「……? あ、ああ。都市伝説で流行ってるやつだろ」

「そ」

「それが……どうしたっていうんだ」

「誰の作り話かは知らないけど、フレンズについて、こんな話があるんだ」


 エスは遠い目のまま星空を見て、ゆっくりと語りだす。


「その昔、正義のヒーローになりたがっているフレンズがいました。彼は正義のヒーローとして、みんなが安心して過ごせる世界、『理想の世界』を目指して、仲間のフレンズと一緒に行動していました。……正義のヒーローの方を”シキ”、仲間の方を”ジロー”ということにするね。……シキ君は、自分のことをフレンズだと知りませんでした。彼は自分が人間だと信じて、人間を襲うフレンズを、そしてフレンズを襲う人間を殺していました」

「……何が言いたいんだ?」

「まあ最後まで聞けって。……しかし彼はあるとき気づいてしまいました。『自分は、誰かを殺すのを楽しんでいる』って。シキ君は悩みました。そんな彼に追い打ちをかけるように、驚愕の事実が伝えられてしまいます。『人間だと信じて疑わなかった自分は、本当はフレンズだった』って。シキ君はショックのあまり、感情を失ってしまいました。何かに取りつかれたように、淡々と殺しを続けていきました。……もう彼は、正義のヒーローではありませんでした」

「……フッ、ハハハ……やっぱりそういうことだよ! 正義の味方を夢見た身の程知らずは、自分の無力さに打ちひしがれ、痛い目を見ることになる。それがこの世界のことわりなんだよ」

「まだ終わってないから、この話。……そんなシキ君を見ていられなかったジロー君は、どうにかしてシキ君を助けようと、彼に戦いを挑みました。しかしシキ君は、そんなジロー君を、親友を殺してしまいました。シキ君は、大切な人を失ってしまい、どうしていいか分からなくなってしまいました。その時、シキ君はある人からこんな言葉をもらいました」


 エスはここで一度口を閉じる。

 そしてまた、遠い日の思い出をかみしめるように語りだす。


「『どんなに辛いことにあっても、自分のことを諦めない奴は、ヒーローなんだ』って。……彼はその言葉で立ち直りました。そしてラスボスを倒して、『理想の世界』を創ることができました。めでたしめでたし――そんな話。長くなりそうだったからちょっと最後の方、端折ったけど」


 彼は一度、ゆっくりと瞬きをした。

 そうして、再び目を開いた彼は、もう遠いどこかではなく、現実ここを見ているように思えた。



『自分を諦めない奴は、ヒーロー』、か……。

 俺はまだ、自分を諦めなくてもいいのだろうか。

 あずさを助けられなかった今でも、自分のために生きていてもいいのだろうか。

 いいや,違う。自分のためじゃない。

 俺の夢は、あずさの夢なんだ。

 俺は隣にいる親友に、こんなことを訊いてみた。

 普段なら、恥ずかしすぎて訊けないこと。


「なあ、エス。……正義って、何だと思う?」

「その質問に正解なんてないよ。正義の反対は、もう一つの正義。誰かにとっての正義は、他の人にとって悪かもしれないから」

「……そうか」

「でも僕にも意見くらいはある。僕はね、自分を諦めないこと――『自分にとって正しいと思う道を進み続けること』が、正義なんじゃあないかなって、思うな。何回、何十回、何百回失敗しても、何千回、何万回、何億回って立ち上がって、自分の道を進み続ける人は、誰が何と言おうと、正義の味方だと、僕は思うよ」


 エスが言っていることは、すうっと俺の胸にしみわたっていった。


「普段おちゃらけてるヤツが真面目に話すと、刺さるな」

「フフフ、人心掌握の基礎でござるよ。貴殿も、この国を治めるならこのくらいはできないとだめでござる、しゅんぺーどのっ!!」

「……ああ、そうだな」

「ほら、行こ。峻平くん。みんな待ってる」


 エスが差し出した手を俺は握った。



 東の方の空が、ゆっくりと明るくなっていく。

 気づけば、そんな時間になっていた。
















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