炎に焦がれる 1
「何故だ! 何故貴様が!? ここに居たのは、確かにリィンスタットの兵士だった筈だ!」
先程までの余裕を完全に失った様子のデイガーが、取り乱したように叫ぶ。それを見た男――赤の王は、デイガーに視線を投げて挑発的な笑みを浮かべた。
「そうとも。私はたった今まで、確かにアグルム・ブランツェだったからな」
「っ、まさか! 幻惑魔法でも使ったと!?」
驚愕の目を向けて来るデイガーに、王が目を細める。
「察しが良いではないか。その通りだ。故に、称賛されるべきは見事な腕前で魔法を完成させたランファ王と、この茶番に付き合ってくれたリィンスタット王だな」
そう言った王の腕によじ登ったトカゲが、そのまま肩まで移動し、その頬をぺちぺちと叩いた。
「ははは、そう怒るな。敵を欺くにはまず味方からだと、よく言うだろう。ああ、悪かったとは思っているとも。キョウヤにも随分心配を掛けてしまったようだしな。なあ、キョウヤ」
王に名を呼ばれた少年だったが、残念ながら現状の彼では返答をすることができないようで、ただひたすら、ぽーっとした目で王を見つめるばかりだった。
その表情が、ありありと彼の思いを伝えている。
(……きれい…………)
赤の王は、元々とても美しい男だ。見た目がどうとか、そういうことではない。仕草だとか、態度だとか、纏う空気だとか、醸し出す雰囲気だとか。そういったものが全て合わさって、この王の美しさが構成されているのだと少年は思っていた。
だが、今の王は違う。眼帯に隠れていない普通の目でもありありと判るほどに、王の全身が炎の輝きを放っている。初めてそれを見たときほどではないが、それに通ずるほどの鮮やかさで、躍動する光が王の全身を覆っている。
そこで少年は、ふと気づいた。王の髪の毛が、くすんだ炎のような色から鮮やかに燃え盛る緋色へと、色を変えつつある。それはまるで、せめぎ合いを見ているかのようだった。毛先からじわじわと鮮やかに変化する色は、しかし中ほどのところで、まるで変わることを拒むかのように進退を繰り返している。
それが何を意味しているのかは知らない。だが少年は、そんな王の姿をただただ美しいと思った。
「……あなた、きれい……」
王の呼びかけに応えず、独り言のようにとろりと溶けたその言葉に、王が柔らかな微笑みを浮かべる。
「ああ、私もお前を愛しているよ」
だが今は惚けている場合ではないな、と続けた王が、軽めに少年の頬を叩く。二、三度そうすれば、ぱちぱちと瞬きをした少年の目に正気が戻り、次いで彼は見る見るうちに真っ青になって王を見た。
「あ、あな、あなた!?」
「ああ、私だ。確か、以前にも似たようなことがあったな。あのときと言い今回と言い、私はどうにも重要な局面で遅刻をする節があるようだ。苦労を掛けてすまない」
飄々とした調子で言う王に、しかし少年は珍しく大きめな声でそれを遮った。
「そ、そんなことは良いから、あ、あなた、こんなところに居て大丈夫なの!? ここ、魔法が、使えなくて、そ、それに、リィンスタット王陛下が、あなたは身を隠していないと、危ないって、」
言い詰める少年の唇を、王の指先がそっと塞ぐ。そして王は、ぱちりと片目を閉じて笑ってみせた。
「お前が心配するようなことは何もない。全て私に任せておけ」
そう言って少年の額にキスを落とした王に、少年が押し黙る。こういうことをされてしまうと、どうにも言葉を続けにくいのだ。それを判ってやっているのだとしたら、なかなかに性質が悪い。
そんな二人の様子に、デイガーも少し落ち着きを取り戻したのだろう。彼は嘲るような笑みを浮かべて王を見た。
「任せろも何も、この空間で精霊魔法を使えないのは貴様も同じだろうに。兵士だろうと王だろうと、魔法が使えない身で私に敵うと思っているのか?」
デイガーの言っていることはもっともだ。そう思った少年だったが、しかし王は普段と変わらぬ様子でデイガーを見据えている。
(……あれ? でも、この人がアグルムさんじゃなくなったときって、炎が……)
魔法が使えないなら、あの炎は一体何だったのだろう、という疑問を抱いた少年だったが、それを口に出す前に王が言葉を発した。
「この空間、貴公が創ったものではないな? ありとあらゆる次元に存在するという精霊を全て遮断するなど、およそ人の成せる業ではあるまい。……さしずめ、この空間を生み出したのは例のウロという人物で、貴公が担っているのはこの空間への道を繋ぐ役目くらい、といったところだろうか」
デイガーを挑発するようなわざとらしい台詞選びは、確かに効果があったようだ。僅かに頬を紅潮させたデイガーが、ギッと王を睨む。
「黙れ! だからなんだと言うのだ! 貴様が魔法を使えないことに変わりはない!」
「貴公は大変判りやすくて重宝するな。故に、できることならばもう少し泳いでいて貰いたいものだが……、状況を考えると、そうもいくまい。このまま泳がせるには、貴公の能力は優秀すぎる」
そう言った王が、すっと腕を横薙ぎに振るう。すると、王の足元からぶわりと炎が噴き上がった。それに驚いたのは、デイガーと少年である。
「なっ!?」
ここには精霊がいないのだ。だというのに、王は悠々と、まるでそれが当然であるかのように炎を生み出している。
絶句するデイガーに、王がゆるりと笑んだ。
「どうした? 私を殺すのだろう?」
穏やかな声が、いっそ無機質な響きを持ってデイガーの鼓膜を震わせる。炎を統べる王を前に、彼は化け物を見るような目をして叫んだ。
「お、お前がいかに王と言えど、この空間で魔法を使うことは不可能なはずだ! 精霊がいなければお前らは魔法が使えない! それが何故!?」
「何故、など。私に訊かれても困るな。ただ、私は私がこの力を使えることを知っている。それだけだ」
王の髪が熱気に煽られて揺れる。少年の目には、その度に彼の髪の色が揺らいでいるのが判った。
「ふ、ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな!!」
絶叫したデイガーが、地面にいくつもの巨大な魔導陣を展開させる。そして、怪しい光を放つそれらから、次々と魔物が溢れ出してきた。
まるで、金の国で遭遇したあの事件の再現のようだ。あのときと違うのは、陣のサイズとそこから出て来る魔物の大きさだろうか。
魔導陣の中心に生じた空間の歪みから現れたのは、先程ようやく一頭倒した一つ目の巨人に並ぶ大きさの魔物たちだった。一つ目の巨人と同じ種族だろうものから、四つ脚の獣のような見た目のものまで様々であったが、この世界には存在しない生き物であることと、正気を失っている点は共通しているようだ。
魔物の周囲に使役主らしき魔導師が存在せず、ぎらついた目で少年たちを睨んで来るということは、やはり彼らも使役主を殺されて怒りの矛先を失ってしまったのだろう。
「……愚かな。一体このために、どれだけの民を犠牲にした」
低く唸るような声が、王の唇から漏れた。誰に聞かせるつもりでもなかったのだろうその呟きに、少年は思わず王の顔を見上げた。普段と比べ、そこまで変化が見られない表情は、しかしどこか静かな怒りに満ちているように見える。
王には感情らしい感情がないと聞いているが、少年には何故だが、今の王が見せたこの表情が作り物だとは思えなかった。尤も、それが個としてのものなのか責務としてのものなのかまでは、判断できなかったが。
見る見るうちに二人を包囲するように立ちはだかった魔物の群れに、少年が王の袖口を握る。そんな彼に視線を落とした王は、数度瞬きをしたあと、嬉しそうに微笑んだ。
「大丈夫だ、キョウヤ。私がいる」
そう言って少年の頭を撫でた王の手を、トカゲがぺちりと叩く。そして、ふんすと胸を張るようにして見上げてきたトカゲに、王が笑って見せた。
「ああ、無論、お前のことも頼りにしているとも。……だが、そのままでは心許ないな」
そう言った王が、トカゲに手を翳す。
「分けてやろう。溜まった鬱憤を晴らすのに使うと良い」
少年には王がトカゲに何を分け与えたのか判らなかったが、トカゲがきらきらと目を輝かせて王の掌にすり寄ったので、トカゲにとってとても良いものだったのだろうことは推測できた。
「さて、ティアが張り切っているようだから、ここはティアに任せるとしようか」
「え、あ、あの! でも、ティアくん、炎が、」
慌てて言った少年の唇を、王の指先が優しく押さえる。
「見ていると良い。滅多に拝むことができない、
その言葉を合図に、トカゲがぴょんっと地面に跳び下りる。そして、何度か試すように小さな炎をぽっぽっと吐き出した彼は、次いで魔物の群れに顔を向け、ぱかっと大きく口を開いた。
瞬間、小さな体躯からは想像がつかないほどの量の炎が、その口から吐き出される。まるで巨大な蛇のようにうねる炎が、王と少年を取り巻くように渦状になって膨れ上がり、襲い来る魔物の群れを飲み込んでいく。
ただ炎を吐き出しているだけではない。吐き出した炎を鞭のように自在に操り、全ての敵を逃すことなく焼こうとしているのだ。
「す、す、ごい……」
最早視界の全てを炎に覆われてしまって、何が起こっているのかを見ることはできないが、魔物の悲鳴が至るところから聞こえてくるので、トカゲが敵を蹂躙していることだけは察せられた。
「まあ、
知ってはいたけれど、とんでもないものを寄越したんだなこの王は、と少年が改めて実感していると、突然ぴくりと震えたトカゲが、炎を吐くのをやめて王を振り返った。と同時に、王と少年に向かって炎が奔る。それは、紛れもなくトカゲが吐き出した炎だった。
一瞬何が起こったのか判らなかった少年だったが、デイガーの魔導を思い出し、その正体に気づいた。
きっと、亜空間にトカゲの炎を取り込んで、こちらに向かって放ったのだ。空間魔導を駆使することで引き起こされるカウンターのような現象は、金の国でまざまざと見せつけられた。
だが、それを予期していない王ではない。襲ってきた炎に向かって、王が右手を突き出す。すると、その手に触れるや否やのところで、唐突に炎が掻き消えた。
王はただ手を前に出しただけだ。それだけで、炎が消えてしまったのだ。
今度こそ何が起こったのか判らなかった少年が、問うような視線を王に向ければ、それに気づいたらしい王が彼を見た。
「ティアが使っている火種は、私のものだ。私の炎は、私を傷つけない」
「え、ええと……。……あなたの……? 火霊の、じゃなくて……?」
この世界の人々が扱う魔法は、全て精霊に起因するものだ。グレイからそう教わったのだから、間違いない。だが王は、少年の問いに不思議そうに首を傾げて返した。
「デイガーも言っていただろう。この空間に精霊はいない。故に、精霊魔法は使えんよ」
「え、で、でも、じゃあ、ティアくんが使ってる炎、は……?」
「言っただろう。私のものだ」
「……えっと……?」
ますます判らなくなってしまった少年に、王が苦笑する。
「実はな、私もよく判っていないのだ。ただ、これまでのことから考察するに、恐らくこれは私の炎なのだろうという結論に至った。原理はさっぱりだがな」
そう言った王が、トカゲに視線を投げる。
「だから、お前は気にせず存分に炎を吐くと良い。威力が甘い炎については先ほどのように返されるだろうが、それらが私に危害を加えることはないし、キョウヤに届く前に私が全て処理しよう」
その言葉に、トカゲがこくりと頷いてから再び炎を吐き出す。
王の言う通り、時折炎が二人を襲ったが、それらは全て王の身体に触れる前に掻き消えていった。
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