王の不在 2

 一方その頃、南のラルデン騎士団の砦でも、魔物の襲来を知らせる団員たちの声が相次いでいた。騎士団長であるジルグ・アルマ・レーガンは、団長室にて矢継ぎ早にやってくる部下たちの報告を捌きながら、卓上の地図を見て目を細めた。

 ラルデン騎士団は今、レクシリア宰相からの命により、海域の警戒にかなりの人員を割いている。帝国が本格的に仕掛けてくる場合、帝国と円卓を隔てている海から来る可能性が最も高いだろうという見通しによる指示である。ジルグもその意見には同意し、だからこそ海沿いの駐屯所に多くの団員を配置していたのだが、今回魔物の襲撃が確認されたのはもっと内陸部である。それも、一か所に集中的に現れたのではなく、随分とまばらに出現しているらしい。だが、だからと言って敵の数が少ないかというとそうでもなく、一か所につきそれなりの数の魔物がいるとの報告もされている。

 魔物の出現場所は、どれもこれも砦からやや離れた都市近郊ばかりだ。すぐさま砦に残っている団員を派遣したが、やはり数が不足している。現在動かせる団員だけで処理しきれないことはないが、それでは国民や土地に一切の危害が及ばないという訳にはいかないだろう。

「団長! 新たに南南東のローグラム近郊にて魔物の出現が確認されました! ご指示を!」

「……少し待て」

 これはさすがに手が回り切らない。だが、かと言ってこの緊急時に判断を引き延ばすわけにもいかない。どうするべきかとジルグが地図を睨んだとき、団長室の扉が開いた。

「ジルグ団長、海浜の屯所に詰めている団員の半分を魔物への対処に当たらせてください。残り半分は、海浜付近の住民への避難勧告とその補助を」

 部屋に入ってきてそう言ったのは、レクシリア・グラ・ロンター宰相だった。

 常と変わらない落ち着いた声でそう言ったレクシリアに、ジルグが僅かに眉根を寄せる。

「しかし、それでは海側の守りがなくなります。最も警戒すべきは海だと仰ったのは宰相閣下でしょう」

「おや、その見通しに反した場所で多発的に魔物が湧いている現状において、まだ私のその考えを支持して頂けるのですか?」

 柔らかく微笑んで首を傾げたレクシリアに、ジルグが更に顔を顰める。

「馬鹿にしないで頂きたい。俺は貴方が優れた参謀であることを知っています。それに、確かに多発的で厄介な襲撃ではありますが、致命的な物量で押されている訳ではない。……これは明らかな陽動だ。それが判らないほど、俺は未熟ではありません」

 ラルデン騎士団の団長は、五人の騎士団長の中では最も若い。それを揶揄しているのならば心外だと言わんばかりの声に、レクシリアは素直に頭を下げた。

「いえ、そういうつもりではなかったのですが、不快な思いをさせてしまったのなら申し訳ない。ただ、貴方の信がどこにあるのかを知りたかっただけです」

「それこそ心外だ。……俺はこれでも、妻と国王陛下の次に義兄上あにうえのことを信頼しています」

 真顔でそう言ったジルグに、レクシリアが苦笑する。

「国王陛下は仕方ないですが、我が妹よりも立場が下とは」

「俺は誰よりも彼女を信じ、愛しておりますので」

 やはり真顔でのたまった若き騎士団長にもう一度苦笑してから、レクシリアは卓上の地図に指を滑らせた。

「空から魔物が降って来るとの報告から予想するに、恐らく帝国は渡り鳥を利用して空間魔導を使っているのでしょう。鳥たちの動向に注意を払いつつ、住民たちを内陸部へと誘導してください。必要に応じて、大型騎獣を使っても構いません。砦より南側の魔物については、基本的に海浜部の駐屯所からの人員だけで対処できるかと。報告を聞く限り、南に行くほど魔物の数が減るようですから」

 レクシリアの指示に、ジルグは眉を顰めた。魔物の数が少ない海浜部の国民を避難させるというのは、海の守りを諦め、万が一のときに国民に被害が及ばないようにするための措置だと思ったのだ。

「陽動だと判っていて、それでも海の守りを捨てると言うのですか? 俺には、帝国が敢えて魔物の比重を内陸側に偏らせ、我々を内陸に留めようとしているように思えます。だとしたら、宰相閣下が予想した通り、敵の本命は海にこそあると考えるのが自然だと思うのですが」

 ジルグの言葉に、レクシリアが頷いた。

「私も貴方と同じ考えですよ。しかし、こちらの数を考えるとこれが最良の策なのも事実でしょう。国民に被害を及ぼす訳にはいきません。……それに、私は海の守りを諦める気などありませんよ。海には私とグレイが行きますから。幸いなことに、この砦から海まではそこまで遠くない。ライガの脚ならばすぐに辿りつける距離です」

 これなら問題ないでしょう、と言ったレクシリアに、ジルグが再び顔を顰める。

「……お一人で対処できると?」

「グレイもいるので一人ではありませんよ」

「ご冗談を。魔術師兼秘書官では戦力になりません」

 食い下がるジルグに、レクシリアがにっこりと微笑む。

「ええ、確かにあれは戦力にはなりません。けれど、あれにはあれなりに、冠位錬金魔術師としてできることがある。ですからほら、早く団に指示を出してください。急がなくては、守れるものも守れなくなってしまいますよ」

 そう急かされ、ジルグが渋々ながらも団員たちにレクシリアの策を伝える。だが、頑固な騎士団長は未だにレクシリアとグレイの二人だけを海浜部へ送るのに納得していないようだった。勿論、優秀な騎士団長は自分が気に食わないからという理由でレクシリアの決定を邪魔するようなことはしないだろう。けれど、できることなら納得の上で送り出して貰いたいものである。

 そう思ったレクシリアが、さてどうするかと思案を始めたところで、再び部屋の扉が開いた。そして、レクシリアによく似た顔立ちの美しい女性が中に入って来る。

「聞きましたよ、お兄様! グレイと二人で良いところを持っていこうなんてズルいです! 私もご一緒致しますわ!」

「マルクーディオ!?」

 思わず彼女の名を叫んだのは、ジルグ団長である。突然団長室に入室してきたのは、団長の奥方にして宰相の妹であるマルクーディオ・グラ・レーガンだったのだ。

 騎士団の砦にはいささか相応しくない綺麗なドレスを身に纏った妹の登場に、レクシリアは額を押さえる。

「マリーお前、どっからそれ聞いた……」

「あら、グレイが丁寧に教えてくれましたよ?」

「……そう言えばお前ら、やたらと仲良かったな……」

 盛大な溜息を吐いたレクシリアの横で、ジルグがやや困った顔をしてマルクーディオの手を握る。

「馬鹿なことを言うなマルクーディオ。貴女を戦場に出す訳にはいかない。危険な場所なんだぞ?」

「それくらい判っています。けれど、人手が不足しているのでしょう? なら、使えるものはなんだってお使いなさい。私はこれでもロンター家で魔法や武術を磨いて来ましたし、嫁いでからもこっそり訓練していたんですから。そんじょそこらの騎士団員さんたちには負けません」

 こっそりそんなことをしていたなんて聞いていない、と思ったジルグだったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「マルクーディオ、だが、」

「お兄様とグレイだけでは不安だというジルグの気持ちは判ります。お兄様は他の方への負担を減らそうと意地を張っていますけど、事実、二人だけでは何かあったときに対処しきれないでしょう。ですから、私が行くのです。私と、……そうね、ここの砦の団員さんを少しだけお借りできるかしら? さすがに私一人では荷が重いわ」

 夫の言葉を遮って話を進めるマルクーディオに、今度はレクシリアが慌てたように口を開く。

「おいちょっと待て馬鹿。人が少ないっつってんだろうが。これ以上砦から人を割いたら、内陸部の魔物に対応し切れなくなる可能性が、」

「お兄様こそ何を仰っているんです! 栄えあるラルデン騎士団を侮り過ぎなのでは? 数十人程度の穴、ジルグが一人で埋めてみせますわ! そうでしょう、ジルグ!」

 強気な青色の瞳に見つめられ、ジルグは一瞬驚いたように固まったあと、すぐさまこくこくと頷いた。それを見て満足そうに微笑んだマルクーディオが、レクシリアを見る。

「ほら! 判ったら準備なさって! 私はもういつでも出発できますわ! ジルグ、貴方も早く団員さんに用意して頂いて!」

 マルクーディオに急かされ、ジルグが慌てて団員の確保を始める。表情の変化が少なく無口な団長は、相手に威圧感を与えることが多いような男だったが、妻の前では形無しなようである。

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