問われる意義、継がれる意志。
◆
蒼天に薄くかかる白雲は、遥か彼方の紅鏡より射し込む光を程良く中和する。昼の市場の顔触れは大して変わらず、客寄せの音頭が絶えず響いていた。
しかして、通りより外れた路地裏に一歩を踏み入れた瞬間に、尊ぶべき表通りの喧騒が遮断されたかの如き陰鬱で鈍重な空気が身を包む。裏通りという物はやはりどうにも肌に合わない、と改めて自認した。己は案外喧騒の最中にいるのが心地良いのだ。
「とは言え、取れる手立てに余裕は無いからな」
サカキの手に掛かった五人の死体は、一度研究機関で魔術回路を使用不可にし、死霊術の対抗術式を刻んだ上で遺族の下に送り届ける手筈らしく、その報告書が出来るまで死体の状況を詳しく知る事は出来ない。魔薬の真贋及び新旧を確認出来れば流出元の特定に役立つ筈ではあるが、今はまだそれは出来ない。
とは言え、足踏みしてもいられない。こういう時に使えるツテの数は、勇者のリーダー格としてかなり多いのだ。
路地裏の、隣り合う建物の形の兼ね合いでポッカリと空いたスペースに、ソレはあった。
使われている建材は不揃い、規格なぞ知った事かと言わんばかりの雑な造りで、柱などはそれでどうして崩れないのか不思議に思う程に歪んでいる。出入口に当たる場所には黒の襤褸布が垂れ幕代わりに備えられており、微かに流れる風に時折揺らめく。
正常な感性の持ち主なら、コレを人の住む住居とは思わない。そんなボロ小屋以下のナニカが、これから訪ねる勇者の棲家である。
襤褸布を片手で払いながら頭を中に突っ込めば、壁に釘で打たれた紋様付きの紙片の中央に——灰色の毛玉が鎮座していた。
「今いいか、クルス」
「……ん? あぁ、イクスの旦那ぁ」
毛玉から若い男の声が上がる。次には毛玉が三つに分かれ、黒地のゆったりとした造りの——極東に特有の——服が見えた。
毛玉は尾だ。獣人に特有の尻尾が三本、連なって固まっていたのが丁度特大の毛玉に見えていたのである。とは言え、此処まで一本の尻尾の面積が大きい獣人はそういないのだが。
振り向く黒髪と丸眼鏡。『親しみやすそう』と評される柔和な顔の作りをしている青年は、その頭頂部でぴくり、と灰色の狐耳を跳ねさせた。
「なにか、ウチにお呼びが掛かりましたかな? 精霊蝶の収集ノルマなら既に此処に……」
「——君の手帳を借りたい」
「……おや、そっちの能を御所望ですか」
『鉛』の勇者、クルス。狐の獣人族であり、惑乱の術を得意とする魔術師。
こんな辺鄙な場所に居を構えている事からも何となく知れようが、勇者の中でも変人の枠に入る。勇者の中でも特一等に奇異な力の持ち主であるが、感性もまたそれに違わぬ奇特振りである。
が、今回の様な暗中模索の状態にある案件を探るには打ってつけのスキルを保持している。
彼が勇者として担ったのは情報屋。無数に使役する『シキガミ』と呼ばれる細かな紙人形を使った広範囲索敵技術を国の情勢把握に利用し、怪しげな動きを逐一憲兵に伝達する。
彼一人の活躍で、未然に防げた事件は数知れず。因みに実働員として良く駆り出されていたのがサカキである。
「君も知っているだろうが、サカキが此処を出る前に起こした事件、アレの情報が知りたい。魔薬の出所、犠牲者五人の共通点、仕入れ先……兎に角全てだ」
常に国全体を見て回れている訳では無いが、シキガミ達による情報収集速度は飛鳥のソレだ。一度放たれたなら、玉石混淆の情報が一挙に脳に溢れる。
その脳の酷使による疲労から、クルスは昼夜問わずに寝ている事が多い。今回起きている時に訪問出来たのは幸運だった、彼が起きているのは精査の終わった情報を手帳に書き留めている段階だからだ。
故に此処で核心に至る為の情報が手に入ると、イクスは殆ど確定に近い期待をしていた。
「既に調べています。結論から言うと、出所と仕入れ先は分かりませんでした」
「……それ以外では、何が」
「五人の身元と、各人の適性属性のみ」
出鼻をくじかれた、と一瞬感じた。得られる情報の少なさはそのままこれからの捜査に対するペナルティとなる、虱潰しという名の総当たりが生む遅延はバカにならない、と。
しかし、明らかな違和感。それは能力に裏付けされた自信の様なもので、彼の能力に対する信頼が浮かび上がらせた疑念であった。
「君のシキガミがそこまで情報を落とさない事は有り得ないと、そう理解するが」
「察しが早い様で……。——王都付近に飛ばした物が幾つか制御を離れました。私のシキガミの捜査許可範囲よりも外での出来事です」
「
「何度か周囲を走査させましたが、どうも王都北東部に近付いたものが重点的に墜ちている。明らかに狙い撃たれてますよ、これは」
王都の中央、即ち王宮に対し如何なる方法で以ても探りを入れる事は御法度である。勇者であるクルスのシキガミも例に漏れず、また対遠隔術式遮断結界により使い魔や空間接続などの魔術は無効化される。
その間合から外れているにも関わらず、シキガミの術式が弾かれているというのは人為的なものを感じざるを得ない。
匂い立つ。元は平民より取り立てられたイクスだからこそ、その香は強かに脳髄を刺した。
悪意、害意、敵意。
血筋を誇り才に傲る貴族などが、嘲りの笑いと共に滲ませるそれらの邪なる意。
どうしたことか。それがどうにも鼻をつく様な気が、した。
「……その辺りを調べてくる」
「お願い出来ますか」
「あぁ……どうも、胸騒ぎがする」
「シキガミを一体付けておきます。私との連絡用です」
「頼む」
この一連の騒ぎが何を軸としているのか、未だ不明瞭である。下手人は誰で、魔薬の不法流出によって一体何を期待したのか。
偶然そこにサカキが居合わせ、彼自身『悪癖』と揶揄するあの惨事を起こさせる事を誘発させた? そしてその事を理由に彼を追放する為に根回しを——否だ。幾ら何でも偶然に頼り過ぎている。その為に発覚すれば厳罰の免れぬ魔薬の不正売買に手を出すというのは、どう考えてもリスクが高い。
思うに、サカキの介入は連中にとっても想定外の出来事であったのではないか。若しくは計画の中でも可能ならば達成しておくという程度の優先度だったのでは?
ならば最優先目標は何か。この騒動の目的は何処にある、何にある?
下手人は、どんな絵図を描いている?
「……ロクでもない事になりそうだ」
魔薬を使わせる事、それ自体が目的だとしたら。そしてその事で得をする人物を考えれば誰が該当するか。或いはそれで生まれる得は何か。
脳の片隅に芽生えた自問への回答に、しかしかぶりを振って「馬鹿な」と呟く。敢えてその様な戯れを形にする暇があれば、他の事に思考を回すべきだろうと。
——死霊術は、この国でも忌まれる類の術である。死者の魂、その約束されし安寧を己が都合で脅かす事を良しとしない者は多く、禁術指定されていないながらもその研究は遅れている。
だが零ではない。
忌まれ嫌われ疎まれ、それでも停滞では無かった。歩みはあった。
永劫をその身に宿す事か、それとも死者との邂逅の希求か、或いは資源としての活用か。多くの民の忌避とは裏腹に死霊術の使い途は多くが期待され、求道は続いた。最高の結実を求めて。
それを為す一要素に、かの薬はなり得る。遅々とした歩みに呉れてやる鞭となり得る。
嘗ての『彼女』の如く、屍を残す事で。
待望の、垂涎の、材料を残す。
◇
「主任、今日の報告会は何処へ?」
「カルミナ氏の邸宅だそうで。向こうに行く時間は全くもって無駄ではありますが、食事は美味しいのが役得ですな」
「羨ましいです」
「何なら貴方が代わりますか? 私は構いませんが」
「御冗談を。私を追い遣った連中と顔を突き合わせるなど、それこそ食ったそばからゲボ吐きそうになりますよ」
白衣から装いを新たに、他所行きの黒衣。ステッキと黒帽子を携えた男は研究仲間の経歴を今更ながらに思い出した。元より能力さえ良ければ採用する気質の機関故に、来歴などはとんと頭から抜けていく。
元々貴族お抱えの魔術師だったのが、根っからの研究者気質が災いして研究資金を浪費する金喰い虫として放逐されたのだ。腕は確かだが、他魔術師と必ずと言っていい程にトラブルを起こす折り合いの悪さからも人格的に問題ありという評価をされても、まぁ妥当と言えよう。
「まぁまぁ、社交は私もくだらないとは思いますが、意味はありますとも」
「資料渡してお終いにしたいもんですなぁ」
「そうもいかないでしょう。情報の扱いは厳にしなければ無用な諍いを産みましょう。特に『コレ』は」
黒衣の男は白衣の男の背後を指差し、その『情報』を示した。
それは檻だ。研究室の端に縮こまる様に設置された鉄格子は、言われねばそのまま闇と同化しているかと感覚してしまう程に仄暗い。
その向こうに、一対の虚があった。彩の異なる一対が。
全裸の男。その四肢には継ぎ接ぎの痕、色彩の異なる眼球、手足とで色味の違う肌。
そんな人型の、しかし敢えて呼ばわるならば——異形。
例えそれが人の形をしていたとて、あまりにその物体は正常のそれとはかけ離れていた。文字通りのちぐはぐな感は、見る者によっては地が傾く様な感覚を覚えよう。
「我々にはソレでさえ通過点に過ぎません。ですがこの技術を有難がる者もいる訳です」
「……かの死霊術が通過点とは。いやはや、興奮しますなぁ」
白衣の男はケタケタと顎を揺らして哄笑する。殆ど禁忌の様な扱いをされていた魔術さえ踏み台と断じる物言いは、この男には気に召す言い回しであったらしい。
コレで良い、彼に欲しているのはその手腕であり能力。興味を削がぬ様にこの件に当たってくれればそれでいい。
成就の為に、ただそれをこそ望もう。
「……全ては脆弱なる人に、新たな歩みの種子を埋めん為に」
帽子を間深く被り、その内に檻の中より瞬く虚とはまた違う——暗澹たる闇を輝かせ。
男は暫しの合間、表の夜に黒衣を以て溶け行く。
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