深淵 1

 天ヶ谷鏡哉が黄の国の王都にやって来てから一週間ほどが経った、満月の日の夜。北に遠く離れた銀の国エルキディタータリエンデ王国では、ようやく過去視の準備が整ったところだった。

 過去視や未来視は、その他の一般的な魔法とは違い、その過程で精霊が一切介在しない特殊な魔法だ。その原動力が何であるかは明らかになっていないが、精霊魔法とは全く別の機構によって成り立っている魔法であり、金の王の未来視が意図的に発動できないのはそれが原因だろうと推定されている。一方で、過去視の場合は銀の王の手で任意に使用することができるのだが、発動までに必要な工程が多い上に魔力の消費量も著しいため、こうして万全の準備を整えるまでは発動に漕ぎつけられないのが難点だ。また、過去視の精度は月の満ち欠けに著しく影響されるため、日取りを選ばなくてはならない点も、この魔法の扱いにくさを助長させている。

 今回も、限界まで過去視の力を引き出すために、満月の夜が選ばれた。天井がない祭壇のようなこの場所は、銀の国の王宮最上階に造られた、過去視専用の空間である。そしてその床には、巨大な魔法陣が描かれていた。

 細かく複雑な模様で構成されているこの魔法陣は過去視の魔法を発動するために必須であり、銀の王自らが自身の魔力を注ぎ込みながら描いたものだ。描く際に注ぐ魔力量は常に一定でなければならず、想像を絶する集中力が求められる上、陣を描き切るために必要とされる魔力総量も桁違いに多い。陣を描くのにかかる日数と月の満ち欠けとを考慮すると、過去視を行うのは今日が最適だったのだ。

「エルク・エルエンデ」

 月が満ちる空に向かい、銀の王が厳かにその名を呼ぶ。すると、輝く光の粒子を脚に纏わせた銀の獣が夜空を駆け降りて来た。エルキディタータリエンデ王国の王獣、エルクである。

 額に枝分かれした一角を持つ四足の獣は静かに魔法陣の中心へと降り立つと、金色の瞳を王へと向けた。

 銀の王がわざわざ王獣を呼びつけたのには訳がある。特殊魔法である過去視の発動には、王獣の助けが欠かせないのだ。

 陣の中心に向かってゆっくりと歩を進め、王獣の正面に立った王は、獣の首を覆う鱗にそっと掌を乗せた。そんな王の腕に、王獣が優しく鼻先を押し当てる。それを受けひとつ頷いた銀の王が、月明かりに煌めく獣の角に左の手を翳した。そして、厳かに詠唱が紡がれる。

「風が運ぶ幻よ 水面に揺れる泡沫よ」

 王の奏でる声に、足元の魔法陣からふわりと光が浮かび上がる。まるで月光を受けて輝いているかのようなそれに呼応して、王獣の角もまた鼓動するように光を放ち始めた。

「時の流れを揺蕩い果てし 忘我の終に至れる数多よ」

 王獣が目を閉じて蹄を鳴らせば、この場に溢れる光がより一層輝きを増した。

「我は往く者 我は還る者 なれば宵闇を裂く御身の力を以て 世界の理を越えさせたまえ ――――“大いなる流れをベウラ・エル・ヴ駆ける時の使者ェルレディーエン”」

 瞬間、溢れだした光が弾けた。目を灼くような光が空間を満たし、世界が真っ白になる。そんな最中、しかし僅かも怯まぬ王は、白の虚無に向かって手を伸ばした。

 今回の過去視の目的は、ウロについての情報を集めることだ。彼は、魔導を含めた帝国の戦力増強に強く関与している可能性が高い上、黒の王に危険視されるほどの人物だが、全くと言って良いほどに情報がない。本来であればそれを含めて黒の王が調査できれば良かったのだが、ウロ相手にそれは不可能だと言う。だが、だからと言って調べない訳にはいかない。もし帝国の力の源がウロなのだとしたら、彼に関する情報なしで戦を仕掛けるのは余りに愚かだ。得体が知れない相手だからこそ、相手が一体何者なのか、どのような力を持っているのか、何を目的としているのか、といった情報が必要なのである。

 だからこそ、銀の王は過去を視る。過去視は、を遡って見ることができる魔法だ。つまり、対象とする事象がいつ生じたものなのか判らなくても、事象の設定さえすれば発動することができる。よって、今回のようにウロが帝国にやってきた時期すら判らない状態でも、その現象を対象に設定しさえすれば、時期も合わせた詳細な情報を手に入れることが可能なのだ。

 だから王は強く念じる。帝国領にウロが現れた、その時間軸へと遡ることを。

 果たして、伸ばされた王の手に何かが触れた。それは、簡素なドアノブである。左手でしっかり掴んだそれを、王が回す。そして彼は、白に呑まれて見えないドアを開け、一歩を踏み出した。彼がドアを潜ったその途端、ぱっと景色が切り替わる。

 そこは、帝国の帝都にある王城の一室のようだった。銀の王は、立派な飾り付けがされた部屋の天井近くに浮いている。といっても、実際に浮いている訳ではない。これは、過去の風景をある種の幻として空間に投影しているようなものなのだ。だから、正確には、銀の王の足元の空間にそれが投影された、と言うべきだろうか。

 部屋にある豪奢な椅子に座しているのは、今よりも若いが確かに皇帝だ。ならば、ここは恐らく謁見の間か何かだろう。

(……では、あれがウロか)

 高い位置に座っている皇帝を見上げている、この世のものとは思えないほどに整った顔の青年。その特徴は、黒の王から聞いたものと酷似している。聞こえる会話に耳を澄ませると、どうやらウロは今、皇帝に自分がいかに有用であるかを売り込んでいる最中のようだった。その中で魔導に関する言及があるのを認め、銀の王は目を細めた。

(話の内容から推測するに、この時間軸はおよそ十年前、といったところか……。やはり、帝国に魔導を指南したのはこの男だな)

 そのまま話を聞いていれば、帝国が神の塔を乗っ取り、皇帝自らが神に昇華しようと目論んでいること、ウロがリアンジュナイルを相手取るための手助けをすると約束したこと、そのためにこれから魔導実験を行い魔導の精度を上げる必要があること、といった情報を得ることができた。ここまでは、概ね円卓の王たちが推測した通りである。さすがに皇帝が神になろうと考えているとは思っていなかったが、狙いが神の塔であるという点に変わりはない。ならば、現在進めている防衛策を変更する必要はないだろう。

(問題は、このウロという男が何者であるか、か)

 長かった王との謁見を終え、部屋へと案内されていくウロを俯瞰しながら、銀の王は思案した。

(このままウロを見続けるべきか。それとも、帝国側に探りを入れるべきか。……いや、先程の様子では、ウロの来訪は帝国にとって予期せぬ事態のようだ。であれば、やはり私が見続けるべきはウロ。この男が何者で、何を考え、何を目的としているのかを探る)

 幸いなことに、女官はウロを部屋に入れてすぐに立ち去ったため、今は部屋にウロ一人だけである。ならば、周りに人がいては出さないような顔を出す可能性がある。

 そう思った王だったが、部屋に入ってからのウロは、退屈そうに部屋に置いてある調度品を弄ってみたり、ベッドに転がってみたりと意味のない行動ばかりで、一向に何かをする気配がない。

 暫くその様子を見ていた銀の王だったが、有意義な情報の入手が見込めないと判断した時点で、この傍観に区切りをつけることにした。

 この時間軸でこれ以上の情報が望めそうにないのならば、時間軸を移動すれば良い。さしずめ、“ウロが円卓の国々を害そうと思い至った時間軸への移動”あたりが妥当だろうか。

(時間軸の移動はそれだけで魔力の消費が著しいが、致し方あるまい)

 一回の過去視でそう何度もできることではないが、少なくとも一度くらいの移動ならば問題なく行える。そう考えた王が、再び詠唱を始めた、その時、

「あー、そこで僕自身の過去を覗こうとしちゃうワケかー。それはちょーっと、容認できないなぁ」

 ウロが、王を見て・・・・喋った。

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