懐古、或いは背負う厄介。


 『死人に口なし』とは、己が物心ついた時には既に側に居た老爺の口癖であった。それは盗みを働く時の方便であったり、多くを静かに殺す時の策であったりする。兎も角その文言を免罪として、時に己を伴って悪業も悪事も積み重ねて来た物だった。

 その首が荒縄に通されるまで。

 浅慮であった。修めた剣技を過信し、捻った策謀を過信し、持った悪運を過信した。

 その国の最重要研究対象を盗み、極秘裏に隣国へと渡し奉る。約束された額は、己も伴って悠々自適に暮らせる程の物だったらしい。

 民衆に罵声を浴びせられ、役人は塵芥を見る目で糞尿を垂らす屍を眺めている。

 正しく因果応報、悪因は悪果となりて応報した。惨たらしく嘲笑の鏃に穿たれし隣人を暫時どんな目で見ていただろう。

 そうして、一つの気付きを得た。


「なんだ、『死人に口なし』なんて嘘だったじゃないか」


 今や、自らがそれを体現していた。言葉無くとも、口や舌が飛び出たまま動かずともしていた。形に残る物でも、そも遺そうとして遺してくれた物でもないだろうが、その有様は瞳の内にこびりついた。

 死は恐ろしく、平等に生を奪い去る。

 だが遺していくものがあるのなら、そう悪い事でもない——そんな戯けた妄念を、今でも己は信じている。










 刃金の鋼色と、赤鎧の茜色。

 刹那の間にやり取りされた撃剣と拳打は、優に二十を超える。


「オオオオォォッッ!」

『————ッ!』


 左の正拳突きを左に体軸を外す事で躱し、反撃の唐竹割りを兜に放つ。それを彼方は右足を引いて半身となる事で回避、勢いそのままに身体を捻りつつ跳躍、右の後ろ回し蹴りが頭を跳ね飛ばさんと襲い来る。屈んで空気の唸る音を頭上で聞き、地に着く前の左足を狙う。払えば転倒は免れぬ——が、その左足が後隙を埋める様に槍の刺突の如き鋭さで蹴り出される。まともに受ければ骨の二、三本は覚悟しなくてはならない、峰を盾にして衝撃を緩和しつつその慣性力を利用し後退、間合を取った。

 ほんの数瞬の間である。


「うくくあはあはははははァァッ」


 すかさず転身、再び互いの間合へ。斬り殺し、殴り殺される領域へ。無窮にして生命に不可分な死の虚、その淵へ。

 全身を彩るは悦び。振るう刀に篭るは殺意。我が意は研がれ、尖り、その宿願は今存分に満たされている。

 袈裟、逆袈裟。踏み込み、左薙ぎ。

 裏拳、鎧受け。半歩退き、左正拳。

 対手の一手一手に即応する均衡。どちらかが受け手を誤れば趨勢は一瞬で傾く。

 我方が彼方に優越する要素は何か。逆に彼方が我方に優越する要素は何か。

 狂笑を吐きながら肝心な所はきっちり考えられるこの頭が、髄まで血臭に染まり切っている事を呆れつつ、感謝した。


「シィィッ!」


 歯列から呼気が滲み出る。己が刃圏、支配が可能である間合より、更に内。鎧の懐へ。

 踏み込む。同時に姿勢は低く、下段の構え。長刀が利する所はなく、同時に拳もまたこの場での対応に向くとは言えない。

 故に、狙いはそこ。


『……ォオッ!』


 来た。右の膝蹴り。体格差に加え低く落とした姿勢、後の先を取るなら足技、もっと言うなら膝蹴りが最適。頭の高さを考えれば、己の顔面はとても蹴りやすい所に位置している。

 迫る膝頭。それに応じるは、刀刃では無い。


「カァッ!」


 破砕音。骨では無い、もっと硬質な物が砕けた音。

 柄頭。それが膝蹴りを迎え打ち、装甲を破砕した。膝の皿までを割る事は出来なかったが、鎧に浸透する衝撃は骨身までを貫き、暫時動きが鈍る。

 絶好の、斬り間。

 半歩を瞬時に退き、構えるは大上段。

 対し、彼方は意識を膝ではなく此方に切り替える事に成功した様だ。

 僅かな腰の捻りで放つ、左仰打アッパー


「ッチ……!」

『オォッ!』


 膂力では彼方に軍配が上がる。真正面からかち合えば此方が不利。空の唸りが、後退する足裏が土を擦る音を掻き消した。

 舌打ちは無意識、されど不快の感は露ほども無い。成る程そうくるか、まだ楽しめるのか。

 返礼は、我が剣技で。


「疾ッッ!」


 更に速く。この身が可能である限界速度まで。刃に籠めた殺意を微塵も隠さぬ。彼の者の練達ぶりを見るに、それは此方の企図を晒す事と同意と確信しつつも。

 構えは上段、向こうは先と同じ仰打の姿勢。今度は更に万全の体勢、打ち合えば確実に刀が折れる。彼方もそれを狙っているらしい。

 元よりそれに付き合うつもりは無い。それに些細な相違はあれど、この身がこれから為す技には十分許容の内。

 交錯する。剣と拳、上段と下段。

 刀が突き上がる拳を——擦り下がる。そのまま鎧の左側を、肩部から斬り裂いて行った。鋒はそのまま胴部装甲を割断する。

 秘奥、『後刃先打』。


『ムゥ……ッ!?』


 理解する。今や我が手繰りし刀刃はかの鎧に傷を刻める。数多の斬撃を繰り出せれば、最早鎧の硬質に意味は無い。一刀は確実に、着実に、あの中身を血祭りにするまでの道を斬り拓く。

 我が技は、それまでに進歩していてくれたか。秘奥の、更に先に届くまで。


「くっははぁっ!」


 脳細胞は赤熱する。あたかも血の化粧を不恰好に塗り付けたかの如く。

 刃の天地を即座反転、唐竹から逆風へ。刀勢を削がぬ連続斬撃。対応は叶わぬ、鎧の胴にまた一つ刀傷が刻まれた。

 鎧は堪らず後退——しない。寧ろ前へ。

 背を向け身体を開き、左足が深々と地を抉る。連動する右脚、鎧の巨体が加速する。

 背中という面を使った体当たり。重量が伴う分、人の身体で受けるのは自殺行為。しかも此方の回避は間に合わない、前方から背後へ運動力を転換する時間は無い。

 否、回避の必要はない。


「よ……っと!」


 接触の瞬間に合わせ、背後に飛ぶ。それくらいは可能。衝撃の全てを殺せはしないが、体を駆け巡るソレは臓腑を破り骨を砕く程の物ではない。肺の空気を幾分か吐き出されたが、問題は無い。

 着地——と同時に飛来する銀の鏃。

 鎧の胸に埋めていた筈の脇差。


「!」


 背を反らし、後背に倒れたと同時に足を跳ね上げる。爪先が刀刃の中腹を蹴り上げ、天高く弾き飛ばす。身体の天地を一回転して足を地に付けた時には、鎧は既に目の前に。

 大砲の如く蹴り出される右脚を跳躍して回避、同時にその脚を蹴り付け、肩と頭を足掛かりに再び跳躍。宙空の脇差を回収し、鎧の後背に降り立つ。

 血振りがてら一振りして、脇差を鞘に戻す。最早これの能は不要。振り返れば、成る程、この機で放って来た理由が分かった。

 先まで血の一雫も出て居なかった右腕切断部、脇差が貫いた胸部から見慣れた紅が溢れている。恐らくは、先程まで魔術的な止血措置が取られていた筈だ。

 気付いたのだ、この刀の能に。そしてその底知れなさに、得物の片方を己が身に埋めておく利と害とを天秤に掛け、それは後者に傾いた。


「……この怪態な小刀はな、銘を『簒奪』と言うそうだ。察しの通りコイツの唯一の能は——奪う事。字義以上でも以下でもねぇ」


 故にこれに己は嫌悪と、そして微かな同情を思う。

 他者のモノを奪う事。モノとは、物質や概念。有形無形の区別なく、この世の法理に至るまで。

 空間の意味を奪い、一歩の歩行で何十歩という距離を瞬間移動する。装甲の物理的強度の意味を奪い、紙も同然な軟さに貶める——魔力という無形で不可視のエネルギーでさえ、例外ではない。

 意味を奪い、後に棄て去る。

 与えられたのは、ただそれだけ。それ以外は刀としての機能以外、何も備わっていなかった。

 一切合切を斬り裂く大業物でもなければ、火を噴いたり紫電を纏える魔法的な権能がある訳でもない。他者の持つ玉石混淆を屍漁りの様に見境なく奪い取る。そうして生きてきた、そうして戦ってきた。

 そうでなければ、自分は『特別』になれない。有象無象に埋もれるだけの凡百として

 そうしてなるものか。そうしてなるものか。

 そうしてなるものか!


「くだらねぇ妄念も、度が過ぎれば力になるらしい。生憎と俺にも覚えがあるもんでな」

 

 今この手にコレが収まっているのも、因果という奴の仕儀であろう。巡り巡って、人が織り成す応報の輪。

 此度それに組み込まれ、引き合わされたのは哀れな生き刀と、血に塗れた狂い。


「その妄念に、どれ、身を晒す覚悟はあるかい?」


 腰帯から短刀を鞘ごと抜き、そこらに放ると同時に長刀を納刀。その鞘口を左手で握りながら無造作に歩み始める。一歩二歩。

 彼方はそれに言葉なく応じる。前進。余分な力は無し。真綿を踏む心地。


「……」

『……』


 距離が詰まり、互いに間合の内。

 ——動いた。視界から鎧が消える。

 敵の視界内から己の姿を掻き消す方途は数多あれど、武術を会得した物が持つのは大抵コレだ。

 歩く足の動きを踏み事で動作の企図を読ませず動く。少なからず、人間は物の動きを連続した映像として処理しており、同時にその映像の一瞬を元にその先をも予測している。これが確認出来ないと動きを察知出来ない。

 故に、知覚を振り切るこの歩法——縮地で迫られたなら、あたかも一瞬で懐に潜られたかの様に見える。

 視座を合わせれば、その限りでは無いが。


「——」


 応じる。剣者に特有の視界、薄く敵の身体全体を俯瞰する眼。

 捉えている。畝る気流、軋む骨、捻る腰——放たれた拳の終着点、我が心の臓を抉り取らんとするまでの軌道。

 為すべき事は、ひどく純一だった。

 右の手を拝む様な形で、柄を下から掴み同時に左親指が鯉口を弾く。そのまま鞘を引き、限界点で手首を絞り横に倒す。連動して右手が前に、刀身が疾り、鞘を引き切ると同時に抜き打つ。

 居合の基本所作。これまで何千、何万と反芻して来た動作故に淀みはない。何の変哲も無い、ただの抜刀術。


「——討ち取ったり」

『ミ……ゴト……!』


 『後に繰り出せし刃が先んじて打つ』。

 自然、半身となりながら抜く故に、心臓を穿たんとする拳は僅かに逸れ服の胸元を解れさせるだけに留まった。

 同時、我が刀刃は左腕の下を潜り抜ける。鎧の胸部を斬り進み——肋骨、肺腑、心臓、脊髄までを断裁する。

 斬線を象る赤色の孤月が、暫時空間を漂った。









 

 死に体、そう形容するには過小が過ぎる。今まさに死出の旅路を逝かんとする鎧から声にならない声と、呼吸にすらならない気息が立ち昇る。

 焦土を彩る色彩がまた増えた。掌から風に攫われる砂塵の如く身体から吹き溢れる——魂の玉虫色が。


「終わったか」


 感慨無さげにアルバロは呟く。体内時計で五分も掛からない内に、矢張り彼奴はかの鎧を討ち取ってみせた。宣言通りだ、最早驚きも無い。

 何を映すわけでもない目を細め、アレを視る。先程より一層濃くなった紅を纏う人型を。


「……難儀よな、それを飼うのは」


 色彩の深眼は魔的要素を色として視る魔眼だ。本来魔力を持たないサカキを視た所でそこには無色しか見出せない。事実この眼が捉えているのはアレと周囲との差異であり、魔素や魔力が避けている空間、それを視ているに過ぎないのだ。

 だが、どうしても其処に視えてしまう。あたかも閉じた瞼を陽の光が照り付け、その裏に白光が映されるかの様に。

 あの色は、何の紅だ?


「この眼とは長い付き合いだが……全く、老い耄れても学ぶ事は多いな」


 結論付かぬ、と半ば匙を投げて腰掛けていた猪型の魔獣から腰を上げた。眉間より零れる血の勢いも幾分か緩まったらしい。良い土産になりそうだ。


「……解体も手伝わせるか」











赤竜殼鎧クリムゾンアーマー、機能停止。炉心コアの魔力反応、装着者の生命反応共に皆無……完全破壊を認む」

「おや、アレが墜とされましたか。確かリシュー村の赤竜殼鎧の中身は……」

「特務隊員、オーヴィス・プランナーです」

「そうそう、あの愚鈍な拳法使い! 弟は優秀な魔術師なのに兄は出来損ないの暗殺者、まったく死んで清々しますよ」


 立方体の部屋の中央、青白く淡く光る正二十面体の結晶体が浮かぶ側に、二人の人影がある。

 片方は簡素な黒のローブ、もう一方は白地に金の刺繍や装飾を入れた豪奢なローブを纏う。白ローブの男の昏い憎悪の嗤いが暫し部屋を満たした。

 部屋からその響きが消えるか否かという所で、男は不意にその表情を冷徹に固める。哀れな劣等者の死では無く、それが纏う鎧の破壊に興味を移して。


「しかし、幾ら中身が出来損ないだと言え、事前の戦術評価は申し分無かった筈。戦闘技術の転写術式、加え『溶壊焔乱』の展開……傀儡フルオート術式が正常に稼働しているなら、殆ど負けはない」

「リシュー村には魔眼持ちの村長が居ますが、恐らくは貫徹力が足りません。下手人は別かと」

「ふむ……遠隔監視術式を立ち上げてください」

「追跡するのですか?」

「少々興味が湧きました。我等の成果物を破砕した無礼者の顔を見ておきましょう。神狼フェンリルなんかが居れば捕獲したいですしね」


 舌なめずりをする心地で白ローブの男は命を下した。黒ローブは短く「了解」と返すと、結晶体に手を翳してみせる。

 瞬間、結晶体に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる——否、それは黒ローブが書き込んだ式ではない。したのは魔力を通した事だけで、結晶体がそれに反応して光を発した。

 魔法陣は壁だ。輝きに反射した壁や床面にびっしりと描き巡らされている陣を結晶が映し取り、その内奥で立体魔法陣を構築する。

 高効率の魔力運用を可能にする回路結晶と研究に研究を重ねて編まれた魔法陣群の合わせ技。遥か離れた地の魔力反応追跡などという複雑かつ膨大な魔力を要する術式を行使出来るのも、この機構が成立しているからと言える。

 ——ノウスルーツ王国の魔法技術の結実である。


「……見えました、リシュー村です。何やらパーティを——ッ!?」

「? どうしました——」


 結晶の奥、靄の掛かった景色。晴れれば、森の木々に囲まれた集落を上から見下ろす光景が見えた。

 大の大人二人に両手を広げさせて収まるか否かという程の猪を丸焼きにして、それを囲んで踊る村民ら。その傍ら、二本の刀を椅子代わりの倒木に立て掛けながら談笑する壮年の男と十代半ば程度の娘。

 あの男は、そしてあの女は。

 そして、あの短刀は。


「錆の勇者……! いや、それよりも……!」

「えぇ……やっと見つけました。特務隊に連絡を」


 万感の思いを吐き出す様な面持ちで、白ローブは努めて冷静に指示を出した。

 何という事だろうか、あの男の面など二度と見たくないと思いながらも、此度吉報を持ってきたのは正にその男であった。

 成る程、赤竜殼鎧が敗れる訳だ。アレの技量は確かに恐ろしい、それにかの短刀の能が伝えられる通りならば、鎧が如何に堅かろうと無意味なのだ。

 魔力による経路が結晶を通じて繋がる。白ローブの耳と喉に繋がる風属性の糸の様に細い回路は、特務隊待機室に声を伝える為の通り道であった。

 

「『無垢の魔女』をリシュー村にて発見した。錆の勇者が同じ場所に居ますが、出来るなら彼の短刀も奪いなさい」


 結晶越しにでも、その念がありありと伝わってくる。『足らぬ満ちぬ在らぬ』と叫んで来る。今まで同じ国に居たというのに、どうやってそれ程の思念を隠していたというのか。

 それでも見つけた。

 求めしが、あの村にある。


「恐らく、アレが『簒奪の勇者』の遺品——『簒奪』そのものです」


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