目覚め 4

 魔物を息の根を止めようと立ち回る『迅』に気を配りつつ、常に魔物の死角に来るように移動したアグルムが、両手で曲刀を構えて腰を低く落とした。そして、先程目玉を突かれた魔物の方に『迅』が狙いを定めたのを察知すると同時に、アグルムが地面を強く蹴る。

 魔物は『迅』に気を取られていて、死角から迫るアグルムには一切気づいていない。それはもう一体の魔物も同じだった。そしてアグルムの攻撃は、的確にその隙を突いた。

 魔物の背後からその足元を横切るように駆け抜けながら、膂力に任せて曲刀を振り抜く。魔物の二足を完璧に捉えた刃は、その強靭な腱を一刀の元に断ち切った。

 大きく叫びを上げた魔物の身体が、ぐらりと前に傾く。その出来事は『迅』の予想の範囲外だったのだろう。ちょうど魔物の正面に位置していた『彼』の目が、自分の方へと傾いてきた巨体を見てやや驚いたように見開かれる。そしてそのタイミングを見計らったかのように、その眼前に小さな身体が跳んできた。

 赤いトカゲである。

 いつの間にやら魔物の身体によじ登っていたらしいトカゲが、そこから『迅』の顔目掛けて跳んだのだ。

 迫ってくる小さな影に、『迅』が手元の針を振り上げて向かう。だが不意に、『彼』の動きがぴたりと止まった。軋んで動かなくなった機械のように手が止まったのは、『迅』の意思によるものではない。何故か・・・、身体が全く動かなくなったのだ。

 それに『迅』が困惑する間もなく、その顔面に向かってトカゲが落ちて来る。そして、『迅』の鼻先すれすれにまで迫ったところで、トカゲの身体が宙でくるりと回転した。

 ぺちーん。

 華麗に舞ったトカゲの長い尾が、間の抜けた音と共に少年の頬を打った。大して痛くはないそれに、少年が何度か瞬きをする。その瞳孔が徐々に丸みを帯び、乾いた瞳に急速に水分が戻ったかと思うと、少年がぽつりと呟いた。

「……ティ、ティア、くん……?」

 くるんくるんと回転しながら落ちていくトカゲを見ながらその名を呼んだ少年は、続いて握っていた針を放り投げ、慌ててしゃがんで両手を前に突き出した。その掌に、トカゲが華麗に着地をする。

 無事にトカゲをキャッチできたことに少年がほっと胸を撫で下ろしたところで、今度は横から怒ったような声が飛んできた。

「戻ったんだな! ならぼさっとするな! 魔物の下敷きになりたいのか!」

 声と共に、少年の身体が抱え上げられた。アグルムである。

 少年を抱きかかえたアグルムは、倒れ込んでくる魔物に巻き込まれないようにと大きく後退した。

「ア、アグルムさん、あの、僕、一体今まで、」

「黙ってろ! 舌を噛むぞ!」

 叫んだアグルムが、少年の身体を後方へと放り投げた。間抜けな声を上げて地面に転がった少年に見向きもせず、アグルムが倒れ込んだ魔物の方へ駆け出す。そんな彼の曲刀に向かって、トカゲが大きく火を噴いた。最後に吸い込んだ分の種火がまだ少し残っていたのだ。

 トカゲの燃え盛る炎が、曲刀の刀身に纏わりつく。疑似的な魔法憑依武器エンチャント・ウェポンとなった刀を大きく振り上げ跳躍したアグルムは、そのまま魔物の脳天に向かって刃を振り下ろした。それに呼応するように炎の刀身が肥大化し、巨大な一振りとなって魔物の頭を割る。頭を両断され、その切り口から業火に焼かれた魔物は、悲鳴を上げる間すらなく動かなくなった。

 ようやく一体を仕留めたことで僅かに気を緩めたアグルムは、しかしすぐさま耳に飛び込んで来た咆哮に、再び刀を構える。

 一体が倒されたことで、残りの一体がより一層にその怒りを膨らませたのだろうか。それは判らないが、先程までよりも明らかに興奮した様子の魔物は、アグルム目掛けて強烈な蹴りを繰り出してきた。それをなんとか躱したアグルムが反撃に出ようと刀を振り被ったところで、ふと彼は視界の端を何かが移動したことに気づいた。思わずそちらへと目をやれば、視界を掠めたのは少年へと向かう黒い影だった。その発生源は、空にいるデイガーの使い魔である。

(っ、一体がやられたことで、傍観をやめてアマガヤキョウヤを狙いに来たか!)

 竜の一部が変化して伸びているあの影は、恐らく少年を捉えようとしているのだろう。

 止むことのない魔物の猛攻を紙一重で凌ぎながら、アグルムは少年を見た。再び『迅』が現れて対処してくれることを期待しての行動だったが、少年に先ほどのような変異の兆しは見られない。人格の入れ替えというものは、そう頻繁に引き起こせる事象ではないのかもしれないとアグルムは思った。

 トカゲの様子から察するに、頼みの彼の炎も、先程アグルムに力を貸した分が最後のようだ。少年を守るように立ち塞がってはいるが、あの小さな身体ではどうすることもできないだろう。

 そんな極限状況に立たされたアグルムが迷いを見せたのは、一瞬だった。

「っくそ!」

 魔物に背を向けたアグルムが、少年の方へと走り出す。足を止めないまま曲刀を振りかぶったアグルムは、少年に向かう影目掛けてそれを投げた。空を切って飛んだ刃は狙い通りに突き刺さり、影を地面に縫い留める。その隙に、アグルムは少年の腕を引っ掴んで自分の方へと抱き寄せた。

 だが、そこまでだった。

「天下の円卓の武人が必死に戦っている様、いやはや楽しませて頂きました。しかし、魔法が使えないだけで、こうも無様なものなのですねぇ」

 すぐ背後から聞こえて来たデイガーの声に、アグルムが振り返る。その眼前に、細身の剣が突き付けられた。

「けれどもう、飽きてしまいました。そろそろ貴方を殺してエインストラを頂くとしましょう」

 そう言って微笑んだデイガーが、剣を振り上げる。

 魔法は使えない。武器も手元にはない。万が一デイガーの攻撃を躱せたとしても、後ろにはあの魔物が迫っている。もはやアグルムにもトカゲにも、敵の攻撃を防ぐ手段はなかった。

 アグルムが、少年を抱く腕に力を籠める。それは、なんとしてでもこの子だけは守らなくてはならないという思いの表れだったのだろう。だが、その行動が無意味なことは、誰よりもアグルムが理解していた。

 迫りくるデイガーの刃を前に、せめてもの足掻きだと敵の目を睨む。そしてデイガーの握る切っ先が、アグルムの喉を掻き切ろうとした、その刹那――――


 アグルムの足元から突如炎が噴き上がり、デイガーに襲い掛かった。

 使役魔に引かれ、間一髪でそれを避けたデイガーが、驚愕の表情を浮かべてアグルムを見る。それは少年やトカゲも同じで、二人とも信じられないようなものを見る目をアグルムに向けていた。

 だが、アグルムは違った。己の足元から噴き上がる炎を見てから、自分の両手へと視線を落とす。そして彼は、ああ、と呟いた。

「いや、さすがはランファ王。まさかここまで忘我の境地に至れるものとは」

 その声に、少年は目を丸くしてアグルムを見た。少年はこの声を知っている。知らない筈がない。

 アグルムの身体が、まるで陽炎のようにゆらゆらと揺らぐ。そして、唐突にとろりと溶け出したそれは、見る見るうちに全く異なる姿へと変わっていった。

 アグルムよりもずっと厚みのある身体に、くすんだ赤銅の髪。ため息が出るほどに美しい金色の瞳の中では、燃ゆる炎がちらちらと揺れている。

「……あ、」

 炎を纏った男を見つめる少年の目が、まるで恋に溺れる乙女のように甘く蕩けた。

「…………あなた……」

 小さく漏れた少年の呟きに、アグルムだった・・・・・・・男はゆるりと笑んだ。

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