#4

 2024年9月20日金曜日、川崎市中原区、スクエアタワー最上階にて


 授業が終わり、頭痛薬を買って帰宅した。



 俺の住んでいるところは、武蔵小杉駅前のタワーマンション『スクエアタワー』の最上階である。

 なぜ俺がそんな家賃の高そうなところに住んでいるかって?

 それはもちろん、俺はいずれこの日本の支配者になるから――

 ――ではなく、ひかりとあずさの両親のご厚意によるものだ。

 7年前、父親を病気で亡くしてから、俺は小杉家に居候させてもらっている。

 ちなみに母親は俺を生んだ時に亡くなったらしい。

 小杉家は代々、この土地の大地主だ。

 まあ、言ってしまえば大金持ちである。

 故に、こんなところに住んでいても全く問題ないということだ。

 普段、この家には俺、ひかり、あずさの3人で暮らしている。

 パパさんは鉄道の運転手として、ママさんはCAとして、全国各地を飛び回っているため、なかなか家には帰って来ないのだ。

 そんな家庭事情なのに、小杉家の皆さんはよく年頃の男子を引き受けたな、と毎日のように思う。





 玄関のドアを開け、呼びかける。


「おーい、あずさー」


 返事がない。

 まだ帰っていないのだろうか。

 いや、そんなはずは……。


「あずさー、いないのかー」


 家の中を一通り捜してみたが、姿はなかった。


「あいつ、どこ行きやがった」


 薬にでも買いに行っているのかも。

 スマホの通知を確認する。

 特に連絡は来ていなかった。

 いや、正確に言えばのぞみから着信を受けていたようだが、それどころではないので今は無視。

 とりあえず捜しに行こう。

『フリーダム』とかにいるかもしれない。

 靴を履いて家を出ようとしたその時、ドアが開き、あずさが帰ってきた。


「おー、しゅんちゃん。帰ってたんだね。やっほー☆彡」


 いつも通り挨拶してくる。


「あ、ああ。今帰ったところだ。もう平気なのか? 体調を崩して早退したと聞いたぞ?」

「……え? 誰から?」

「のぞみからだ。『お大事に』だと」

「……そっか。感謝感謝、だね」


 やはり少し表情が暗い。

『フリーダム』の時よりも。

 ――て言うかこいつ、目が真っ赤に腫れてるんですけど。


「……あずさ、何かあったのか?」


 ひかりとの共同部屋に行こうとしていたあずさに声を掛ける。

 彼女はびくっと肩を震わせて、それから振り向いた。


「……急に話しかけられてびっくりしちゃったよー。えっへへー」

「何かあったのか?」

「なんにもないよ? 頭痛かったけど寝たら治ったの。だからお散歩してきたんだよ」

「目、腫れてるぞ。泣いてたのか?」

「えっ?」


 あずさは咄嗟に手で目を隠す。


「泣いてたんだな?」

「そ、そんなことないよー。あづさは今日も元気いっぱいなのです」

「おいおい、頭痛かったんだろ?」

「……そうでした」

「………」

「………」

「………」

「……もしかして、心配してくれてるの?」

「し、心配などしていない! ただお前は我がいもなのだ。管理する義務と責任がある」

「そっかあ。心配してくれてるんだね。うれしいなあ」

「ぐっ……」


 こいつもしや、人の心が読めるのか?


「でもね、しゅんちゃん。あづさは大丈夫だよ」

「……だが…」

「ねえ、覚えてる? しゅんちゃん」


 急に問いかけてくる。


「何のことだ?」

「もう、5年くらい前、あづさが悪い人に連れていかれそうになった時のこと」


 ああ、そのことか。

 鮮明に覚えている。

 確か俺が中1の時だから、5年前のことだ。

 5年前の夏、俺とひかりとあずさで近所の夏祭りに行った。

 その時、当時まだ小学校5年生のあずさが迷子になってしまったのだ。

 俺とひかりで、人ごみの中をあてもなく捜し回った。

 そうして見つけたあずさは、黒い服にサングラスの、絵に描いたような誘拐犯に連れていかれる寸前だったのだ。


「あのとき、あづさのことをいちばんに見つけてくれたのは、しゅんちゃんだったよね」

「ああ、そうだったな」

「あづさね、あのときとってもうれしかったんだ。しゅんちゃんがあづさを見つけてくれて、おっきい声で大人の人を呼んでくれて。あのときからしゅんちゃんは……ううん、なんでもない。とにかく、しゅんちゃんのおかげで、あづさは今もこうしていられるんだよ。ほんとに、ありがとう」


 あずさはペコリと頭を下げる。


「……どうした急に」


 あずさは顔を上げると、俺の言葉なんて届いていないかのように話し続けた。


「それからしゅんちゃんは、お姉ちゃんといっしょにずっとあづさのこと見守ってくれて、ちょっとでも元気なかったりしたら心配してくれた……でも、でもそんなあづさももう、高校生なのです」

「……本当に、時が経つのは早いものだな」

「そうだね……」

「………」

「とにかく、あづさももう子どもじゃないのです。だから……」

「だから?」

「だから……」




 玄関からガチャリという音がした。


「ただいまー」


 ひかりが帰ってきたようだ。


「おー、お姉ちゃんおかえりー」


 あずさはいつも通りの笑顔を振りまく。

 でも今日はなぜだかその笑顔に切なさを感じてしまう。


「あずさ、体調大丈夫なの? 学校早退したんでしょ?」

「うん! もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、お姉ちゃん」

「……でも、連絡くらいしなさいよ。急にいなくなると心配するじゃない」

「そうだぞ。俺はまあいいとして、姉上くらいには連絡しとけ」

「……うん、ごめんなさい」

「ま、元気ならいいんだけど」




 あずさが唐突に「あっ!」と声をあげた。


「そういえば、お姉ちゃんもしゅんちゃんも、もうすぐお誕生日だねー」


 俺は9月27日生まれ、ひかりは10月1日生まれだ。


「なにかほしいもの、あるー?」

「あたしはノートが欲しいな。受験勉強でめっちゃ消費するから」

「えー? ノートなんて100円くらいだよー? お誕生日なんだから、もうちょっと、なんていうか……わーってなるものをあげたいな」

「そう言われても……まあ、考えとく」

「うん、なるべく早く決めてね。遅れちゃうといけないので。しゅんちゃんはなにがいい?」

「俺か? 俺はな……」


 むう、欲しいものか……

 そういえば、夜コンタクト取った後、見えにくいんだよな。

 そもそも俺、メガネ持ってないし。


「掛けただけで世の全てが見通せるようになる、かの文豪、中島敦も使用していた霊験あらたかな――」

「メガネねー。度数は?」

「あまり強くないのを頼む」


 ひかりが呆れたような顔でこちらを見ている。


「度数って自分で合わせないと意味ないのでは?」

「俺は忙しいのだ。買い物などに構ってられん」

「あそう……」

「というわけで、プレゼント用意しとくから、期待しててねー」




 ひかりとあずさが共同部屋へと入っていく。

 不意に、あずさが振り返って言った。


「しゅんちゃん、いつもごめんね」


 なぜ謝られるのだろうか。

 全く訳の分からん奴だ。


「だから、何度も言っているが、お前を監視するのは俺の義務なのだ。お前は何も気にせずにいればいい」


 とりあえずそう答えておいた。


「……うん」


 あずさは曖昧に返事をして、部屋へと入っていく。








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