まだ知らぬ想い 2
「間違いなく唯一で一番だけれど、多くのうちの一人ではある、という状況を僅かも憂いることなく、同時に、この状況でなければ絶対に幸せになれない女性。それが、クラリオ様が妻として迎えるための条件だそうです。この王宮にいる王妃は、皆その条件を満たしているんですよ」
「……あの、それって……、」
この状況でなければ絶対に幸せになれない女性。その条件を満たすことができる人となると、つまり。
少年の言わんとしていることを悟ったのか、アメリアが頷く。
「クラリオ様の妻は皆、私のように何がしかの事情を持っています。だからこそ、似たような立場のキョウヤ様を気に掛けてしまうんです」
鬱陶しかったらごめんなさいね、と続けたアメリアに、少年が首を横に振る。
「キョウヤ様も、グランデル王陛下とお付き合いされていたら判るかと思いますが、国王陛下というのは、とても難しい立場の方です。愛する人を幸せにするために婚姻を結ぶ方もいれば、愛する人を幸せにするために婚姻を結ばない方もいらっしゃるでしょう。……民か王妃か、という選択を迫られた際に、国王は迷いなく王妃を捨てなければなりませんから」
愛情とは人により様々な形で示されるものなのだ、と言う王妃に、少年は生まれて初めてその事実を知った。これまで、愛情のなんたるかを少年に教えてくれる人などいなかったのだ。
ならば、この国の国王と王妃の関係も、またひとつの愛情の形なのだろう。国王はすべての王妃を幸せにするために、すべての王妃を一番に愛する。そして、王妃はそれをこそ幸福だと思う。きっとそこには、少年のような部外者には到底理解できないようなものがあるのだ。けれど、
(…………やっぱり、僕は、)
もし、あの王が、自分を呼ぶ時の声で誰かを呼んだなら。愛している、と囁いたなら。
(……それは、いやだ)
何故そう思うのかは判らない。だが、確かにそれを好ましいと思わない自分がいるのだ。あの声が誰かの名を呼ぶのなら、それは自分が良い。
黙って目を伏せた少年に、アメリアが優しい眼差しを向ける。少年がそれを見ることはなかったが、迷子を導くような、それでいて何故か僅かな悲しみを滲ませた目だ。
何度か躊躇うように口を開いては閉じたアメリアが、意を決して少年の名を呼ぶ。
「キョウヤ様、実は、貴方に隠していたことがあります」
「隠していたこと、ですか……?」
「はい。貴方にとって、とても大切なことです。この国に馴染むまでは、キョウヤ様の心の平穏のために黙っておこうということになっていたのですが、今の貴方を見たら、これ以上隠してはおけません」
そう言ったアメリアが、真剣な目を少年に向け、静かに言葉を落とした。
「ギルディスティアフォンガルド王陛下の未来視により、グランデル王陛下の命が危ないことが判りました。詳しい話は、応接室でお待ちのクラリオ様から聞いてください。貴方から訊かれたらお答えするよう、話は通してあります」
はっきりと告げられたその言葉に、少年が目を開く。そしてそのまま、考えるよりも先に彼は駆け出していた。縋るように抱えたトカゲが、懸命にその頭を掌に擦りつけてきたが、今ばかりはそれで心が安らぐことはなかった。
ただ、あの王が無事であるのかだけが気がかりで仕方ない。
(違う。あの人がそんなに簡単に死ぬ筈がない。だってあの人はとても強いんだから。大丈夫、大丈夫……)
そう自分に言い聞かせるが、走る脚を止めることはできない。とにかく、一刻も早く彼の王の無事を確認しなければ落ち着かなかった。
無我夢中で応接室に向かっていた少年は気づかなかったが、王宮を駆ける部外者を誰も止めなかったのは、アメリアが手配してくれていたお陰だった。そうして目的の部屋に辿り着いた少年を扉の前で待っていたのは、黄の王本人だった。
「よー。その様子じゃ、アメリアちゃんからロステアール王のこと聞いちまったな?」
「あ、あの人は!? 無事なんですよね!?」
普段の少年からは想像ができないほど取り乱しているその様子に、黄の王が目を細める。
「今のところ、死んだって話は聞いてねーよ。まあ全部話してやるから、取り敢えず部屋に入れ」
促されて入室した少年は、王の勧めに従って絨毯の上に座った。一応安否の確認ができたことで少しだけ心が落ち着きはしたが、未だに不安は色濃く残っている。そんな彼に、黄の王が小さく息を吐いた。
「……隠してて悪かったな。アメリアちゃんから聞いただろうが、単刀直入に言うと、ロステアール王がやばい。なんでかは知らねぇが、物凄く厄介な敵に目をつけられたみたいだ」
「……でも、無事なんですよね? あの人は、今、どこに?」
少年の問いに、黄の王はやや顔を顰めた。
「俺にも判らねぇ。というか、誰もロステアール王の行方は知らない」
「……どういう、ことですか?」
硬い表情のままの少年に、黄の王は再び息を吐き出した。
「ギルヴィス王の未来視の内容と状況を照らし合わせた結果、ロステアール・クレウ・グランダって男の存在自体を無いものにするのが一番安泰だろうって話にまとまったんだ。そんで、ロステアール王はすぐにシェンジェアン、薄紅の国に向かった。そこでランファ王から最上級の幻惑魔法を掛けられて、後は知らねぇ。ランファ王なら、時間をかければ対象が本来の自分を忘れるくらい強力な目眩ましを掛けられるから、多分、全くの別人としてどっかで生きてる。ただ、対象が死ねば魔法が解けるように設定したらしいし、解ければランファ王には判るって話だから、そういう連絡がないってことは、生きてると判断して間違いない」
「…………それって、あの人が、ずっと、あの人ではない誰かになり続けるってことなんですか……?」
やや震える声が、そう問いかける。それに対し、黄の王は首を横に振った。
「いや、帝国との一件が終わり次第、元に戻すさ。確かに魔法が強力すぎて、対象によっちゃ自我が吹っ飛ぶ可能性もないわけじゃないが、ロステアール王の精神力ならまず大丈夫だ。魔法が解けたら全部元通り。これで安心できるか?」
「…………い、え、安心、できません」
小さな声ではあるが、はっきりとそう言った少年に、黄の王は片眉を上げた。この少年はあまり自己を主張するようなタイプではないと思ったのだが、それでも譲らない姿勢に少し驚いたのだ。
「だって、あの人が、死んでしまうかもしれないんでしょう……?」
吐き出された言葉が、無様に揺れる。
赤の王は強い。それは確固たる事実だ。その赤の王の命を脅かす脅威となると、果たして円卓の連合国だけで対処できるものなのだろうか。その疑念が、少年の不安を駆り立てるのだ。
「……あの人、すら、敵わないような相手、なんて、……なら、……あの人、は……」
嫌な想像は少年を蝕み、声だけでなく、身体まで震え始める。
死は終わりだ。死んでしまえば、何もかもがそこで断絶する。あの美しい赤の王だって、死んだらそうなってしまうのだ。そしてそうなれば、あの声で少年を呼ぶ者は、もう二度と現れはしないだろう。
それは、こわい。
ひ、と狭まる喉が引き攣った音を立てる。その苦しさから逃れたくて、少年は無意識のうちに喉に爪を立てた。それを制するようにトカゲが少年の手を叩いたが、今の少年はそれに気づくことすらできない。
その有様に、黄の王が眉をひそめる。そして、僅かに考える素振りを見せたあと、彼は少々乱暴に少年の肩を掴んだ。
急な接触にびくんと少年は身体を跳ねさせ、けれど確かに王に目を向けた。その僅かな隙を逃さず、王は少年に言葉を差し向ける。
「『何も心配することはない。大丈夫だ』、だと」
赤の王からの伝言だ。そう付け加えられた言葉に、恐慌状態だった少年は、今度ははっきりと目の前にいる男を認識して瞳に映した。
「あのひと、からの……?」
小さく言葉を繰り返した少年に、黄の王がしっかりと頷く。
「……あのひと、が……」
伝言の中身を何度も咀嚼しているうちに、少年は自身の呼吸が少し楽になっていることに気がつく。まだ震えの残る手をそっと喉から外し、何度か大きく深呼吸すれば、より楽になるのを感じた。
(……だいじょうぶ、って、あのひとが……)
柔く微笑む赤の王の、美しい目を思い出す。この世の何よりも美しい王が、言葉を違えたことがあっただろうか。
そうだ。この世で最も信じ難い、自身に向けられる愛すら、彼の王は少年に信じさせてみせたのだ。そんな彼が、大丈夫だと言葉を残した。
(……なら、きっと、……大丈夫、だよね、貴方……)
不安が拭いきれた訳では無い。何せ赤の王を狙っているのは、赤の王すら殺すと予知された相手なのだ。だが少年にとっては、まだ見ぬ先の話よりも、赤の王の確かな言葉の方がずっと重い。
赤の王の言葉を思い、また深く呼吸をする。何度かそれを繰り返すと、震えこそ僅かに残るものの、彼の呼吸は平常と変わらぬものに戻っていった。その様子を見て、黄の王もようやく少年の肩から手を離す。
暫らくの間、気持ちを落ち着けるように絨毯の上に目を落としていた少年だったが、不意にこの場にいるのが自分だけではないことを思い出し、顔を上げる。そして自分を見つめている黄の王に気づき、慌てて頭を下げた。
「あっ、あの、申し訳、ございません……!」
「いんや、別に謝ることねーよ。それより、ちゃんと落ち着けたようで何よりだ。取り敢えず、今日は風呂入ってさっさと寝ちまいな。色々あったから、疲れてるだろ?」
そう言って王は笑った王にもう一度謝罪をしてから、少年は彼の提案を受け入れることにした。確かに、様々なことが一気に起こり、体力的にも精神的にも大変な一日ではあったので、ゆっくり休む必要を感じたのだ。
果たして落ち着いて眠れるかどうかは少し不安だったが、きっとトカゲが傍にいてくれるから、なんだかんだ言っても眠ることくらいはできるだろう。そう判断した少年は、改めて謝罪と礼を残してから部屋を出て行った。
そんな少年にひらひらと手を振ってから、黄の王がやれやれと息をつく。そして、部屋にある大きな窓へと向かい、そこを開け放った。
「居るんだろ? 出てこいよ」
冷たい空気が満ちる外に向かってそう言えば、雷を纏って淡く輝くリァンが空を翔けて来た。窓からリァンを迎え入れた王が、くつろぐように絨毯に身を伏せた獣を振り返る。
「どーせ全部聞いてたんだろ? で、どうだった?」
王の言葉に、リァンが彼を見た。そんな獣に、王が肩を竦めてみせる。
「結構な演技派だったろ?」
そう言っておどけてみせた王に、王獣は何も言わず、目を伏せただけだった。
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