共鳴 1

 ゆっくりと意識が浮上する。ふわふわと揺蕩うような心地の中で、珍しく良い夢を見ていたことを認識した。

 緩やかな覚醒に至った時点で夢の内容は霧散していたが、その残滓はあたたかなものだった。

 普段見るような幼少期の悪夢ではなく、ただただ優しいだけの夢だ。少年の夢にしては不思議なくらい穏やかなそれは心地が良く、彼はその残滓にしがみつきたいような気持ちになったが、それに反し、敢え無く少年の意識ははっきりとしてきた。

「……っ、」

 目を開けたその先にあったものに、少年はがちりと全身の動きを止めた。悲鳴を上げなかったのは、単に驚きすぎて声が出なかっただけである。

(…………へー、か……)

 たっぷりの間を置いてから、少年はようやく眼前のものを認識した。それから更に一拍置いて、はっと焦った少年だったが、すぐに自身の視界が半分しか開けていないことに気づいて、身体の力を抜く。

 少しだけ落ち着きを取り戻した少年は、どうやら自分は赤の王に抱き締められて眠っていたらしい、ということを把握する。視線だけで周囲を探れば、ここが少年に与えられている黄の王宮の一室であることが判った。

 デイガーを退け、謎の空間からいつの間にやら脱出していた少年は、その後間もなく意識を飛ばしてしまったのだ。きっと緊張の糸が切れたことで、諸々の心労が押し寄せてきたのだろう。そして、それから誰かが部屋に運び込んでくれたようだった。

 まあ、そこまではいい。一応客人の立場である少年を、まさか外に転がしておくわけにもいかないだろうから。だが、

(……なんで、この人まで一緒に……)

 仮にも王を、庶民である自分と同じ部屋どころか同じベッドに突っ込んでおいて良いのだろうか。いや、もしかすると、急なことで部屋の用意ができなかったのかもしれない。“アグルム”が使っていた部屋が隣にある筈だが、あれは兵士の部屋だから、王を寝かせるわけにはいかなかった、のではないだろうか。

 そんなことを考えた少年だったが、実際のところは、まあ恋人同士なんだから同じ部屋に放り込んでおいても問題ないだろう、掃除の手間も省けるし、と考えた黄の王の指示によるものである。勿論そんなことを知る由もない少年は、それなら自分を床に転がしておいてくれて良かったのに、などと思った。

 そんなどうでも良いことを考えていたせいか、すっかり落ち着いた少年は、なんとなく赤の王の顔に目を向けた。他に見るところがないのだ。

(……寝顔、見るの初めてだな)

 別に望んでのことではないが、成り行きで王と寝所を共にした経験は何度かある。だがそのいずれも、少年が目覚めたときには既に王も起きていて、慈しむような目をして少年のことを見つめているのだった。寝入るのもいつも少年の方が先なので、これまで王の寝顔を見る機会は一度もなかった。

 瞼を下ろしているため、当然ながらその特徴的な金の瞳は隠されている。これなら、少年が真正面から王の顔を見ても動揺することはない。

 安らか、というよりも、なんというか人形然とした表情だった。眉間にしわが寄っているだとか、苦しそうな表情を浮かべているだとか、そういうことはないのだが、安らいでいるようにも見えない。ただ目を閉じている、という表現が一番近いだろうか。こんなに近くにいるのに、寝息の一つすら聞こえてこないから、そう感じるのかもしれない。余りの静けさに、一瞬、本当に生きているのだろかと疑ってしまったほどだ。

 だが、落ち着いてみれば、呼吸に合わせて小さく胸が動いているのを感じるし、そもそも死体ではありえないくらい、触れ合う身体は温かい。だから、死んでいるだなんてことは有り得ないのだが、それでも本当に僅か一瞬だけ、少年は胸が冷えるのを感じた。

(疲れてるん、だろう、な……)

 そういえば黄の王が、赤の王が意識を飛ばすところなど初めて見た、と言っていたような気がする。少年も何となく、この王が気絶するというのは想像し難いものがあった。そんな想像し難いような事態に陥ってしまうほど、少年よりも目覚めが遅くなってしまうほどに、赤の王は尽力してくれたのだ。

 己の国のため。この大陸のため。

 ……それからもしかすると、少しは、少年のために。

 また迷惑をかけてしまったと思うと、暗澹たる気持ちになる。エインストラの血、という特殊な血脈を引いていたところで、少年自身は何もできず、ただ守ってもらうしかない。自身の身を守ることなど求められておらず、期待されていないことは承知の上だが、それでも己のせいで多くに負担をかけていると思うと、つのる罪悪感を止めることはできなかった。

 抱き締める腕の緩さを良いことに、少年はそろっと手を持ち上げる。今までなら、この腕はもっとしっかりと少年を抱き締めていた。少年が離れることを拒むように、やんわりと逃げ道を塞いでいた。けれど、今日に限っては、その腕も半ば投げ出すように力ない。それに気づいて、少年は少しだけ息の塞ぐ心地がした。

 持ち上げた手で、そっと王の頬に触れる。人形じみた表情だが、触れた先は温かく、当たり前だが肉は柔らかい。離した指先を、次いで目元に触れさせる。まなじりを数度撫でながら、健康的に日に焼けた肌に隈の影が見受けられないことを確認して、ほっと息をついた。

(……綺麗なひとだ)

 思わず、といった風に、心の中でそう呟いた。

 今までも散々に美しいと思ってきた男だが、どうしてか、今までよりも更に美しくなったように見える。あの炎の瞳が見えている訳でもないのに、なんとなくきらきらした輝きが見えるような、見えないような。

 何故、なのだろう。特段、王に変わった様子は見られない。だがそれでも、少年の目に映るその姿は、これまでとは違って見えるのだ。

(……アグルムさんになっていた影響、とか……?)

 不可思議な現象に対する答えを求め、少年は思考の海に沈みこむ。

 こうして一つのことに集中すると周りが見えなくなるのが少年の悪い癖なのだが、それ故に、少年は自身の手がぎゅっと掴まれるまで、見えていたはずの変化に一切気づくことができなかった。

 はっとした少年の目の前に、柔らかく細められた世にも美しい炎が二つ揺れている。

「――……、ッ!?」

 一瞬忘我したのもつかの間、赤の王の瞳なのだと認識が追いついたとたん、少年は反射的にそこから目を逸らした。

 いつの間にやら、王が目を覚ましていたのである。

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