深淵 2
「っ!?」
予想外の事態に、王が息を呑む。
それは有り得ないことだった。何故なら、これは飽くまでも過去を幻として投影したにすぎず、実際に過去を遡ってその場に王が存在している訳ではないからだ。故に、王が誰かに認識されることなど有り得ない。
だが、ウロの目は確かに銀の王を見ており、その言葉は王に向かって発せられたものだった。
「あれ? もしかして驚いてる? あー、そっか、そうだよね。この魔法、干渉値を減らすために過去を覗くだけに留めてあるやつだもんね。タイムスリップじゃないもんね」
一人納得したように頷いているウロを前に、銀の王の背中を冷たい汗が伝う。この上ない想定外の事態に、老練の王は聡明であるが故に次の手を出しあぐねていた。ここで攻撃行動に出るのは簡単だが、投影物でしかない過去の一幕において明確に個として己を確立してみせた生き物に対し、自分の持てる何かが通じるとは考え難い。そもそも、王の側からすれば、これは投影でしかないのだ。向こうは王に触れられるが、王は向こうに触れられない、という可能性も十二分に有り得る。ならば、尚更手を出す訳にはいかない。向こうが何を考えているかは判らないが、危害を加えようとした相手を見逃してくれるとは思えなかった。
黙したまま、ただ相手を見返すだけの王に、ウロがこてりと首を傾げる。
「どうしたの? ……ああ、そっか。タイムスリップって言葉はこの世界にはないんだっけ? ん? というより、概念自体ないのかな? この世界、過去にはかなり跳びにくいようになってるもんね。しかも今は誰かさんのせいで事象固定されちゃってるから、ほとんど不可能かも」
ウロは世間話でもするような調子で話を続けているが、耳に馴染みのない内容に王は困惑していた。勿論王はその困惑を表に出すような真似はしなかったが、それでもウロには王の心情が手に取るように判ったのだろう。彼は王に向かって、愛想の良い笑顔を差し出してきた。
「そんなに困らないでよ。別に僕、今のところ君に危害を加えようなんて思ってないからさぁ。なんなら一緒にお茶でも飲む?」
そう言ったウロだったが、当然ながら銀の王からの反応はなく、彼はやれやれという風に肩を竦めて見せた。
「もしかして、僕が一体どの時点の僕だか判らなくて気になっちゃってる? それなら安心して良いよ。僕はちゃーんと、君が視ようとした時間軸の僕だから。そうだなぁ、多分こういう状態になるのって十年後くらいだと思うから……。うん、今の君からしたら、僕は十年くらい前の僕ってことになるかな」
そう言ったウロに対し、王はやはり何の反応も見せない。だが、その内心は穏やかではなかった。
(何故、私と自分との間の隔たりが十年だと判る?)
王の見た目から判断した、という可能性はある。だが、果たしてそれだけだろうか。成長著しい子供ならまだしも、老齢の王を見て十年の時を感じることができるものだろうか。
(……十年先を視たのか、予想したのか)
どちらにせよ厄介なことだ、と胸の内で呟いた王を見て、ウロがひらひらと手を振った。
「あ、大丈夫だよ。僕、先を視る趣味はないんだ。未来が判ったらつまんないでしょ? あ、でも金の王様に未来視の権限が与えられてるってことは、君たちにとっては未来を視るって嬉しいことなのかな? 過去視もそう? 重宝する? でも残念だねぇ。干渉値とか事象固定の影響から鑑みるに、今はあんまり機能してないんじゃない?」
そう言って笑ったウロに、王は得体の知れない違和感を覚える。
何かがおかしい。ウロからは話の内容を王に理解させようという気を一切感じないし、寧ろひとりごとのようにさえ思えるほど、彼の話は散漫としている。だが、ひとりごとにしては独りよがりさに欠け、王の存在を意識した上で言葉を選んでいるように感じられた。
つまり、語られる一連の話には何がしかの目的があるはずなのだ。このくだらない会話のような何かをすることで、ウロは何かを為そうとしている。
そこまで辿り着いた王は、ぞっとした。ここにいるのが本当に十年前のウロなのだとしたら、彼は十年の空白をものともせず、十年後の王を相手に何かを仕掛けようとしていることになる。
(…………底の無い深淵を覗くような心地だ)
あの黒の王に、あれはヒトには殺せないと言わしめるほどの相手だ。それ相応の覚悟はしていた。だが、話に聞くのと実際に対面してみるのとでは、抱く印象が大きく違った。
(僅かに一手を誤るだけで、国ごと足元を掬われかねぬ)
呼吸すらも許されないのではないかと錯覚しそうなほどの緊張感が、王を襲う。だが、この状況にあっても尚、王は欠片も冷静さを失わなかった。
(確かに、この男は脅威だ。だが、相手に惑わされることはない。私はただ、今この瞬間に為すべき最善をのみ見出せば
そうだ。今すぐこの男を倒さなければならない訳ではない。少なくとも、それは銀の王の役目ではない。今の王がやらなければならないのは、このウロから僅かでも多くの情報を持ち帰ることだけである。
浅く息を吐き出して相手を見据えた王を見て、ウロが小さく笑う。
「うーん、ご立派。防衛装置の役割を担ってるだけのことはあるなぁ。僕には十年後のことは判んないけど、どうせ十年後も君みたいな王様が揃ってるんでしょ? それも多分、若い王様が多いんだ。違う? 違わないよね? 若くて優秀なのが揃ってるでしょ? あ、でも金の王様は未熟かも。だってその方が不自然じゃないから」
つらつらと並べられる言葉たちに、銀の王の指先が無意識にぴくりと震える。そして彼の顔から、徐々に血が引いていった。
「いやぁ、可哀相だな。可哀相だよ。だって、基本的に若い人が王様になることってあんまりないだろうに、若い王様がたっくさん。君たち人間はどうしても感情を捨てきれないんだから、王様なんて荷が重いだけなのにね」
そう言ってウロが微笑んだ瞬間、銀の王は戦慄した。かつて勇名を馳せ、今もなおその名声が衰えたことのない王が、心の底から恐怖した。
銀の王は、知ってしまった。現在の円卓の国において誰よりも王として在る時間が長かった彼は、誰よりも王という生き物に近かったからこそ、理解してしまった。王として、断片的に与えられる情報を冷静に迅速に正確に繋ぎ合わせてしまったが故に、答えに辿りついてしまった。
目の前にいる
そしてそのことをウロも正しく理解し、彼はうっそりと微笑んだ。
「ああ、君なら絶対に真実に辿り着くって信じてたよ。だって君はとても優秀な王様だ。だから、僕に
「…………お、ぬし、は、」
王の声が僅かに震える。
王は確信した。ウロは間違いなく十年前の時間軸の存在だ。彼が敢えて自身のことを偽り、十年前の存在であるかのように装っている可能性も考えていたが、それは有り得ない。何故ならば、それでは意味がないからだ。
ウロが
やはり、円卓会議で王たちが出した仮説は正しかった。ウロと神との間には、常に平衡に保たれるべき天秤が存在するのだ。それはいわば、陰と陽のような関係なのだろう。この世界に陰の干渉が成されれば、平衡のために陽の干渉が施される。恐らくは、そのバランスを保てなければ、ウロにも神にも何がしかの問題が生じるのだ。だからこそ、神もウロも互いの出方を窺いながらでなければ動けない。
そしてその干渉は、少なくとも十年前の時点で存在していた。いや、もしかするともっとずっと前からあったのかもしれない。何故なら、現在の円卓の王は皆、ウロの干渉を予期した神によってあらかじめ采配されていたに違いないのだから。
では何故、金の王だけが未来視もままならないほどに未熟なのか。簡単な話だ。ウロも言っていた通り、金の王は未熟でなければならなかった。未来視が発動しにくいことの原因として誤認させるために。
そう、これは銀の王すらも今この瞬間まで知らなかったことだが、
神性魔法は、文字通り神の力の一端を借りて使用する魔法である。ならば当然、神の側の干渉値を引き上げることになるだろう。だから、神は未来視と過去視の機能を低下させざるを得なかったのだ。そしてこれは恐らくだが、過去視よりも未来視の方がより干渉値が大きいのだろう。ウロは過去視も機能が低下していると言ったが、少なくとも使用者が顕著に感じられるほどの変化はない。その一方で、未来視は誰の目から見ても明らかなほどに発動率が下がっている。つまりは、そういうことだ。
では、どうしてそうまでして干渉値を抑える必要があったのか。
その答えもまた、簡単である。
少なくとも十年以上前の時点で既に、神の側からの干渉が過多だったのだ。その原因までは判らないが、そう考えれば、ウロによって円卓の連合国が受けている影響の割に神からの助力が少なく思えるのも、後手後手に回っている印象が拭えないのも、全て納得がいく。
少なくとも十年より前に起こった神からの何がしかの干渉が大きかった影響で、今の神はこの世界に大きく干渉しにくい状況に置かれているのだ。そしてウロは、それを逆手に取っている。
投影にしか過ぎない身で個を保ち、未来の存在である王に干渉できる生き物。神を相手取り、見事対等な駆け引きをしてみせる存在。そんなものがいるということすら銀の王は知らなかったが、現実として目の前にいる以上、認めざるを得ない。
円卓の国々で知られている神は、遥か高みに存在する最上位種だ。信仰の末に存在する概念神ではなく、確固たる種としての生命である。ならば、この男は、
(――神に連なる、最上位種の一人……!)
想定し得る限り、最悪の事態だった。ウロが最上位種であったことがではない。王が置かれているこの状況がだ。
この一連の流れは、全てウロが十年前、もしくはそれよりも遥か昔に仕組んだものだった。王はまんまと、ウロの計画通りの行動を取ってしまった。
到底予測できたものではない。少なくとも、人の身でしかない王には不可能だ。なにせ王は、ウロと神との間にある天秤の存在すら知らなかった。
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