リィンスタット王城 2
人工物めいた微笑みを絶やさずにいる少年に、王はやはり戸惑うように首を捻ったあと、はあと息を吐いた。
「あー……、お前さ、例えばの話なんだけどさ。ほら、お前の彼氏のロステアール王いるだろ?」
間違っても彼氏なんかではない、と思った少年だったが、それが本題でないことは判ったので黙っておくことにした。
「そのロステアール王がさ、国民のためにっつってお前のこと見殺しにしたら、どう思うワケ?」
「どう、と言われましても……」
どうも何もないのではないだろうか、と少年は思った。あの王は王であるが故に、迷いなく国民を選ぶだろう。それは当然のことだし、そうあるべきである。あの王ならば、きっと最後まで全てを救おうと奮闘するだろうから、そんな彼がどちらかを選ぶということは、つまりそうせざるを得ない状況になったということだ。そしてそうなったとき、捨てられるべきは少年の方である。
どうしてそんなことを訊くのだろうと思い、黄の王の顔を窺った少年は、しかし思っていた以上に王が真剣な眼差しをしていることに気づき、なんだか居心地が悪くなって目を逸らした。
「……愉快な気分では、ないと、思いますけど……。……でも、あの人ならそうするでしょうし……」
「ロステアール王を恨んだりとか、裏切られたって思ったりとか、そういうのはないのか?」
その問いに、少年はまたもや首を傾げてしまう。
「ええと……、裏切られてはいませんし、恨むようなことをされた訳でもないと思うので……」
そりゃあ、少しは悲しい気持ちになったりはするのかもしれないけれど、それだけだ。
「ロステアール王を責める気はないって?」
「あの、ですから、責めるも何も、責められるような選択ではないので……」
やけに食い下がって来る黄の王に、少年は途方に暮れてしまった。だが、黄の王はなおも追及の手を緩めようとしない。
「別に告げ口なんてしねーから正直に答えて貰いてぇんだけど、……ロステアール王に、国民だとか世界だとかそういうのより、それを捨ててでも自分自身を選んで貰いたいって、そうは思わないのか?」
周りくどい言い方を止めた黄の王が、とうとう核心へと切り込む。しかし、それを聞いた少年は途端、可哀相なくらいにさっと青褪めてしまった。
「……そんな、あの人が、僕を選ぶなんて、」
「え、ちょ、おい? 大丈夫か?」
突然の少年の変化に黄の王が僅かに狼狽える中、顔を俯けた少年がふるふると首を横に振る。
「あ、あの人は、だって、約束してくれたから……。ずっと、きれいなままだって……。だから、王様であるあの人が、僕なんかのせいで変わるなんて……、そんな……、……そんなこと……」
細く絞り出された震える声は、まるで悲痛な叫びのようにすら聞こえ、黄の王は何度か視線を彷徨わせた後、ああもう、と大きな声を出した。
「止めだ止め! こういう尋問めいたのは向いてねーんだよ俺!」
そう言った黄の王は、胡坐をかいた両ひざに手を置き、何の躊躇いもなく少年に向かって頭を下げた。それを見た少年が、先程までとは別の意味で真っ青になる。
「あ、あ、あの、あの、」
「試すような真似して悪かった」
そう謝罪した黄の王に、少年が慌てて首を横に振る。
「い、いえ、あの、あ、謝らないでください……!」
一国の王に頭を下げられるなんて、小心者の少年には耐えられない状況だ。そんな少年の心の内を察したのか、黄の王はすぐに頭を上げ、少しばつが悪そうな顔をした。
「いや、本当に悪かった。ただ、円卓の王の一人として、お前の認識を確認する必要があってな」
「認識……?」
「簡単に言や、お前が国王の恋人であることの意味を、きちんと理解してるのかどうか、かね。……国王の恋人やら王妃やらってのは、割と特殊なもんだからさ。そういうの、きちんと覚悟してないと色々とキツいんだよ」
「ええと……」
そもそも恋人ですらない少年には、それがどういう風に特殊なのかなど判るはずがなかった。ただ、黄の王の醸し出す雰囲気から、少年が想像できるような特殊性とはまた違ったものなのだろうということだけは察しがついた。
「ま、お前の場合は問題なさそうだから良いや。なんつーか、破れ鍋に綴じ蓋って感じだなぁ、お前ら」
取りあえず他の王連中には大丈夫だって伝えておくわ、と言った黄の王に、少年は理解できないままに頷いた。よく判らないが、先程のあれは、黄の王個人によるものというよりは、円卓の国王全体からの問いだったのだろう。だとすると、自分の回答はあれで良かったのだろうか。
(……でも、だって、あの人が約束してくれたから……)
未だに青褪めたまま赤の王との約束を反芻する少年に、黄の王が苦笑して彼を見た。
「心配すんな。お前の言う通り、ロステアール王がお前のせいで王として誤ることはねぇよ。ありゃこっちが羨ましくなるくらい、何事にも惑わされないでいられるタイプだからな。それに、あの王様が変わらないって約束したんだったら、そういうことなんだろ」
そう言われ、少年の顔にようやく血の色が戻っていく。
別に、王であり続けることが彼の美しさだと思っている訳ではない。王であろうとなかろうと、きっと彼はこの世で一番美しい存在であり続けるだろう。ただ、あの美しい王の歩む道が、自分のせいで僅かでも歪んでしまうのが怖いだけだ。だから、その可能性を提示されたと思って狼狽えてしまった。
けれどもう大丈夫だ。少年はあの約束を信じると決めたのだし、黄の王が提示したのは可能性ではないということが判った。
ほっと安堵した様子を窺わせた少年に、黄の王はやれやれといった顔で彼を見て、小さく呟く。
「なんつーか、まあ、王っていう生き物からしたら、恋人として最適な存在だな、お前」
「え……?」
「あーいや、なんでもねーよ。それより、えーっと、どこまで話したっけか? 滞在中の話とか全然してねぇよな?」
そう言った黄の王が、部屋の扉を見た。
「おーい、そろそろ入ってきて良いぞー」
その声を合図に扉が開く。そして一人の男が中に入ってきた。そこそこの体格をした、三十代半ばほどの男だ。短く切りそろえられた暗い金髪に、やや色の濃い肌は、いかにもこの国の人間らしい容貌だと少年は思った。ただ、どうにも近寄りがたい雰囲気を感じる男だ。射るような鋭い目がそう思わせるのかもしれない。
なんだか怖そうな人だな、と思った少年をよそに、男を自分の傍まで呼び寄せて座らせた王は、その背を遠慮なくばしばしと叩いた。
「こいつはアグルム。うちの兵の中でもそこそこ強い奴なんだけど、この度お前の専属護衛としてつけることになった。ほれ、挨拶しろ」
「……アグルム・ブランツェだ」
仏頂面のままそう言ったアグルムの背中を、黄の王がまたもや叩く。
「いやぁ悪いな。こいつ愛想ってもんがないのよ。でも腕は確かだし命令にも忠実だから、信用してやって」
「痛いんで叩くのやめて貰えませんか、陛下」
「この通り敬語も怪しいくらいなんだけど、マジで腕だけは確かだから」
そう言って笑う黄の王に、少年も微笑みを返しておく。正直、口数が多い黄の王よりはこの護衛の方がまだ良い気がする、と少年は思った。
「お前の護衛に兵力を割いてやれない代わり、になるかどうかはまあ判んねーけど、取り敢えずこいつだけは絶対にお前の味方でいるようにしといてやるから」
「ええと……?」
王の言う意味が判らず首を傾げた少年に、アグルムが口を開く。
「つまり、何があっても彼を守れということですか」
「そうそう。この先、国やお前自身がどんな状況に置かれたとしても、死ぬ気でこいつのこと守ってやれ。帝国との件がひと段落するまで、お前に下す命令はそれだけだ」
いつもと変わらないおちゃらけた調子でそう言った王を、アグルムが見つめる。そのまま数度瞬きをした彼は、次いで、すっと目を細めた。
「……それだけ、ですか。つまり、今後陛下がこいつを殺すという判断をしたとしても、俺はこいつを守らなきゃならないってことですね」
アグルムの言葉に、少年が驚いて黄の王の様子を窺う。少年は黄の王が否定することを期待したが、しかし王は満足そうに微笑んだだけだった。
「陛下が直々にこいつを殺そうとしたとしても、俺にはこいつを守れと」
その問いに、やはり王は何も言わない。だが、否定されないということは、つまりそういうことだ。
はぁ、と小さく息を吐いたアグルムは、やや恨めしそうな表情を浮かべて王を睨んだ。
「ご命令には従いますが、陛下と敵対すれば俺は抵抗虚しく死ぬと思うんですが」
そもそも抵抗らしい抵抗すらできないと思いますけど、と続けた彼に、王が声を上げて笑う。
「そりゃまあそうだ。俺とお前じゃ力量差がありすぎんよ」
笑い交じりにそう言った王は、だが迷いのない眼差しでアグルムを見た。
「だけど、それでもお前はこいつを守ってやれ。その結果、俺に殺されることになっても、だ。良いな」
否を許さないその命に、アグルムは王を見つめ返してから、黙したまま深く頭を下げた。
元よりアグルムに否を唱えるつもりなどないのだ。だというのに、敢えて圧を掛けるような言い方をするあたり、この王らしいと言えばらしい。
「……相変わらず、甘い人ですね」
ぼそりと呟かれた言葉は、恐らく王にも届いたはずだ。だが、王は何も言わなかった。
そんな中、ハラハラとしながら状況を見守っていた少年は、またもや顔色を悪くして黄の王を見た。
「あ、あの、そ、そんな命令しなくたって……」
何も自分のために命を懸ける必要なんてどこにもないではないか、と思った少年に、黄の王は少しだけ困った表情を浮かべた。
「うーん。まあ、重すぎて逆に負担なのは判んだけど、ここは我慢して飲み込んでくれねぇかな。自信満々でーすみたいなこと言ってお前のこと引き受けちゃったから、守り切れないと他の王からめちゃくちゃ怒られそうなんだよ。ほら、取り敢えずポーズだけでも精一杯守りましたって感じにしときたいワケ。判る?」
「で、でも、」
なおも食い下がろうとした少年を、アグルムが睨んだ。もしかすると本人にそのつもりはなかったのかもしれないが、少々強面なので少年にはそう思えてしまったのだ。
怒らせてしまっただろうかと思った少年が、反射的に口を閉じる。そのまま、アグルムの視線から逃れるように顔を俯けてしまった少年を見て、黄の王がアグルムの頭をぽかりと殴った。
「護衛対象を威嚇すんなバカ」
「……別に威嚇なんてしてないです」
「お前顔が怖いんだから、もっとにこやかにしとけよ。キョウヤの奴完全にビビってんじゃねーか」
やれやれ、とわざとらしいため息を吐いた王にアグルムは不服そうな表情を浮かべたが、何も言わなかった。
「あ、あの、……申し訳ありません……口ごたえ、してしまって……」
「あーそういうのは良いって。こっちこそ色々押し付けちまって悪いな」
「いえ、あの、」
迷うように何度か視線を彷徨わせた少年が、アグルムに向かって頭を下げる。
「……よろしく、お願いします」
本当は、命懸けの護衛をつけて貰うなんて、畏れ多くて辞退したい気持ちでいっぱいだ。けれど、少年には王命を覆すことなどできない。故に、彼は諦めて王の提案を呑むしかなかった。
「……いや、こちらこそ、よろしく頼む」
何がよろしく頼むなんだ、と思ったアグルムだったが、身を小さくしている可哀想な少年に掛ける言葉が他に見つからなかったのだ。
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