王の不在 3
一方のレクシリアも妹に尻を叩かれ、出発の支度をしに自室へと急いだ。
(お転婆だお転婆だとは思ってたが、ここまでだとは思ってなかったぞあの馬鹿……!)
心の中でそんな悪態を吐いたレクシリアだったが、実際マルクーディオの指摘は正しかった。ここの団に負担を掛け過ぎる訳にはいかないと考えて、グレイと二人で海に向かうことを提案したが、正直なところそれでは心許ない。勿論、それでもなんとかできる自信があるからこその采配だったのだが、あの妹には兄がかなりの無理をしようとしていることがバレてしまったようだ。
(いや、それとも、グレイの仕業か?)
有り得ない話ではない、とレクシリアは思った。自分を心配したグレイが、わざとマルクーディオに情報を漏らし、彼女にこうして貰うように頼んだのではないだろうか。
そんなことを考えながら部屋の扉を開けたレクシリアは、中の光景を見て呆れたような諦めたような表情を見せる。
「…………グレイ」
「おや、遅かったですね。けれど安心してください。出発の準備は概ね整っています」
部屋の中には、遠征の支度を整えたグレイがいたのだ。グレイには別室が与えられている筈だが、どうやら勝手に入って勝手に色々と用意していたらしい。そのあまりの準備の良さに、レクシリアはじとりとグレイを見た。
「……やっぱお前がマリーを焚きつけたな?」
「さて、なんのことでしょう?」
にこりと笑んだグレイに、レクシリアがもう一度溜息を吐く。
「それで、リーアさん。今日はどれを持っていくんです?」
そう言ってグレイが視線をやった先には、綺麗に磨かれた白銀の武器が並べられていた。長剣に、短剣、双剣、弓、槍など、どれもかなり上質なものだ。これらは全て、レクシリア個人の所有物であった。
「弓と……短剣でも持って行っとくか」
「短剣ですか、珍しいですね」
そう言いながら言われた武器を用意するグレイに、レクシリアが頷く。
「今回は魔法が主体の戦いになるだろうからな。弓が嵩張る分、できるだけ邪魔にならない武器が良い」
「なるほど。しかし、ラルデン騎士団の砦に滞在していて正解でしたね。アナタが首都にいたままだったなら、それこそ援軍の到着までは海の守りを捨てざるを得なかった。……ここまで想定済みだったんです?」
グレイの問いに、レクシリアは肩を竦めた。
「うちは火の国だからな。特性上、水とは一番相性が悪い。となると、向こうが水系統の何かを海から出す可能性は高いだろ。勿論湖にも気を配ってるが、うちには規模のでかい湖がほとんどない。だから、帝国が本気で仕掛けて来るなら海からだと思った。しかも、最も戦力になる国王が今は不在だろ? もし帝国にその情報が漏れているとしたら、これ以上の好機はない。少なくとも俺が帝国側の人間だったら、この機会を逃さずに海から強力な魔物をけしかけるだろうな。……だからこそ、お前を連れて来た」
レクシリアはとても過保護な性質で、必要がないならグレイを戦場に連れて行きたがらない。それが、今回はついて来いと言ったのだ。この時点で、グレイには自分の役割がきちんと判っていた。
「国王陛下のお考えなんです? それともアナタの?」
「今回の指示は全部俺の独断だ。っつーかあの馬鹿、一切指示出さずに出てったからなぁ」
レクシリアの言葉に、グレイが意外そうな顔をする。
「珍しいですね。丸投げされたんです?」
「後のことは全て任せる。お前ならば一任しても問題ないだろう? だとさ」
その言葉に、グレイは盛大に顔を顰めた。心底嫌な王だと思ったのだ。
レクシリアは絶対的な信頼を以てあの王を尊敬している。そんな相手から全幅の信頼を寄せられたとなれば、この宰相が応えない訳がないのだ。
あの王ならば未来を見据えて具体的な指示を出すこともできただろうに、王が選んだのは腹が立つくらいにレクシリアの能力を引き出す選択だ。いや、きっとレクシリアだけではない。敢えて何も指示しないことで、すべての部下の底力を引き出したそうとしたのだろう。それはあの王が、自分が見据えた先を元に柔軟性を奪いかねない指示を出すよりも、状況に応じて現場に対応させる方が確実であると判断したからだ。そしてその目論見は、きっとこれ以上ないまでに正しいのだろう。
まさに、信頼の成せる業だ。臣下が王を信頼し、王が臣下を信頼したからこそ成り立つ策である。だが、それをやってのけたのがあの王だと思うと、どうにも不愉快というか気持ち悪い気がする、とグレイは思った。
「よし、それじゃあ急いで出るか。早くしねぇとまたマリーにどやされる」
「ここの団長と言いアナタと言い、マルクーディオ様には弱いですねぇ」
「うるせぇよ」
そんな軽口を叩いてから騎獣の元へ向かえば、マルクーディオは既に騎獣に乗って待機していた。だが、その衣服がドレスのままなことに気づいたレクシリアが、咎めるような声を上げる。
「マリー! なんて格好してん、しているんですか! これから向かうのは戦場になるかもしれない場所ですよ! もう少しまともな衣装を着て来なさい!」
「急なお話だったから着替えを用意する暇がなかったんです! それに問題ないですわ! ドレスのままでも私、お兄様より騎乗の腕は優れていますから!」
「しかしマリー!」
「お兄様こそ、いい加減その似合わない敬語はお止めになってはいかが? どうせ皆さま、お兄様の素が粗雑で乱暴なことなんてご存知ですよ!」
言われ、レクシリアが押し黙る。そんな様を見て、後ろにいたグレイは思わず噴き出した。
「……グレイ」
咎めるような声に、グレイが笑いを噛み殺す。そんな彼をじとりと見てから、レクシリアは諦めたように騎獣のライデンに跨った。これ以上は時間の無駄だと思ったのだ。
後ろにグレイが乗ったのを確認してから、ライデンの肩を叩いて空へと発つ。見る見るうちに小さくなる砦を背に翔けるライデンの上で、レクシリアの腹に手を回していたグレイは、ふと後ろを振り返ってやや驚いた表情を浮かべた。
「マルクーディオ様、すごいですね。他の団員はだいぶ引き離しましたが、まだ食らいついてますよ」
さすがに徐々に距離が開いてはいるが、マルクーディオの乗った騎獣はまだ騎乗者の顔が認識できる程度の距離を保っている。ライデンと彼女の騎獣とでは地力が違うだろうに、素直にすごいとグレイは思った。
「妹君が騎獣乗りとして頭ひとつ抜けていることは知っていましたが、まさかこれほどとは」
「お転婆娘だからな。横乗りであれなんだから、我が妹ながらどうかしてる」
「横乗りなんですか!?」
信じられないという顔をしたグレイの言葉に、レクシリアは前を向いたまま頷いた。
「あいつも一応淑女だからな。ドレスで跨る訳にはいかねぇだろ」
そういう問題なのか、と思ったグレイだったが、それについては何も言わなかった。貴族の考えは理解し難いのだ。代わりに、呆れたような声で呟く。
「マルクーディオなんて男性名をつけるから、ああもお転婆なお方になるのでは?」
「ロンター家のしきたりなんだから仕方ねぇだろ」
「知っていますけど、それのせいで妹君がやんちゃになったのではと、……いえ、よく考えたら関係ありませんね。同じ理由でアナタは女性名なのに、全然しとやかじゃない」
「放っとけ!」
そんなやり取りをしながら空を行く一行は、そう長い時間をかけることなく海が見えるところまでやってきた。目的地が近づいたため、高度を下げて翔けるライデンの背の上で、レクシリアは眼下に目を凝らした。
グランデル王国は他と比べると著しく火山地帯が多い国だが、海が近いこの辺りでは土地が比較的平坦になり、国を覆っている火の加護がやや薄くなる。そのため、海岸に近い場所に構えられた居住区はほとんど存在しない。水の加護が強い青の国とは違い、赤の国では水に嫌われる人が多く、これといった漁業が発展していないのもその理由のひとつだろう。
故に、海岸部の国民を避難させることはそこまで難しいことではない筈だ。暗くて見にくくはあるが、視認できる範囲に人や灯りが見当たらないことから察するに、少なくとも海沿いから離れた場所まで逃れることはできたのだろう。
「さすがはグランデルの騎士団といったところでしょうか。仕事が早いですね」
そう言ったグレイが、ちらりと周囲の空を見る。
「道中で渡り鳥に遭遇しなかったのは、……ライガの仕業ですね?」
「ああ、ライデンは感知能力に長けた幻獣だからな。一番安全で、かつ最短になるルートを選んで貰った」
そう言ってライデンの首を撫でたレクシリアに、グレイはなるほどと頷いた。
「しかし、後続はどうするんです? さすがの妹君も見えないところまで引き離されているようですし、残りの団員たちなどもっと後ろでしょう。途中で魔導陣付きの鳥に遭遇してもおかしくはないと思いますが」
「ああ、それも問題ない。ライガが通った後に微弱な雷信号を残して貰ってるんだ。人間には判らないだろうが、獣ならそれを辿って来られる筈だ。まあ、時間差がある分、確実に安全だとは言えねぇがな」
「……ライガに任せきりなあたり、徹底的に魔力を温存してますね、アナタ」
「なるべく温存しとかねぇと、死ぬかもしれねぇだろ」
さらりと言われた言葉に、グレイがやや顔を顰める。だが彼が何かを言う前に、ライデンが一気に下降を始めた。そして、前を見つめるレクシリアが口を開く。
「着いたぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます