第4話 穢したくない本心
日付を回ったマックで、ボクは不思議な少女と相対している。
初恋の彼女、テレクラ女子高生、そしてボク。これら三者の要素のうち、どれかを必ず兼ね備えている一方で、ボクが定義したカテゴライズの領域には当てはまらないような子だ。
拙い思考を振り絞って、これまで溢れ出た条件を整理してみる。
①初恋の彼女と近いのは、17歳という年齢に映る純粋さ。
②テレクラ女子高生と近いのは、「〇〇」の存在に気付いていること。
③ボクと近いのは、「〇〇」には気付いているけれど、まだ言葉に出来ていないこと。
どれも共通項があって、どこかは違う点がある。この少女をどう取り扱えばいいのだろうか?
「……はぐはぐ」
頭を抱えるボクを気に留めず、少女は黙々とチーズバーガーに齧り付く。よほどお腹を空かせていたのだろうと思い、余っていたポテトを袋からトレーに広げてみる。
「いいよ、全部食べな?」
「うん」
拒むことなく、流れる様に左手でポテトをつまみ上げる。一本だったものがやがて二本、三本と増えていくにつれて、ボクに対する警戒心も溶けていっているのかな、と思いを巡らせてみる。
「ご馳走様でした……ふぅ」
「お粗末様」
よく考えてみると、今日ここまでやったことは、ただ真夜中にマックを奢っただけ。言葉の響きがいかにも幼稚っぽくて、つい吹き出しそうになる。
それまで1000円するコーヒーとか、5000円のXYZとかばかり奢ってきたんだ。金銭感覚が狂った身としては360円なんて瑣末な誤差でしかない。
それでも注文する時、ドリンクのサイズで頭を抱えていた様子を見ていた時だった。SからMなんてたかが50円の違いなはず。
だけど360に対する50は大きい。
心理的な一種のマジックに過ぎないが、騙されている自分の姿がそこにあって、まだ高校時代の感覚を覚えていたことに少しだけ嬉しくなっていた。
「美味しかった、ありがと」
少女はSサイズのコーラを飲み干して、満足そうにはにかんでいた。
これが①の姿。初恋の彼女に映るような、ただの純真な少女。何でもない時の50円は出し惜しみするような、ありふれた女子高生。
同級生とテーブルを囲んでは、やれ恋バナだの教師の愚痴だの垂れ流して声高に叫んでみて、議論を高い次元に昇華させる気がない、いや昇華させないことを一興としているような存在……。
そんな無垢な女の子たちが、テレクラに堕ちる瞬間がある。
理由は色々あるけれど、多くは「コスパよくお金を稼げるから」という、至極現実的な動機だったように思う。家族のために稼ぐ健気な子も居れば、原宿のクラブに通うために体を捧げる子も居る。
しかし、ボクの経験上は「〇〇」の存在に気付いているから、テレクラを使っているのだろうと踏んでいる。気付いている上に言葉にして納得していると言っていい。彼女たちが一晩限りの関係で充足できるのは、それが主な要因だ。
これが②の姿。
「それでさ」
なら、この少女がテレクラに来た理由は?
「今日、これからどうする?」
返答には、特に何の感情も乗っていなかった。
「……ホテルだよね」
「テレクラってそういう場所だし」
曖昧な言い訳だったと言ってから後悔する。別にそれが目的の全てではないけれど、プラトニックな関係を求めるなら電話越しの世間話、チャットだけで完結すれば良い。逆に身体の関係を求めているのならば、すぐに「会いたい」と言って、最後は獣のように眠る。
今回は少女から「会いたい」と言ったのなら、普通なら前座にカフェやバーで気分を上げてから、もう今頃にはホテルに行っているはず。
だから尚更、少女がマックで躊躇したりする様子が腑に落ちなかった。
少女からは際立って怯えていたり、怖がっていたりする様子がない。誘っていたり、危険な香りを見せてきたような、今まで交わってきた女子高生とは確実に違う。言うなれば、どこか垢抜けない雰囲気が漂っている。無防備な状態なのだ。
はたまた、少女はそういった気取らない性格で、実は結構なやり手だったりするとか? ボクの推測は留まるところを知らなくなって、疲弊した脳を癒すためにもう1カップ分のコーラを調達する。
フワフワとしている。この子は交わるための存在なのか、それともただの迷い子なのか……上手な接し方が見当たらないせいで、ずっと会話は手探りなまま。
「じゃあ一緒に寝れるんだよね?」
少しだけ声がうわずっている。興味?関心?それとも興奮? どんな感情が乗っているのだろう。目線を合わせて真意を探ろうとしても、少しだけ大きく目を開いて肘をつくだけだ。
ここは一つ探りを入れてみることにする。少女が本当に純真なのかどうか。
「添い寝だけとか、そんな甘い話じゃないからな」
「ーーえっち?」
にこやかに出された解答。
幼さにも満ち溢れた純粋そのもので、純粋ではなかった。
「は?おい、何してん」
……何食わぬ顔で即答されたせいで、かえってボクが恥ずかしくなってしまう。
「バカヤロ、どこか分かってんのか」
「もう人いないよ?」
「居るだろ、ほらあそこのテーブルとか」
「寝てんじゃん」
指さした方を見やれば、確かにダウンを着た大男は机に突っ伏している。そうなれば、この場に起きているのはボクたちだけになる……店員が居ると言おうとした時にはもう、得意そうにはにかんで首を傾けていた。
その笑顔に、もう言い訳をする余地はないと悟った。ボクはわざとらしく頭をかく。
「……それでリリーちゃんは問題ないのか?」
「うん、夜を過ごせるなら十分。寒いし」
ボクの立場はますます分からなくなっていく。
抵抗を示さなかったことはつまり、処女ではないのだろう。飄々としている様子は、微笑ましく「ごちそうさま」と笑いながらホテルを出るような女王様タイプに近い。
ああ分かった。最初だけ安くしといて、肝心の本番でぼったくるタイプなのだろうか?オプションをつける度に、気が付いたら相場の価格を上回っているケースなら納得できる。ボクは一旦そう結論付けて、疲れ果てた頭を氷で冷やす。
つまり②の姿が優勢だと、カテゴライズには収まった。やっと安心する。
「分かった。もう地下鉄はないしタクシーで行く」
ひとまず、六本木のホテルまで行くことで話は纏まった。少女が来た目的は着いてから色々と聞き出してみればいい。
実際、本番の最中はハイになってしまうこともあって、典型的に女の子は本音を溢しやすい。そのタイミングを狙ってもいいし、ピロートークを伺ってみてもいい。まるで警察が誘導尋問するようなやり方だけど、効果はテキメンだ。
「タクシーなんだ。乗るの久しぶり」
「ほら、つべこべ言ってないで行くぞ」
「うん」
少女をホテルに連れ出そうとして、何気なく手を握った。
その瞬間ボクを襲ったのは――久々に感じた、人間味のある生暖かい感覚。
「あ、ごめんっ」
不意打ちで味わったせいもあって、驚いたあまり繋いでいた手を離す。
「え、手ベタベタだった?」
「違う。そうじゃなくて……」
一瞬で思い出した。テレクラに集う女子高生の手は、決まって機械のように冷たかった。
ボクの言っていた誘導尋問は、その手を一時的に温める方法であって、温もりは永遠に続かない。一晩限りの関係とは、そうやって使い捨てにされるカイロ同然だった。
この少女には……温もりが残っている。勿論人並みには暖かくはなかったし、少し気を抜けば今にも冷めそうな危ない暖かさではあった。それでも、温もりは残っている。
やはり②の姿では表しきれない。今までの結論は、手の温もり一つでおじゃんになる。
それと同時に、もう一つ気付いた事実がある。
反射的に手を離したのは、繋ぐことすら怯えていた17歳のボクが蘇ったから。
「〇〇」が何かを知らずに生きてきて、ありふれた生活に充足していた。そんな日々の中に、カネだのセックスだのは無縁の関係でいることが出来た。
「……いいのに」
意味が分からず肩をすくめる少女。ああ、初恋の彼女が17歳のまま、ボクにこうやって語りかけてくるみたいだ。
そうじゃないよ。ボクが許せないだけなんだ。――そう心で答えておいた。
タクシーに飛び乗って、行きつけのホテルの名前を告げる。
テレクラ通いで繰り返してきて染み付いたルーティンだけれど、今日は違和感を感じずにはいられなかった。今までの女の子といえば人形を相手にしているようなモノだったけれど、隣にいる少女はまるで人形を操って楽しむ小さな女の子に見えた。
他のファンタジー世界から突然ヒロインがやってきて、歩き慣れた通学路を一緒に登校するような……そんな不安定な感覚がボクを襲っている。
不安定だけならいい。だけどこれは、ボク自身への後悔にも繋がっている。
ボクにだって17歳の頃は純真な感覚が残っていたはずだった。それを勝手に「大人になったから」って、簡単に手放した。
テレクラ通いの女の子たちと繰り返してきたのは、傷の舐め合いだった。傷口はいずれ広がって、また他の誰かに舐めて貰うしかなかった。彼女たちも「大人になった」と言い訳をして、同じ言い訳だねと微笑みあっていた。
でもボクはこの傷を、少女に舐めてもらいたいとは思えていない。純真な感覚を残した少女に、ボクの薄汚れた血を舐めてもらいたくはない。何も構わず無意識に手を繋ごうとした、今のボクは人間として腐り切っている。
あの日々に大切にしていて、尊かった感情は何だ?
諦めたのか? 何勝手に諦めてんだよ。
「大人になる」って言葉に、無くしてきた感情を詰め込んで勝手に満足するのか?
叫び続けていたかった愛を毎晩使っては捨ててきて、ボクは今この瞬間で幸せか?
ネオンの色と一緒に移ろう思索は、ついに一つの解答を見出した。
少女に映るのは③の姿。
――きっとボクに似ていて、傷つけたくない存在だと。
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