第3話 巣

 ベンジャミン湖転落については、あまり騒ぎにならずに終わった。

 命に別状はなく、彼はいたって健康だと祖母から言われた。私が羽をしまうよりも早く彼は回復し退院を果たした。

 私はというと、部屋に引きこもりけがの回復を待っていた。それと同時に、この羽の存在がバレてしまった恐怖と戦っていた。この羽が原因で私は両親と離れて暮らしているのだ。化け物が生まれたと母がわめていたのを覚えている。母が投げた皿の破片が己の羽に当てたとき、回復に時間がかかったのを思い出した。ベンジャミンのおかげで忘れていたのに。

 見舞いに来てくれたベンジャミンは羽についてはあまり触れずに

「この事件は僕らだけの秘密だ」

と笑った。

「秘密にするの?………別にいいけど」

「オルベーテと僕との秘密だ。初めてだな、二人だけの秘密ってのは」

 その後も私たちの間にこの事件以外の秘密は交わされていない。簡単で一時の秘密ぐらいはあったが、それらは全てお互いが忘れていたりする。私の羽に関してベンジャミンは覚えているのか、意識が朦朧としていたからか覚えていないのか分からない。聞く勇気もない。

 けれど私は黒い羽を羽ばたかせ、水中に上半身を潜らせたとき、ベンジャミンと目が合っていた。青い瞳がこちらを見つめて、苦し気に歪んだ表情になっていた。

 十二歳のベンジャミンと、十二歳の私だった。あの湖に残っている記憶は。



 外は雪が降り始めていた。

 冷えた空気に私は震えながら紅茶を口にする。受話器からはベンジャミンの軽快な鼻声が聞こえてきていた。

「やはり廊下は冷えるね」

「お茶にしようと言ったのは君からだろう?」

二人で笑う。

 彼との会話は昔と変わらぬ空気だった。変わっていないことに安堵し、安心していた私は、彼との仲が深まったきっかけである黒い羽を背中から生やす。昔よりも艶を失った黒い羽はまだ僅かに力が残っている。

 破れた服の破片が足元に落ちる。

「まだ空が恋しいみたいだよ」

「君は昔からそうだな。時折寂しそうに空を見上げる」

「気づいていたなら言っておくれよ」

「ははは。許してくれ。言ってしまったら傷つけてしまうと思ったんだ」

 ここまでくると秘密は守られているのか分からないが、私たちはあの時に戻っていた。暗く明るい過去に。

「また空でも飛ぼうか」

「そりゃあいいな!待っているよ僕は」

 電話で会話しているのは老いた男性ではなく、あどけない少年であった。

 もうすぐ春が来るだろう。

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幼鳥 日永田 朝 @haka_na

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