#A


 夏休みもあと1週間で終わっちゃう。

 楽しい時間って、なんでこんなにあっという間に過ぎってっちゃうんだろう?



 この夏の最後の思い出をつくろうと、お姉ちゃんとしゅんちゃんと、等々力緑地でやってるお祭りに来た。

 家からは自転車で10分くらいでここまで着いた。

 普段、ここを本拠地にするサッカーチームが試合をしている時とはまた違ったにぎやかさ。

 右にも左にも屋台がいっぱい並んでて、焼きそばとかポテトフライとかのおいしいにおいがしてくる。

 歩いてる人たちもみんな幸せそうな顔。

 自然にあづさまで笑顔になってた。

 夢の国みたいな浮世離れした感じもいいけど、あづさはこんな感じの、庶民的でわいわいできるお祭りの方が好きだなー。

 そんなことを思いながら、屋台をあちこち見て回ってた。


「あずさ、はしゃぎすぎ」

「そうだぞ。俺たちとはぐれたらどうするんだ?」


 お姉ちゃんとしゅんちゃんが、あづさに注意をした。


「お姉ちゃんとしゅんちゃんが歩くの遅いんだよー」


 あづさはそう言って、屋台巡りを再開する。



 クレープの屋台の前に来た。

 甘い香りに食欲がかきたてられた。

 そういえば、夜ごはん、まだだったな。

 お姉ちゃんとしゅんちゃんと、3人でクレープを食べようと思って2人の方に振り返った。


「お姉ちゃん、しゅんちゃん! ……あれ?」


 2人の姿はなかった。

 周りを見渡してみる。

 でもいなかった。

 数秒間の思考停止。

 少しして、ようやくあづさは2人とはぐれちゃったんだって気づいた。






 2019年8月24日土曜日、川崎市中原区、等々力緑地にて





 スマホを取り出して、お姉ちゃんに電話しようとした。

 でもスマホの電池が切れてた。

 さっき屋台を見てた時にはしゃいで写真を撮りまくったせいだ。

 なんとか合流しなきゃって思って、来た道を急いで引き返す。

 でも自転車を止めてるところまで戻っても見つからない。

 2人の自転車はここにあるから、まだ等々力緑地にはいるはず。

 そうだ。今日のお祭りは8時半から花火が上がることになってた。

 その場所取りに行ったのかも。

 観覧席がある池の方まで行ってみる。

 でも開場前で、やっぱり誰もいなかった。


「お姉ちゃん、しゅんちゃん、2人ともどこ行っちゃったの……?」


 さっきまではしゃいでたからか、どっと疲れが押し寄せてくる。

 あづさは鉛のように重い足を引きずるように、もう一回屋台通りに戻ろうとした。



 ふと、誰かの足音が後ろで聞こえた。

 振り返る。


「きみ、こんなところで何してるの? まだ開場前だよ」


 全身、黒い服でサングラスをかけたおじさんだった。

 不審者みたいで気味が悪かったので、すぐにその場を離れようとする。


「お、お姉ちゃんとお友だちを捜してたんです。ごめんなさい」


 屋台の方へ足を数歩進めて――


「こんな暗くて誰もいないところに一人で来ちゃうなんて、いけない子だなあ。お仕置きしないと」


 後ろから手が伸びてきた。

 この人、あづさのこと誘拐しようとしてる?

 でもそんなドラマみたいなことって現実に起こるわけ――


「はっ、放してください! やめて! 放して!」


 大声で叫んだ。

 なんとか拘束から脱出しようと身をよじる。

 そうしていると、唐突にお腹にパンチを食らった。

 人から殴られたことなんか初めてで、その痛さと衝撃と悲しさとに、涙が出てきてしまう。


「ダメだよ、うるさくしちゃ」


 誘拐犯は、さらにあづさを強く抱え込む。

 口も押さえられてしまった。


「さあ、おじさんとこっちに来ようか」


 誘拐犯はあづさをどこかに連れて行こうと歩き出した。

 怖くて震えが止まらなかった。

 身体が自分の物じゃないみたいで、抵抗することももうできなかった。



 あづさ、殺されちゃうのかな?

 そんなのやだな。

 誰かに助けてほしかった。

 こんなドラマみたいな展開なら、王子様が助けに来てくれるはず、だよね?

 正義の味方が、きっときっと、来てくれるよね?

 誰か、誰でもいいから、あづさを助けて――




「………!」


 誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。

 聞き覚えがある声。

 毎日聞いてる、とっても安心する声。


「……さ!」


 声が近づいてきて。

 きっと大丈夫だって、なぜか思えて。

 身体のこわばりが徐々に消えていった。


「…ずさ!」


 自由に動く右手で、口を押さえていた誘拐犯の手を引きはがす。

 あづさもありったけの大声で叫んだ。


「しゅんちゃーーーん!!! あづさは!!! ここだよ!!! 助けて!!!」

「くっ、だから静かにしろって!」


 誘拐犯はポケットからナイフを取り出して、あづさの首許に突きつけてきた。


「………っ!」

「おとなしくしないと、殺しちゃうよ」


 また寒気がして、身体が震えてしまう。

 でも。


「しゅんちゃん!!! 早く!!! あづさ、殺されちゃう!!!」


 叫び続ける。

 誘拐犯の手に徐々に力が入って、首にひやりとした感覚がした。

 だらだらと、あづさの首から血が流れていく。

 痛かった。苦しかった。

 ナイフは少しずつ傷口を深くしていく。

 それでも叫び続けた。

 本当は1分くらいだったかもしれないけど、あづさの体感時間では、もう3時間くらい。



 やがて――


「あずさ!」


 しゅんちゃんが来てくれた。

 助けに、来てくれた。

 しゅんちゃんはあづさの状況を確認すると、誘拐犯に突進してきた。

 だけど誘拐犯はヒラリとそれをかわす。

 また首に冷たい感覚。


「動くな。動いたらこの子の命はない」


 しゅんちゃんはうつむいてしまう。

 握りしめた拳が震えてた。



 このままじゃ、しゅんちゃんまで危険な目に合っちゃうのかな?

 あづさのせいで。

 あづさは、これまで迷惑しか掛けてきてないな。



 しばらくして、しゅんちゃんが急に顔をキッて上げた。

 それから大きく息を吸い込んで。


「誰かーーーーー!!! 助けてくださーーーーーい!!!」


 あまりの声の大きさに耳がキーンってなった。

 誘拐犯もそうみたいだった。

 彼は自分の耳を塞ぐためにたまらずあづさを放した。


「あずさ! 俺に隠れてろ!」


 あづさはしゅんちゃんの後ろに逃げた。


「お前っ、動いたら殺すと言っていただろう!」


 誘拐犯は耳から手を放し、殺気立った。

 なのにしゅんちゃんは堂々としていた。


「そうだ。俺はお前に『動いたらこの子の命はない』と言われた。だがしかし! 誰も叫んじゃいけないとは一言も言っていない。それであづさを殺してみろ。約束と違ってしまうぞ? 現に俺は、ここを一歩も動いていないのだからな」

「………っ、屁理屈をごちゃごちゃと……馬鹿にしやがって!」


 誘拐犯はナイフをしゅんちゃんに向けて構えた。

 でも、その直後に気付いたみたいだ。

 もうここはおまわりさんとかお祭りのスタッフさんとか、その他もろもろの野次馬の人たちに囲まれてるって。


「どうした? 殺すつもりなんじゃないのか? それとも? 怖くなったのか? まあいずれにせよ、これだけの大人が周りにいるんじゃ、お前はもう逃げられないけどな」


 しゅんちゃんはやっぱり堂々としてて、かっこよかった。




 その後、誘拐犯は逮捕されて、あづさたちは警察に保護された。

 首の傷の手当てをしてもらったり、いろいろ質問されたりして、やっと交番から出られたのは日付が変わったころだった。

 もう遅かったけど、2人で多摩川河川敷をのんびり歩きながら帰った。

 ほんとは3人がよかったんだけど、お姉ちゃんは先におまわりさんに家に帰らされちゃった。

 あづさはどんなときでも、みんなで笑っていたい。



 しゅんちゃんはあづさの手を引いてずんずんと歩いていく。

 こんな風に手を引いてもらったのは、いつぶりだろう。


「………なんか、しゅんちゃんの彼女さんになった気分だなあ」


 冗談で軽い調子で言ってみる。


「何を言っている? お前は俺の妹だろう?」

「………そうだよね」



 しゅんちゃんが不意に立ち止まった。

 風がすうって吹き抜ける。

 草が揺れて、さらさらと音を立てる。


「あずさが……」


 しゅんちゃんの声が風に乗ってあづさまで届いてくる。


「あずさがいない世界って、こんなに怖いんだな」


 しゅんちゃんはそう言って、あづさのことを抱きしめた。

 あまりにも突然で驚く。

 と同時に安心して、涙が出てきた。


「どうして泣いてるんだ?」

「もう、しゅんちゃんが、急に、ぎゅーってしてくるから、だよ……」

「す、すまない」


 しゅんちゃんは離れようとした。

 でも今度は、あづさの方から抱きついた。


「うそ、だよ。……あづさね、こわかったの。殺されちゃうのかなって……」

「そんなわけないだろ。だから泣くな。俺はもう、お前の手を離したりなんてしない」

「しゅんちゃんがそんなこと言ったら、あづさも、しゅんちゃんのこと、離さないよ?」

「ああ、望むところだ。俺がお前の国の、あづさの中の世界の統治者になってやる。お前には、笑って過ごしててもらわないと困る」

「………ありがとう」


 しゅんちゃんはあづさに笑っていてほしいって言ってるのに。

 また迷惑かけちゃってる。

 涙が止まる気配がなくて。

 あづさはずっと、しゅんちゃんに抱きついてた。




 あのときからずっと、しゅんちゃんはあづさの世界の、正義の味方、なのです。

 ううん、正義の味方、なんて言葉じゃ言い表せないくらい、大切な存在なんだ。

 だから、もうしゅんちゃんに迷惑なんて掛けたくない。

 だからあづさは――























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