払われし血臭、匂い立つ悪意。


 『錆』の勇者、サカキの国外追放処分。その事を報じる号外が配られているのを見た時、『鉄』の勇者イクスは一つ深く息を吐いた。

 街の反応は大きく二分する。彼の対魔獣戦績は圧巻の一言、そんな人物を在野の身にするのは国の損失だ、とする民衆。非常事態であったとはいえ何も躊躇わないどころか市民を死ぬまで弄んだ人物を国が庇護するのは問題だ、とする民衆。

 後者に貴族らが付いた事で、趨勢は大きく傾いた。ある意味彼等は、自らを守る刃の一振りが諸刃である事に気付いたのだ。

 勇者にはある程度の裁量権が与えられている。それが国の利益に帰属し、多くの民を生かす為の選択であるならば、勇者らは各々の判断で行動を起こす事が出来る。

 例えば、鉄の勇者は孤児院の経営、編の勇者は衣料品売り、鋳の勇者は魔道具の流通。

 そして錆の勇者は、町の治安維持。

 国や貴族間の柵に囚われず、ぶらりと現れては各地の揉め事を解決する。くだらない酒場の喧嘩を仲裁したり、魔薬の違法取引を摘発したり、と。

 自らの事を根無草と嘯くだけに、その足取りは軽かった。利権に塗れた薄汚い泥の口腔に散歩気分で飛び込む事さえ、何の事も無いかの様に。


『正しくある事は難しいが、正しくあろうと努力する事は案外簡単であろう。 結果が伴うかは、まぁ、まちまちって所だがな』


 その点、今回彼がした事は正しい。国民の魔獣化を事前に防いだだけでなく、もし彼がこの件に関わり続けていたのなら、過剰量の魔薬を市井に流す存在をも暴き出して見せただろう。

 結果として、国民の血でその刀を濡らそうとも構わずに。

 

「……難しいな、サカキ。正しさの為に招く混乱に、きっと君は何も顧みないのだろうけど」


 出来るなら、剣を取る事を避けて生きていきたい。争いに巻き込まれず、穏やかな時を過ごしたい。

 既にこの身は己一人の物ではないのだから、我が身が可愛くなるのは当然とも言えた。


「行くか」


 しかし時は来た。今一度服を整えて両開きの扉に向かい合う。

 此処は王宮。国の中央に位置し、全ての国民が首を垂れるべき方が存する御所。

 ノウスルーツ王国の国王が、この先にいる。












 扉の先には大広間がある。赤の生地に金の刺繍を入れたカーペットが部屋を貫き、その両脇には七人ずつ金属鎧と大槍で武装した近衛兵が並び立つ。

 その先に、彼がいる。

 椅子に左肘を掛け、此方を射抜く様な琥珀色の視線には猛禽の如き鋭さが宿る。蓄えた白髭に魔石をあしらった冠、右手に握られているのは一際大きい翡翠鈺が先端に嵌ったロッド。

 あの御方こそ、ノウスルーツ王国第六代国王、エドワード・ノウスルーツその人である。


「『鉄』の勇者イクス、此処に参上致しました」

「うむ。こうして顔を突き合わせるのは、随分と久しぶりに思える。息災か、イクス」

「はっ、有難き御言葉、謹んで頂戴致します」


 跪き、社交辞令を口にしながらも、心中己を度し難く思う。今から己は保身に走り、この口はかつての仲間をまるで唾棄すべき物であるかの如く罵らなければならないのだから、腹の底に黒い感情が溜まるという物だ。

 勇者の中でも監督的存在であるイクスは、有事の際に他の勇者らを率いて行動する役目を担っている。王国の魔法学院で『戦略・戦術単位の魔法運用』部門首席の実績があった為、何かと能力に癖のある勇者達を指揮する役を与えられたのである。

 それは同時に、勇者内での不祥事に対し先立って対応する事を求められるという事でもあった。詰まる所まで詰まれば、今回の件はイクスの監督不行届として処理される可能性がある。

 今回此処に召喚されたのは、『説明責任を果たせ』という事だろう。

 その為に用意した幾百の言葉は全て、これより封じ込める良心に悉く刃を突き立てて行く事が確定していた。


「此度、お前を呼んだ理由。察しが付くな」

「はい。この度は、『錆』の勇者サカキの狼藉に歯止めを掛けられず、誠に申し訳なく——」


 友の行いを貶す言葉がするりと口から出た事に、自嘲と自責が一挙に腹の中で氾濫する。その事がこの鉄面皮を微塵も動かす事はないが。

 彼ならば、『仕方ない』と一言に吹いて笑って許しを呉れるだろう。その確信がある事が余計にこの身の卑しさを際立たせた。


「奴の処遇について。お前はどう思う」

「……妥当な判断かと」

「それは公としての言葉か? それとも私としての言葉か?」

「……」

「答えよ」

「……今回の件で、彼は国民の不安の種となってしまいました。遅かれ早かれ、多くの者が彼を糾弾したでしょう——国に奉仕する『勇者』として、それを無視する選択は出来ません」


 そうとも、これは仕方なかった。優先されるべきは己の情ではなく、国の利。ひいては国民の平穏である。それに専心する故に我が身は『勇者』足り得る。

 力ある者が力無き者の盾となる。それこそは己が心底より『そうであれ』と望む在り方。

 滅私奉公の先に、国の安寧があるのなら——友を切り捨てる事さえも、躊躇ってはならない。その覚悟無くして、勇ある者の名を冠する事は許されない。

 本心と建前の奇妙な一致に心中で呻いた。これでは、本当に彼を放逐した事が妥当であると思ってしまっている様ではないか。

 一人自己嫌悪に蝕まれる傍ら、しかし王は低く重い響きながらも一抹の優しさを含む声音で語り始める。


「……私は、初めてあの者を見た時にこう思った。いつの日かこの国が起こす間違いを、アレはそれは綺麗に斬り落としてくれるだろう、とな」

「それは、どういう」

「魔術の祖たるこの国の歴史を紐解けば、それはそれは多くの者が魔の魅力に取り憑かれて来た……『王国の書』第一章第一節には、何と書いてあったかな?」

「……『魔は我等が組み敷き、御するべき物である。法理を以て己を守り、深淵に呑まれずにその腹を探れ』」

「読み飛ばされがちなのだがな。過去多くの偉大なる魔術師らの積み重ねにより、この国の者は魔術を使える事が当たり前となって来ている。だから更なる位階へ、更なる高みへ至ろうとする者もまた多い。そしてその結末は既に示されている——破滅だ。嘗てこの国に大穴が空いた様にな」


 第三代国王トーマス・ノウスルーツの代にて、とある高名な魔術師が世界の根源に迫る事を目的とした研究をしていた。

 そも、この世界は何故成り立ったのか。零より壱に移行したその間に何の要因があったのか。何もない空間に金を生成する様な、荒唐無稽とも言える現象がこの世界の原初に起こったのは間違い無いのだ。その原因は何か、それを探るのが彼の目的であった。

 何者も到達叶う事の無かった未知の探求、その果てに鎮座する真相へ至る事こそが彼等の望みである。そんな希求に背中を押され、魔術師は遂に『其処』に至った。

 結果、彼の庵と周囲の空間は『虚無』に呑まれた。跡形なく、何かが在ったという痕跡さえ残す事なく。

 その時確認された力場の残留素因は魔力に似て非なるものであり、しかし敢えて言うならば『力』という言葉をそのまま形にしたかの様なモノであったと言う。

 以来、世界の根源に迫る事を目的とした試みは厳しく規制されている。


「魔術師の性は、時に開いてはならない匣を開けてしまう。偶然であるならまだしも、確かな悪意を持ってそれを為す者がいるのなら対処すべき事案だ」

「……確かに彼なら、事が起こる前に迅速な解決を図れるでしょう。は勇者の中でも随一でしたから」

「民草の間で活動する、魔に囚われず武を備えた調律者バランサー。私が勇者となった彼に『錆』を冠させたのは、魔の完全性の否定という意味合いもあったのだよ」

「『金への道は未だ遠く、未だ我等に錆より逃れる術は無し』、ですか」

「その通り」


 王国の書、終章の一節。『完全にして無欠たる領域に踏み込む事は決して容易ではない』と続く。

 錬金の術に於ける最終到達点は金。其処に至る過程に位置する卑金には、容赦なく浮き上がる物が錆。転じて示すは『完全』に至るまでは常に忍び寄る腐食の可能性である。それは力への堕落や耽溺を戒める、魔導を追い求める者に対する警告でもあった。

 それは確かに、今ある魔術の限界を示すものだ。魔術至上主義者が常日頃より主張する程魔術は万能ではない。彼等の論調で言う所の『魔術を使えない欠落者』でありながら、あの男は竜にさえ勝って見せた。

 許し難く思う筈だ。彼等の価値観に於いて、それはあってはならない事なのだから。


「我々は立ち返らねばならない。本来我等が魔を利する様になった理由は、外敵より家族を守る為であるという事にな」

「だから、魔力霧散障害の彼を重用したという事ですか? この国の絶対の価値観である、魔術至上を覆す為に」

「そうだ。この国を覆う手段の目的化に抗するならば、彼以上の適任は居なかった——故に、今回の事を残念に思う」


 眼の鋭さが、何処か所在なさげに揺れる。王としてこの国を治める立場故、常日頃より良き治世を追い求めているであろう彼の弱音とでも言えようか。

 為政者の切り札は多い程良い。不測、内応、災害、備えるべき事態に対し底を見せない様立ち回る事は、多くの人間の上に君臨する者には不可欠なものだろう。

 しかし望む方へ国を導く為の札は、得難いものである。その一つを失ったのだ、彼にとっては数字以上の損失であると考えられる。

 故に、心中嬉しく思う。


「……私も、残念に思います」

「それは、公人としての言葉では無さそうだな」

「はい。彼の友として、イクスという男が送る言葉です」

「——そうか」


 民草を守り、その為に立場など顧みなかった友人の為した事を、王は認めてくれていた。彼を正しいと言ってくれる何者かの内一人が、この国の王であるのだ。

 誇らしく感じるのは、少し図々しいだろうか。

 

「……さて、本題に入ろう。君に頼みたい事がある——『錆』の代わりに、今回の件を探ってくれないか」

「——王の御心のままに」


 彼の行いを侮辱する必要は無くなった。彼の正しさを否定する理由は無くなった。

 此処に至り、己が身を今一度賭けるに足る目的を再認した。

 ——友の正しさをこの身が証明してやる。











 ノウスルーツ王国魔術開発部門の所有する研究所、その地下三階。最重要研究施設たるこのフロアは、入場する事さえ難儀である。

 唯一の入口である扉に何重にも張り巡らせた魔術防壁は、複雑化した手順を踏まなければ実質通過不可能と言われる仕組み。オドとマナの循環吸収効率が高位の魔獣程で無ければ、突破に要求される術式の維持及び発動に必要な魔力を捻出する事が不可能と言われる設計。

 これをパス出来るのは、魔術師としての素養に恵まれた人間に限られる。それは国内に一定数いる所謂『過激派』らが至上とするような人種が此処にいる事の証左でもあった。


「回路は開き切っている……制御を離れた魔素は抜けていますが、寧ろ好都合と言えますね」

「奴は本当に死体を弄んだだけなのでしょう。恐らくは初撃の時点で此奴らは絶命していた、術式を立ち上げるより先に殺されたと見て良い」


 人間大の試験管が五つ。中は薄緑に発光する液体で満たされ、それぞれ各部を糸で縫合された跡が散見される人間の身体が浮かんでいる。

 『錆』の勇者の手に掛かった民は、魔薬の過剰摂取が原因の魔力循環不全を起こす一歩手前であった。死体の損壊状況は酷いが、経路レイラインがそこまで崩壊していないのは、彼が魔力に干渉する術を持っていない故であろう。

 目論見通りである。都合の良いサンプルが手に入ったと同時に不穏分子の排除も出来た。一挙両得というものだ。


「ただ、コレを使っても『無垢の魔女』の再現になるか……」

「無理でしょうねぇ、そも優先される属性が皆無である事が肝要ですから。特別なのはアレの『始原』が限りなく虚に近い——簒奪される物が無い事であると言える」

「コイツらも、奪う価値があるものを持っているとは思えませんが」

「『ある』と『ない』の間には大きな隔たりが横たわっているのですよ。例えそれが私達には塵芥の如き物でも、ね」


 だからこそ、アレは虚に反応しない。奪うモノが真に皆無である人形を前に、アレの能は機能しない。

 凡ゆるモノを奪う簒奪と、奪われるモノを持たない虚無。それらを引き合わせる事で、我々の切り札が一つ出来上がるのだ。


「かつて散逸した『簒奪』の勇者の刀……あれの封印術式は当時最高峰の術師が即興で施したモノ……資料もないから術式追跡も出来ない」

「重要参考物として保持すべきでしたね。あんな物、幾らでも取っておく理由があったでしょうに」

「当時は彼女が起こした災害の爪痕がありましたから。あれは厄介払いされたんですよ」


 勇者制度の始まり、この国の黎明期。魔獣らの脅威が今日より凄まじいものであった頃に活躍した『最初の八人』、その一人。

 自己に埋没した原初の衝動を掘り起こし、人の身にて世界の根源から力を引き出した女刀術師。

 『簒奪』の勇者。魔獣と人間との間で勃発した生存戦争の折、その能で多くの魔獣を弱体化させながら己を強化し、しかし最後には人の身には余りに膨大な魔力の奔流に肉体を食い尽くされ、皮肉にもこの大戦の中で最も強大な魔獣と成り果てた。

 その力、渇望、妄執があの刀には籠められている。封じられた、と言うべきか。

 

「あれもまた、この国の怠慢……進化無くして人間は生き残る事は出来ないという歴然とした事実に蓋をした愚行」


 そんな忌物も、使いようによっては丁度いい火種となり得る。

 この国で平穏に胡座を掻く間抜け共の眼をこじ開け、世の摂理を今一度目の当たりにしてもらう為の災厄として。


「新たな進化を導く為に、地獄を作り上げるとしましょう」


 暗躍。そしてその企みは、間もなく実を結ぶ事となった。

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