砂漠の色男 2
「で、でも、早く行かないと、」
訳が判らないまま、それでも男にそう言えば、彼は少年の頭をわしゃわしゃと撫でたあと、ぱちりとウィンクをして寄越した。
「ま、俺に任せとけって」
そう言って笑った男は、少年が言葉を返す前に駆け出した。
「風霊、火霊、ちょびっと加速よろしく!」
言うや否や、男の脚を雷の衣が覆う。その力を利用して速度を上げた彼は、そのまま凄まじい速度で横転している馬車へと向かった。かろうじて少年の目でも姿を追うことはできたが、一般的な人間の身体能力で出せる速度ではない。
あっという間に馬車にたどり着いた男は、馬車の中を覗き込んだ。
「よし、生きてるな」
「あ、お、お願いします! 助けて! 助けてください!」
そこそこの大きさがあるその馬車には、数人の男女が取り残されていた。その全員の無事を確認してから、男は口の前で人差し指を立てる。
「助けてやるから、ひとまず静かにしとけ。今みたいに騒ぐと、」
そこで言葉を切った男が、振り返ることなく後方へと掌を向ける。
「――“
男がそう唱えた瞬間、雷の膜が盾のように馬車を覆った。そしてその盾に、ザナブルムの尾が突き刺さる。後方からの悲鳴を聞きつけたザナブルムが、その毒針を突き立てようとしたのだ。
見もせずにそれを防いでみせた男は、恐怖に震える人々に対し、おどけたように肩を竦めて笑った。
「とまあ、こんな風にあいつを怒らせちゃうから、静かにな?」
皆が口を押さえて頷くのを確認してから、男はザナブルムに向き直り、ぐるりと肩を回した。
「よっしゃ、そんじゃいっちょやりますか」
そう言い、男が戦場へと躍り出る。雷魔法による加速の力を借りてザナブルムの側方に回り込んだ男は、すぅっと息を吸い込んだ。
「お食事中悪いんですけど、そういうのはお家に帰ってからやってくれませんかねぇ! 今帰るんだったら許してあげるからさぁ!」
警戒範囲内で騒音を出せば、ザナブルムの攻撃対象になる。それを知っていて男が敢えてその行動に出たのは、馬車から気を逸らさせるためだ。
突然叫んだ男に、周囲にいた衛兵たちがぎょっとしたような顔をして彼を見る。だが、誰一人として言葉を発するものはいなかった。ここで音を出せば、男の邪魔になる可能性があるからである。
果たして、男の目論見通りにザナブルムの尾は彼目がけて的確に振るい落とされた。だが、男は巨大なそれをひらりと躱す。そして彼は、腰に下げている双剣の内の片方を引き抜いた。赤の王の剣よりも小ぶりな、大きく湾曲した剣だ。
「“
呪文に応えた風霊と火霊が、男の握る剣に雷を纏わせる。そこまでの動作を流れるようにこなした彼は、握った剣を尾に向かって振り上げ、見事一撃でその尾を斬り落としてみせた。
ザナブルムの甲殻は非常に硬く、物理的に破壊するのにかなりの労を要するのだが、それを容易にこなしたこの男は、相当の使い手であることが窺えた。
尾の一本を落とされたザナブルムは、事態が急変したことを察して食事を止め、機敏な動きで男へと向かった。さしもの捕食者も、尾だけで相手をするには獲物が強すぎると考えたのだろう。
一方の男は、容赦なく襲い来る鋏と尾を掻い潜りながら、じわじわと後退していった。一見すると押されているように見えるが、そうではない。ザナブルムをなるべく馬車から遠ざけようとしているのだ。
(さっき落とした尾は、たぶん睡眠効果のある毒針がついてる尾だ。となると、残りの二本のどっちかが麻痺毒で、どっちかが即死毒だな)
どちらにせよ、僅かに掠っただけで命はないだろう。ザナブルムが即死毒の針を使うことは滅多にないが、男相手に残りの尾を二本とも使っているところを見ると、先程の一撃で男の腕をそれなりに見極めたようである。
(尾は一番旨いから、できれば判別したいところだけど、そうも言ってらんねーか)
これ以上長引かせるのは、人々の不安を煽るだけだ。そう判断した後の彼は素早かった。
回避に徹するのを止め、ザナブルムの猛攻を最小限の動きで躱しながら、振り下ろされた鋏に跳び乗る。そしてそこからあっという間に背中に駆け上がった彼は、真っ直ぐに向かってきた強靭な尾を横薙ぎに斬り落とした。続いて、ザナブルムの後方から飛び降りつつ、残った一本を根元から落とす。そこまでやり終えた彼は、剣の魔法憑依を解いて鞘に収めた。
「いやぁ、久々に良い運動したな。っつー訳で、あとはもう良いか」
そう言った男の指がザナブルムを指し示す。
「――“
瞬間、無数の雷が奔り、ザナブルムを堅牢な鎧ごと切り裂いた。しかも、ただ細切れになった訳ではない。鋏、腕、内臓、といった風に、部位ごとに綺麗に分けられたのだ。
「あ、ごめん風霊ちゃん。悪いんだけど、地面につかないように、軽ーく浮かせといてくれる?」
彼のお願いに、吹いた風がザナブルムの肉を受け止める。
その瞬間、一部始終を見守っていた少年の周囲で、わっと歓声が上がった。驚いた少年が周囲を見れば、避難してきた人々を含めた大勢が歓喜に湧き、どっと門の外へと押し寄せた。それに飲み込まれた少年は、なす術なく門の外へと流されてしまった。人混みが大の苦手な少年にとっては大変苦痛な時間だったが、途中、肩に乗っているトカゲが少年を見上げて首を傾げてきたのには、慌てて首を横に振っておいた。
トカゲが何を言おうとしていたのかは判らないが、「こいつら邪魔? 全部焼く?」と問われたような気がしたのである。
そんな民衆の元に解体されたザナブルムを携えた男が戻ってくると、より一層人々が湧き上がった。
「きゃー! クラリオ様かっこいいー!」
「クラリオ様ー! こっち向いてくださーい!」
「ありがとうございます! 流石はクラリオ王陛下!」
「うおおおお! 一生ついていきます!」
周囲の人間たちの口から飛び出てきたその言葉に、少年は目を剥いた。
(……え? は……? 王陛下……?)
恐る恐る男の方へと視線を戻せば、蜂蜜色の髪の色男は、大きく挙げた手をひらひらと振っているところだった。
「はいはーい! 皆大好きクラリオ様だよぉ! 麗しき女性の皆さんは嬉しい歓声をありがとう! もっと讃えても良いのよー!」
「きゃあああああ! クラリオ様ー!」
「むさ苦しい男共は黙っててねー! お前らからの歓声浴びてもなーんも嬉しくないからねー!」
「うおおおおおお! クラリオ王陛下ー!」
「嬉しくないから黙れっつってんだろーがぁ!」
男性陣は酷い言われようだが、何故だかそれはそれで盛り上がっている。しかし、それにしても、
(お、王様、なの……? この人が……?)
そう。女性に向かってひらひらと手を振りながらウィンクを撒き散らしているこの男こそ、黄の国を治める国王、クラリオ・アラン・リィンセンであった。
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