王の責務 1
黄の王との会話のあと、風呂を済ませ、寝る支度を整えた少年は、ベッドに潜り込んで赤毛のテディベアを抱き締めた。毛足の長い柔らかな生地に顔を埋めて目を閉じた少年の頭を、トカゲが心配そうにぺちぺちと叩く。
「……大丈夫だよ。ありがとう、ティアくん」
顔を上げてそう言えば、二回首を傾げたトカゲが、少年の頬に口先を押し当てた。まるで、赤の王が少年にそうするのを真似しているみたいだ。きっと、トカゲなりに精一杯少年を励まそうとしているのだろう。そんな心遣いが、とても有難かった。
「……うん、大丈夫。あの人は嘘をつかない人だから」
自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
「…………でも、あのね、」
何度か躊躇うような表情を見せた少年が、そっとトカゲを窺う。トカゲはただ、こてりと首を傾げた。
「……今夜は、一緒に寝てくれる?」
断われてしまったらどうしようという僅かな不安は、杞憂だった。何度かぱちぱちと瞬きをしたトカゲが、少年の頬に自分の頬を擦り付ける。そしてトカゲは、もぞもぞと少年とテディベアの間に入り込み、ぷはっと顔だけ出して少年を見上げた。
そんな愛らしい様に、少年の心に巣食う不安が少しだけ解けていく。
(……ありがとう、貴方)
ただ用心棒にするだけなら、このトカゲでなくても良かった筈だ。けれど、赤の王はわざわざこの子を傍に置いてくれた。それはきっと、ひとりぼっちの少年の心までをも守れるようにという優しさからなのだろう。人が苦手な少年のために、人ではなく、強くて、でも愛らしい、この子をくれたのだ。
そんなことに、少年は今更気づいた。
(……僕の気持ちとか、全然、気にしなくて。居心地が悪いからやめてほしいのに、すぐにキスしてばっかりで。触るのだって、躊躇わないし。別にいらないのに、あれもこれもくれて)
迷惑だと、本当にそう思っていた。少なくとも、初めは絶対にそうだった。
では、今はどうなんだろうか。
大きな手で触れられるのは、やっぱり苦手だ。でも、あの人の手は温かかくて、ときどき泣いてしまいたくなるほどに心地良い。
山ほど貰った贈り物たちは、どれもこれも少年のことを思い、考えてくれたものばかりで、迷惑になるものはほとんどなかった。大きなテディベアだけが、ちょっぴり例外だけれど。
頬に、額に、口に押し当てられる唇は、温かな掌よりもずっと熱くて戸惑うし、胸の奥がざわざわするような不思議な感じがするから、結構苦手かもしれない。でも、決して不快ではなかった。
「……ねぇ、……ティア、くん……」
鈍くなり始めた思考のまま、少年はトカゲの名を呼んだ。なかなか寝付けないだろうと思っていたのに、不思議と瞼が重くて、目が開けられなくなる。もしかすると、赤の王の声や体温を思い出していたからなのかもしれないと、少年はぼんやり思った。
「…………ぼく、どうしたら、いいのかな……」
汚い身体を、愛しているのだと言ってくれた。母にすら望まれなかった子供を、心から望んでくれた。この世の何よりも美しいあの人は、いつだってそうやって少年に全てをくれる。ならば少年は、どうしたらそれに報いることができるのだろうか。
少年が今更ながらにそんなことを考え始めたのは、王妃との会話と、王の死の可能性がきっかけだったのだろう。柔らかく名を呼んでくれるあの声が失われてしまうかもしれないという恐怖が、ただ享受するだけだった少年の心を変えたのだ。
あの王に報いたいのだと、そう言う少年に、トカゲが首を傾げる。
トカゲが何を考えたのかは判らないけれど、彼が困惑していることだけは少年にも判った。それも、少年の言葉の意味が判らなくて困惑しているというよりは、意味を理解しているからこそ困惑しているような様子だ。
どうしてそんな反応をするのだろうと内心で首を傾げた少年は、しかし気づく。そして彼は、柔らかな微笑みを浮かべた。
「……うん、そうだね」
目を閉じ、緩やかな微睡へと身を任せる。眠りに入る直前の、夢の中にいるようなふわふわとした心地の中で、少年は優しく自分の名を呼ぶ声を聞いた気がした。
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