王の不在 4

 ライデンが降りたその場所は、海が広く見渡せる小丘だった。視野が広く取れ、かつ海までそれなりに近い好立地である。

 グレイはちらりと空を見上げたが、今のところ後続の騎獣がやってくる気配はなかった。

(まあ、ライガの脚を考えれば当然か。妹君たちが来るまでもう少しかかるだろうな)

 未明の仄暗い海を眺めれば、ただ穏やかな波が揺れているだけで、何も不自然なことはない。だが、海を見つめるレクシリアの表情は険しかった。

「リーアさん?」

 レクシリアの様子を訝しんだグレイが名を呼べば、彼は海に視線をやったまま小さく呟いた。

「……水位が高い」

「はい?」

 言われてグレイも海を見たが、彼にはレクシリアの言うような水位の違いは判らなかった。

「……そんなに高いですか?」

「僅かだが、普段よりも水位が上がってる。こりゃ何が起こるか判らねぇぞ。……グレイ、いつでも発動できるように準備しとけ」

「判りました」

 レクシリアの指示を受け、グレイが持っていた鞄から魔術具と大量の鉱石を取り出す。そのままレクシリアを中心とするようにそれらを設置していると、マルクーディオの乗った騎獣が空から降りて来た。

 騎獣が前脚を大地につけると同時に華麗に飛び降りた彼女が、二人の元へと走り寄って来る。

「状況はいかがですか?」

「海の水位が僅かに高い。何か出て来る前触れかもしれねぇ」

「それは、……津波でも起こされたら困りますわね。下手をすれば、大地が死んでしまいます」

 表情を硬くしたマルクーディオに、レクシリアが頷く。

「万が一そうなっても、なんとかそれだけは防いでみせる」

「そのためにグレイを連れてきたんですのね? ……あまり無茶をしては、グレイが心配しますよ。ねぇ、グレイ?」

 そう言ってグレイを見た彼女に、グレイは肩を竦めて返した。

「こういう場合、オレが何を言ったってこの人は無茶をするのを止めませんから」

「そうだったわね。全く、どうしようもない兄だわ」

 少しだけ頬を膨らませたマルクーディオが兄を見たが、レクシリアは苦笑して返すだけだった。

「まあ良いわ。他の団員さん方ももうすぐ到着すると思います。ジルグの配慮で、皆さま地霊魔法に高い適性がある方ばかりだそうですよ」

「そりゃありがてぇ。さすがお前の夫だ」

 地霊魔法は、水系統に強い属性の魔法である。状況的にこれ以上の配慮はないだろう。

 マルクーディオの言う通り、それから少しして団員たちも次々に降りて来た。これでようやく全ての人員が揃った訳だが、それでもここに居るのは、五十人ほどの騎士と、貴族の女に、宰相と秘書官である。字面だけ見れば、とてもではないが少数精鋭とは言えないような面子だ。

 そんな彼らを見回して、レクシリアは口を開いた。

「騎士団員は五人一組の小隊に分かれ、もっと海寄りに散ってください。もし海から帝国兵が上がってくるようなことがあれば、この丘のふもとを防衛ラインとし、なんとしてでもここを突破させないように。とにかく、絶対に私に攻撃が届くことがないようにだけ気を配って頂きたい。貴方たちの役目は、防衛ラインを死守し、私を守り抜くことです。ただし、私の次に自分の命を優先すること。土地や建物への被害は考慮しなくて構いません。良いですね」

 レクシリアの命に頷いた騎士たちが、再び騎獣に乗り込んで指定された場所に向かう。それを見送ってから、レクシリアはマルクーディオを見た。

「お前は全体の戦況把握に努めろ。俺の自由が利くうちは俺がやるが、最悪俺は使い物にならなくなる。あと、魔法で団員の補佐もしてやれ。今の俺は魔法に関しちゃ役立たずだからな」

 言われ、マルクーディオが頷く。

「判りました。任せてください」

 スカートを翻し、マルクーディオが眼下を見渡す。適度に分散した団員たちと海までの距離はまだ少しあるが、安心できるほど遠いという訳でもない。状況によっては、判断を誤れば騎士たちに甚大な被害が及ぶこともあるだろう。

 そう考えて海を中心に注意深く周囲に視線を巡らせていたレクシリアとマルクーディオは、ふと視界に入った光景に目を見開いた。

「マリー!」

「判っています! 風霊! 騎士団員たちに通達! 海水位が急激に上昇中! もし水が地表に到達したなら、すぐさま騎獣に乗って空へ避難をと!」

 マルクーディオの命を受け、風の乙女が駆ける。それと同時に、マルクーディオは続けて叫んだ。

「地霊! 万が一に備えてできるだけ広範囲に防波堤を作って!」

 その指示に従って地霊たちが一部の大地を持ち上げるようにして高さを稼いだが、温存のために魔力消費を抑えた彼女の魔法では、広範囲に渡って高く土地を押し上げることは難しい。範囲を優先した分、防波堤自体の高さがかなり控えめになってしまったのは明らかだった。だが、それでもないよりは良いだろう。

 緊張感が漂う中、一同が海を睨み据える。するとそのとき、唐突に海が大きく膨れ上がった。ぐっと半球状に盛り上がった海面が、大方の想像を超えるほどの高さまで持ち上がり、そして、その中からうねる巨体が姿を現した。煌々と光る目に、鋭く大きな牙、翼のようにも見えるヒレ。

 僅かな燐光を放つ鱗に覆われたその生き物は、巨大な蛇のような魔物だった。

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