アグルム・ブランツェ 1

 少年が砂漠の国リィンスタットへと旅立つ数日前。人々が寝静まった深夜に、赤の王は薄紅の王国シェンジェアンへと足を運んでいた。王がその行先を告げたのは、シェンジェアン王国の君主である薄紅の王と、今後深く関わる黄の王、そして、薄紅の王宮への潜入を補佐してくれる黒の王だけである。

 王は、赤の国にて己が殺されるという予言を、場所に起因するものではなく、所在が把握されていることが原因だと考えていた。だからこそ、己の居場所を知るのは最低限の人間だけに留めなければならない。情報を握る者が多くなれば、どこから漏えいするか判らないからだ。

 帝国との戦争が勃発しようというこの状況で、赤の王が倒れる訳にはいかない。王は己の命を惜しいと思う感情を持ち合わせてはいなかったが、今の自国にとって自分の死が良い影響を与えないことは明白だった。よって、現状の王が何よりも優先すべきは、徹底的に己の身を隠すことなのである。

 そのための最も有効な策を実行するため、王はこうして薄紅の国にやって来ていた。元来目立ちやすい性質であるため、薄紅の国の家臣たちに気づかれずに王宮に潜入するのは非常に難儀したが、それを見越していたからこそ、わざわざ黒の王に潜入の補佐を依頼したのだ。

 黒の王の多大な尽力のもと、どうにかこうにか誰にも見つからずに薄紅の王の寝所まで潜り込めば、到着を待っていたのだろう薄紅の王は、じろりと赤の王を睨んだ。

「遅すぎだわ。夜更かしは美容の敵だって、貴方も知っているでしょう?」

 責めるような声でそう言いつつ、ベッドに腰掛けて脚を組み直した薄紅の王に、赤の王は苦笑して軽く頭を下げた。

「申し訳ない。一応、もう少し早く到着する見込みではあったのだが……」

 そう言った赤の王を、今度は隣にいた黒の王が嫌そうな目で見た。

「言っとくけど俺は悪くないよ。赤の王が馬鹿みたいに悪目立ちするせいで、めちゃくちゃ時間がかかったんだ」

「あらぁ、それを見越して計画を立てるのが、貴方の仕事だったのではなくて? 隠密行動のプロが、聞いて呆れるわぁ」

 小馬鹿にしたような薄紅の王に、黒の王が少しだけむっとした顔をする。

「俺だってこの王様が無駄に目立つことは知ってたから、かなり早めに出発したりとか、事前に隠れ方をちゃんと教えたりとか、色々やったよ。でも、俺の想定を超えて駄目駄目だったんだよこの王様。あれだけ教えたのに、隠れるのが致命的に下手すぎ。ちょっと目を離すとすぐに見つかりそうになってるから、こっちは終始ヒヤヒヤしっぱなしだし。きっと赤ん坊だってもっとうまく隠れるよ」

「いや、それはさすがに私のことを貶めすぎなのでは……」

 控えめにそう言った赤の王だったが、黒の王に睨まれてわざとらしく身を小さくした。

「気配を消せって言ってるだけなのに、なんでできないの? こんなの初歩の初歩だよ? 誰も存在を消せとは言ってないんだよ?」

「それは何度も聞いたのだが、そもそも気配を消すことが難しいのだ。貴殿は初歩だと言うが、とんでもない。それ自体が手練れの為せる業ではないか」

「手練れは気配じゃなくて存在を消すって言ってんじゃん。何度言ったら覚えんの?」

「だからな、まずもって“存在を消す”という言葉の意味が全く理解できんと、私も何度も言っていると思うのだが」

 真顔で言った赤の王を、黒の王がまじまじと見る。

「……あんた、やっぱ物凄く馬鹿なんじゃない?」

 失礼極まりない物言いに、赤の王が少しだけ眉を顰めてみせる。

「言わせて貰うが、貴殿のその発言を理解できる者の方が少ないと私は思うぞ。生きとし生けるものというのは、皆そこに存在しているものなのだ。それこそ、生き物の枠から多少外れている概念上の存在とて、存在しているからこそ存在しているのだろうに。……いかん、私まで何を言っているのか判らなくなってきたぞ」

「あんた説明下手だね。何言ってるのか全然判んない」

「貴殿には言われたくない」

 きっぱりとそう言った赤の王だったが、黒の王は気にしていない様子だった。

「よく判んないけど、とにかく存在は消せるよ。俺が消せるんだから間違いない。まあ、正確には消すっていうより薄めるみたいな感じなのかもしれないけど」

「よし、やはりどうやら私には理解できそうにないということが理解できた」

 と、そのあたりで、痺れを切らしたらしい薄紅の王が立ち上がった。そして、手にした扇で二人の王の頭をすぱーんと引っ叩く。

「いい加減にしてちょうだい。妾は早く用事を済ませて寝たいの」

 ぴしゃりと言った薄紅の王に、赤の王は再び申し訳ないと謝罪をした。

 二人の王が、避けようと思えば避けられた扇を敢えて避けなかったのには、理由がある。赤の王は、時間を浪費した自覚があるため、罪滅ぼしの意を込めて甘んじで受けることにした。一方の黒の王は、ここで避けたらそれはそれで小言がうるさいと思ってのことだった。

 とにかく、二人に物理的な仕置きをしたことで彼女の機嫌は少しだけ持ち直したらしい。

「それではヴェールゴール王、ここまでご案内頂いたこと、感謝申し上げる」

 そう言って軽く頭を下げた赤の王に、黒の王が興味無さそうに頷いた。

「別に良いよ。あんたみたいなお荷物抱える機会なんてそうそうないから、ある意味修行になったし。じゃ、ここからは薄紅の王の仕事だね。この先は俺も知らない方が良いんだろうし、もう帰るよ」

 それじゃあ、と言ってあっさりと部屋を出て行った黒の王を見送ってから、赤の王が薄紅の王に向き直る。

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