#15

「ところで、エスくんはなんで、えっとー、七羽さんをしゅんちゃんに会わせようと思ったのー?」


 少しの沈黙の後、あずさが切り出した。


「確かにそうだな。何か俺に話したいことでもあったのか?」

「私からは何も。こいつがどうしても峻平くんと私を会わせたがってて。いったい何のつもり?」


 エスは岸井さんに質問され、口の下に手を当てて少し考えるようなしぐさをする。


「んー、拙者的にも特にこれを話してほしいってことはなくて、なんかしゅんぺーどのとななはどのって話したらどういう化学反応引き起こすのかなって思ったっていうかなんというか」

「なんじゃそりゃ」


 思わずツッコミを入れてしまう。


「特に話題も提供せずに初対面の人と話してくれって、まじでないと思う」

「でもそれが拙者らしいでしょう?」

「まあね。じゃあ峻平くん、きみに質問があるんだけど、いい?」


 俺は頷いてみせる。


「この変人に聞くところによると、どうやらきみ、なんかこの国を治めるつもりらしいじゃん」


 俺はエスを見る。

 彼は、先ほど運ばれてきた水をおいしそうに飲んでいる。

 こいつは他人にそんなことまで言っているのか。

 まあそれは事実だし、隠すことでもないのだが。


「はい、そうです」

「ふむん、ならもし、きみがほんとに総理大臣になったりとかして、この国をどういう風にしたいの?」

「全員が笑顔で暮らせる世の中にしたいと思ってます」

「なるほど、具体的には?」

「いじめをなくすことが第一だと考えてます」


 いじめの過酷さについては、去年の今ごろ身をもって体感した。

 あずさがいじめられていたときは本当に大変だったのだ。

 いや、大変だったのは俺じゃない。あずさだよな。



 俺がそう言うと、岸井さんは俺の目を見て少し笑った。


「フフッ、そうかぁ、いじめね。すごい繊細な問題だ。で、そう思うわけは?」

「いじめは被害者はもちろん、加害者や周りにいる観衆や傍観者の心にも傷をつくり、彼らの自己肯定感が低くなってしまいます」

「うん、そうだね。それでそうなっちゃったらみんなが笑顔で過ごせるわけないということですね、分かります」

「理解が早くて助かります」

「いやいやそれほどでも。……そんで、ちょっと私の持論、話してもいいかな?」

「どうぞ」

「私はね、いじめをなくすのは不可能だと思うよ」

「なっ……!」


 俺は驚きのあまり、イスから少し腰を浮かせてしまう。

 いかん、冷静にならなければ。


「……その根拠は?」

「まず、いじめを裁く法律がない。それに、もし被害者が勇気を振り絞って『次いじめたらお前を殺すぞ』とか言ってきたって、実際問題、人間ってまあまあチキンだから殺されることなんてそうそうない。さすがに1000パーセントないって言ったらウソになるけど」

「出た、千分率」


 エスが横からチャチャを入れる。


「あんたは黙っといて。……だからいくら悪口言いまくって被害者が嫌だと思っても、暴力振るってケガさせたり、お金奪ったりしなければ、加害者にとってノープロブレムってわけ。ここまでおけ?」

「でも、名誉棄損で訴えたら――」

「状況証拠不十分で負けるに決まってるでしょ。被害者さんが毎日ボイスレコーダーで会話の内容保存してたら話は別だけど。そんなん普通しないし、してたとしても加害者さんが『冗談で言ってるんですけど何か?』って言ったらそれで終了。いじめってどっからがいじめでどこまでが冗談なのか本人たちにしか分かんないからね。しかも被害者と加害者の認識にもズレがある」

「だったら、いじめを罰する法律をつくれば――」

「それも無理。今、言ったように被害者と加害者の認識にはズレがあるからそんなんつくりっこない。それに、そんなんつくったら世の中からブラックジョークが消えてさぞかしつまらない世界になる。私はそんな世界に住みたくないなあ」

「ななはどのの脳の中の9割は悪口と屁理屈でござるからね」

「あんたは黙っとけっつったでしょ」


 茶化すエスを岸井さんは睨みつける。


「おお、こわっ。黙ります黙ります。でも、言いすぎないように頼むでござる。今日の相手は拙者じゃないので」

「分かってる。……ごめんごめん、続けるね」


 岸井さんは俺に向き直る。


「人間っていうのはさ、自分たちが思っている以上に弱い生き物なんだよ、峻平くん」


 急にこの人は何を言い出したのだろう。


「自分のことを忘れてられるのが嫌で、みんなにすごいって言われたくて、みんなから認めてほしくて、誰かから『生きていていいよ』って言われなくちゃ生きていけない。仕事柄、私はいろんな子の話を聞くけど、みんなそう。自分自身を認めてもらいたいの。視ればわかる。人間はしょせん、そんな弱くてもろい生き物なんだよ」


 そういえばこの人、カウンセラーだってさっき見た名刺に書いてあったな。

 でもそんなに、人間って弱い生き物なのだろうか。

 岸井さんは話し続ける。


「だからみんなで支えあって生きていく必要があるんだって、私は思ってる。でも、誰かから認めてもらうためには、自分はだれだれよりもすごいんだぞってことを証明しないといけない。そのためには誰かを蹴落とさないといけないんだよね。さっき『みんなで支えあって生きないと』って言ったのと矛盾してるけど、これは紛れもない事実。それで、自分が強いことを証明するために弱そうな子を見つけていじめる。そうすることでみんなから『この子は強い』って認められる。加害者さんにしてみれば、いじめは自分が生きていくための手段なんだよ。これが二つ目の理由」

「そんな……いじめなんかしなくても、誰かから認めてもらえる方法はあるはずです」

「考えてみるとけっこう少ないよ。スポーツやってる子とかは大会でいい成績をとればいいけど、そんなめっちゃ必死に何かに取り組んでる子ってそうそう多くないし」

「だとしても、人間は始めから親から自分自身を認められている!」

「みんながみんなそうだと思ってるなら大間違いだよ。親から虐待を受けてる子だっているし、そもそも親が亡くなって会ったことすらない子もいる。いじめはそんな恵まれない子が引き起こす可能性が高いんだ」

「でも! 俺は両親が死んでいても、誰かをいじめてまで認めてもらおうだなんて思ったことは一度たりともない」

「それはきみがそれなりに恵まれてたからでしょ」

「ちょっ、ななはどの」


 横からエスが口を挟んでくる。


「だからあんたは黙れって」

「今のは聞き捨てならないでござるよ。ご両親が亡くなってるのに『恵まれてた』だなんて、それはさすがに」

「あ……」


 彼女は気まずそうにこちらを見て、頭を下げた。


「ごめん……いつのまにかムキになってた。ほんとごめんなさい」

「気にしないでください。俺も少し熱くなってた」

「二人とも冷静に話してほしいでござる」

「そうだよー、せっかくお友だちが増えたんだから、あずさはみんなで仲良くしたいのです」

「そうだな、すまない。あずさ、エス。……それじゃ岸井さん、話の続きを」

「ん? えっ? あっ、話していいなら話すけど、えっと、どこまで話したっけ……あ、それでね、とにかく恵まれない子たちがトラブルを起こすケースが多いの」

「そういう子たちにこそ、あなたみたいなカウンセラーが話を聞くべきなのでは?」

「もちろん、そうしてる。でも私たちにできるのはそこまでなんだよね。とにかくその子が思ってることを話してもらうことしかできない。あんま神経を逆なでさせちゃいけないから、けっこう踏み込んでアドバイスしたりとかもできない。もちろん、いじめを止めることなんてできっこない。ほんと、つくづく無力だなって思うよ」

「でも、そんな子たちにもきっと清い心があるはず。そんな正義を大事にすればきっといじめは――」

「正義、か……。まるで、どっかの誰かさんを見てるみたい」

「一体、誰のことです?」

「正義のヒーローになりたがってる友だちがいるんだ。まあその話は置いといて……じゃあ峻平くん、きみにとって――」


 彼女は一度、瞬きをする。

 そしてまた俺の方を見る。

 彼女の蒼い右目にすべてを見透かされているような錯覚に陥る。


「正義って、何?」

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