深淵 3

 青褪めた顔で、しかしウロから目を逸らすことなく歯噛みした王を見て、ウロが笑う。

「あははは、悔しいって顔だ。僕が何者かを理解した上で、なお悔しいと思うんだねぇ。そういう身のほど知らずなの、面白くて良いと思うよ。でも、うん、そう。君が気づいた通り、君の負けさ。君の考えている通り、僕は十年前の存在で、君は今の存在だからね」

 銀の王が、思わず拳をきつく握る。

 ウロの言う通りだ。王は、神性魔法である過去視を用いて十年前のウロに会い、何気ない会話の中で真実を見出した。神の力を用い、自ら能動的に、高次元の存在たる神々に関する情報を得てしまったのだ。

 一方のウロはどうだろうか。勿論、人間である王に高次元の事実の一端を知らせてしまったことについては、干渉と捉えられるだろう。だが、飽くまでも彼は世間話をしただけだ。少なくとも、一般的にそうとしか取れないように、話す順番や言葉を選んでいる。それを銀の王が確実に読み解くことを知っていたとしても、ウロが教えたことにはならないだろう。それほどまでに、彼は巧みだった。

 そして何よりも、このウロは十年前の存在にすぎないのだ。ならば、この件によるウロからの干渉値は、十年前にとっくに適応されているだろう。故に、現在に反映される干渉値は全て神の側からによるものであり、そして恐らく、その値はこれまでの比ではないほどに大きい。

 ウロの手により、干渉の天秤は絶望的なまでに神に傾いてしまったのだ。

(……敵う訳がない)

 ウロにとって十年後の存在である王と駆け引きをするためには、十年後の状況を詳細に予測しなければならない。高次元の存在ならば未来視くらいできるのだろうが、わざわざそんなことで干渉値を引き上げるような真似はしないだろう。だから、ウロはただ予想したのだ。十年後の戦況がどうなっているか。十年後に天秤がどれだけ傾いているか。十年後の銀の王が何を考えどう行動するのか。それらを全て、予想し切ったのだ。

 人間ごときに、そんな真似ができる訳がない。人として至れる中では最高峰のひとつに位置するだろう円卓の王たちでさえ、そんな芸当は不可能だった。

 歯噛みした銀の王に、ウロが慰めるような視線を向けた。

「そんなに悔やむことはないよ。だって君は間違ってなんかいないんだから。僕知ってるよ。円卓の王はみんな、常に最良手しか選択しないんだ。それがどれだけ非道でも、どれだけ自らが望まなくても、絶対に最良手以外を選ぶことはない。だってそれは、王に課せられた最低限の義務だ。そんなこともできない王なんて、存在する価値すらない。そうだよね? だから君が最良手以外を選ぶ訳ないんだよ。僕の目から見たって、君の選択は間違いなく最良だ。君が得られた情報から判断できるうちの、最も優れた選択だった。そして僕は君が絶対に誤らないって知ってた。それだけだよ」

 そう言ったウロが、酷く優しい表情で微笑む。それは慈愛のようでいて、その実、侮蔑一色に染まった歪な笑みだった。

「僕は端から君たちなんて見てない。僕と駆け引きをしているのは君たちじゃない。君たちは、ただの盤上の駒だ」

 身の程を知れと言いたげなその言葉に、銀の王はぴくりと指を震わせた。

 己が盤上の駒に過ぎないことなど、王は判っている。そも、円卓の王とは神の塔を守るための防衛装置だ。それが駒でなくて何だと言うのだろうか。己が高次元の存在と対等であるなど、勝てるかもしれないなどと、思ったことすらない。先ほど歯噛みしたのは、己の選び抜いた真の最良が、結果的に神の足を引っ張ることになってしまった事実を悔しく思ったからだ。高次元の存在に敵わなかったのが悔しかったのではなく、神の一策として機能し切れていないかもしれない事実が悔やまれただけだ。

 だからこそ、王は僅かな可能性に気づいた。

 ウロは高次元の存在だが、種としての生命体である。概念としての神よりも遥かに強大な力を持っている一方で、概念としての神と違い、神としての在り方が存在しない。人々の望む在り方である必要がない。それはある意味で、概念上の神よりもずっと人間に近いとも言えるのではないだろうか。

 可能性は低い。その言葉すらもブラフであるかもしれない。だが、銀の王は王だ。最良を選ぶことを課され、最良を選び続けてきた。その選択に、迷いを生じさせることすら罪だった。だからこそ、ここで彼が迷う必要はなく、権利はなく、意味はない。

 故に、王はそれを選択する。他でもない、己が王という生き物として在るために。

 王が小さく息を吐く。真実を知った今の王に、恐らく形式通りの詠唱は必要ない。願いを言葉に乗せたものが詠唱なのだから、願う対象が許しさえすれば、なくたって構わないのだ。それに、これからすることを考えると、詠唱する余裕はないだろう。

 詠唱なしで発動するなど前代未聞だが、問題ない。きっとこの過去視は発動する筈だ。何故なら王は、願うべき対象を知っている。そしてそれは、きっと王の意図を汲み取り、その願いを聞き届けてくれる筈だ。過去視は、満月の夜に最も力を増すのだから。

 王の魔力が、ぶわりと膨れ上がる。そして彼は、高らかに叫んだ。

「月神シルファヴールよ! この男がこの世界への介入を決めた時間軸へ!」

 王の全身から魔力が噴き出し、勢いよく広がる。だが、王が瞬きをひとつしたその瞬間、王から迸っていた魔力が一瞬にして掻き消え、同時に、目の前にウロがいた・・・・・・・・・

 投影体として眼下に見えていた筈のウロが、一瞬にして目の前に移動したのだ。驚愕の表情を浮かべた銀の王を、黒と呼ぶにはあまりにも暗い瞳が無感情に見つめる。そしてその手が、無造作に王の右目に突き刺さった。

「ッ……!!」

 声にならない悲鳴が、王の口から零れる。矜持から声を出さなかった訳ではない。高次元の存在から初めて明確に向けられた敵意に、声すら出せなくなっただけだ。

 ぶちぶちと神経を引き千切って目玉を引き摺り出したウロは、やはり無表情のまま、それを握り潰した。そして、どこまでも昏く底がない深淵のような瞳が、王の残された片目を見据える。

「……人間ごときが私の過去を覗こうなど、身の程を知れ」

 王に吐き出されたそれは、ゾッと底冷えがするような、暗く闇を這うような声だった。

 王の全身から汗が吹き出し、手足が震えを訴える。眼球を抉られた痛みなど、最早微々たるものだった。それよりも、神に連なる存在が放つ威圧感で、今にも呼吸が止まりそうだった。

 だが次の瞬間、ウロもろとも背景にノイズが走り、投影された過去が大きく歪んだ。過去視の持続時間に限界が来たのだ。恐らく、先程時間軸の移動を試みたときに使った魔力のせいで、これ以上過去を投影し続けられなくなったのだろう。

(っ、いかん……! まだ……!)

 王が力を振り絞って顔を上げる。その先にウロを捉えた王は、しかし彼がただ立ったまま無表情に自分を見下ろしているのを認め、限界を悟った。

 これ以上は、無駄な足掻きである。

 投影された過去が、徐々に薄れていく。映されていた風景が靄のように不明瞭なものへと変化する中、まだわずかに姿を捉えることのできるウロが、盛大にため息を吐き出した。そして、わざとらしくむくれた顔をする。

「は~、さすがはあの人が用意した防衛装置だよ。しかも月神の名前出すんだもん。思わずカッとなっちゃった。僕、あいつのこと殺したいほど嫌いなんだよね」

 想定外の言葉に、銀の王が思わず狼狽える。彼の困惑がここまで表面化するのは珍しいことだったが、先程の一件のせいでやや冷静さを欠いている状態なのだろう。

 そんな王を見て、ウロがにこりと笑う。今度は、そこに嘲笑の色は感じられなかった。

「僕、認めるべき対象は認めて褒めてあげる、良い子なんだ」

 その言葉が最後だった。全ての投影が掻き消え、元の風景、目に馴染む王宮の一室が戻って来る。

 だが、王の右目を襲う刺すような痛みは消えない。それは、ウロによって刻まれた傷が幻では済まないことを意味していた。

 床に倒れた王を案じて、王獣が駆け寄ってくる。心配そうに顔を寄せて来た王獣の頬に触れ、王は呻くような声を出した。

「全ての円卓の王に、伝えよ。敵は、神に連なるもの、高次元の存在だ。そして、その目的は、恐らく――」





 帝国の王城地下にある魔導実験所にて、楽しそうに鼻歌を歌いながらティータイムを楽しんでいるのはウロだった。面をつけたまま、その下にある口に器用にクッキーを放り込んでいる彼を見て、デイガーは顔を顰める。

「随分と機嫌がよろしいのですね」

「え? うん。そろそろ十年前の僕が撒いた種が芽吹く頃かなぁって」

「……種、ですか」

 相変わらず、得体が知れない男だ。何を考えているか判らないどころか、デイガーは、ウロが何をしてきたのか、何をしているのか、何をしようとしているのかを、ほとんど知らずにいる。そしてそれは、恐らく皇帝も同じだろう。

「うん、そう。種だよ。ま、あのときは最後の最後に意趣返しされちゃったんだけどね。でもなぁ、僕の大っ嫌いな奴の名前出されちゃったからなぁ。あのクソ野郎の力を打ち消すのと、あの子に物理的な干渉しちゃったので、計画してたバランスは実現できなかったけど、少なくとも前者に関しては気分が良かったし、まあ良いや。寧ろよく殺さずに我慢したもんだよ。あの子は殺させようとしたみたいだったけど、さすがにそれに乗る訳にはいかないからね。妥協点、ってやつさ。あそこでバランス修正入らなかったら勝負決まってただろうし、そのあたり、さすがはあの人の采配だなぁって感じ。そう簡単に決めさせてはくれないよねぇ」

 そう言ったウロは、面をつけていても判るほどにうっとりとした様子だった。これも今は見慣れた光景だ。やはりデイガーには判らなかったが、どうやらウロは、あの人とやらに懸想しているらしい。尤も、帝国の誰も、ウロの言うあの人が誰なのかは知らないが。

 時折、デイガーは思う。果たしてこの男は、本当に帝国に幸いをもたらす存在なのだろうかと。確かに、ウロが来てから帝国の国力は目を見張るほどに向上した。国は発展し、あの円卓の連合国にすらも並ぶのではないかと思うほどに強くなった。

 けれど、果たしてウロがもたらしたものはそれだけなのだろうか。この国の行く末を、この男に任せて良いのだろうか。

「ほらほら、何考えてるのデイガーくん? これから最後の仕上げだよー。円卓の連中に目に物見せてやろうじゃないか。なにせ魔導の方はばっちし準備ができてるからね。あとは君の空間魔導で、予定のポイントに転送するだけさ」

 一緒に頑張ろうね、と親指を立てたウロに対し、デイガーはただ黙って頷く。

 デイガーには何が正しいのかなど判らない。だがそれでも、帝国は戦争を止める訳にはいかないのだ。

 そう、全ては、真に平等な世界のために。

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