砂漠の色男 1

 あれから三日ほど旅を続けた少年は、ようやく首都近くのオアシス、スロニアまでたどり着いた。ここからもう一日ほどモファロンを走らせれば、首都リィンゼルヴである。

 砂漠の向こうに見えてきたオアシスに安堵しつつ、少年は通行証を確かめた。

 南方国は国や都市への出入りに関する規則が緩い国がほとんどだが、ここ黄の国は少し異なっている。各都市の門には関所が設置されており、基本的にはそこで通行証を見せなければ立ち入れない決まりになっているのだ。黄の国の街は、総じて四方が壁に囲まれた特殊な構造をしていて、それ故に緊急時の避難経路を確保することが難しい。そのため、入門の際に厳しく取り締まり、危険人物を街に入れないように留意する必要があるのである。

 そこで活躍するのが、この通行証だ。金の王の署名が入った通行証の効果は絶大で、本来ならば国外からの通行者につきまとってくる面倒な手続きのすべてをパスすることができるのだ。しかもこの通行証は魔術機構が組み込まれた魔術道具でもあり、少年が触れることでしか王の署名が浮かび上がらない仕組みになっている。つまり、少年が万が一紛失しても悪用されることはないという優れ物なのだ。

「それにしても、何度見てもこの国の街はすごいね、ティアくん」

 眼前に迫った都市の外観に、少年はトカゲへと語りかけた。

 砂漠にそびえ立つ、巨大な石壁。内側から外側へと反り返るようにして建てられているそれは、オアシス都市を取り囲む防壁である。雨季になると雨水を吸った砂が雪崩のように襲ってくるこの国では、必須の防災建築だ。

 周りを見れば、多くの馬車や騎獣がこの都市に立ち入ろうとしているようだった。さすがは首都近郊の街だな、と思いつつ都市の入り口である関所までやってきた少年は、自分の順番が来たところで一度馬車から降り、衛兵に通行証を提示した。それを確認した衛兵が、少しだけ驚いた表情を浮かべてから深々と頭を下げる。

 何度か経験しているが、この瞬間が少年はとても苦手だった。要人のような扱いを受けるのは居心地が悪いのだ。

 衛兵に頭を下げ返し、少年は早々にこの場を立ち去ろうとした。

(取り敢えずここでモファロンにご飯をあげて、ひと休みしよう。今晩は宿に泊まるとしたら、出発は明日の朝早くかな……)

 そんなことを考えながら馬車に乗り込もうとした少年だったが、それを遮るように後方で大きな音と悲鳴が上がった。驚いた彼が振り返るのと同時に、関所の衛兵が叫ぶ。

「緊急事態発生! 南部関所付近にて砂蟲サンドワームによる襲撃! 砂蟲サンドワームの数は、……十を超えます!」

 衛兵の声を聞きながら背後を見た少年は、先程までなだらかだった砂丘から十数頭の砂蟲が顔を出し、後方に並ぶ馬車を襲わんとしているのを目にして小さな悲鳴を上げた。

「皆様焦らず落ち着いて門の中へ! 緊急事態につき、通行許可は不要です! とにかく確実な避難を!」

「衛兵は砂蟲サンドワームの迎撃態勢に入れ! 仕留めなくても良い! 国民を守ることに専念せよ!」

 その指令が出されるよりも早く、関所に待機していた一部の兵は既に砂蟲の群れへと向かっていた。まるで、こういった危機状況をあらかじめ想定していたかのような動きである。

(す、すごい……)

 この街の衛兵は恐らく、国王直轄の兵とは別の部隊だ。だが、それでもこれだけ迅速かつ的確な行動が取れるということは、それだけ訓練を積んでいる証拠である。

「さあ、貴方もどうぞ門の中へ」

 兵の一人に促され、少年は慌てて頷いた。

 こんなところで呆けていては、邪魔になってしまう。そう思いながら、少年はモファロンの前まで行って引き綱を握った。馬車に乗り込まなかったのは、この状況で外が見えなくなることを避けたかったからだ。そっと綱を引けば、賢いモファロンは大人しく従ってくれた。そのことにほっとしつつ、少年はもう一度だけ後方を振り返る。

 巨大な生物を前に、しかし衛兵たちは随分と戦い慣れているようで、確実に砂蟲を抑え込み始めていた。ややパニックになりかけてはいるが、外にいる人々や馬車も滞りなく街へ入ってきている。この様子なら、事態はすぐに鎮静化するだろう。

 衛兵たちの鮮やかな対処に感心しつつ歩を進めていると、不意に地面が大きく揺れた。その衝撃で転びそうになった少年が、寸でのところでモファロンにしがみつく。

「地震……?」

 少年がそう呟くのと、先程よりもずっと悲愴な悲鳴が辺りに響き渡るのと、どちらが早かっただろうか。

 新たに上がった悲鳴に再度振り返った少年が門の外に捉えたのは、砂蟲の群れを蹴散らすようにして現れた巨大な甲殻生物であった。それを見た人々は勿論、衛兵たちまでもが顔色を変えて息を飲む。

 ザナブルム。前肢に巨大な鋏、尻に三本の巨大な尾を持つ、砂漠生態系における上位種である。

 途端、先程まで暴れていた砂蟲たちが一斉に砂中へと潜り始めた。砂蟲にとって、捕食者であるザナブルムは脅威なのだ。だがそんな中、その内の一頭をザナブルムの鋏が捉えた。巨大な刃が砂蟲の硬く分厚い皮膚を裂き、その身体を切断する。嫌な音を立てて千切られた身体は、何度かびくびくと震えた後で、動かなくなった。そしてそんな砂蟲の死体に、ザナブルムが喰らいついた。ぱかりと四つに割れた大きな口が、柔らかな肉が覗く切断面を貪る。

 見ているだけで気分が悪くなるような光景だったが、幸運なことに今のところザナブルムは砂蟲にしか興味がないようで、周囲にいた衛兵や馬車に危害が及ぶ様子はないように見受けられた。

 ほっとして自分も避難を続けようとした少年はしかし、食事中のザナブルムのすぐ後ろに馬車が横転しているのを見つけてしまった。はっとして目を凝らせば、倒れた馬車の中で何かがもぞりと動いたのが見えた気がして、彼は小さく息を呑んだ。

(中に、まだ人がいるんだ……)

 恐らく、ザナブルムが地上に出たときに馬車が倒され、そのまま出ることができないでいるのだろう。

 衛兵に伝えなければと視線を巡らせた少年だったが、よく見れば砂蟲と対峙していた衛兵たちは誰一人としてその場を離れておらず、場に留まってザナブルムへの警戒を続けてる。

 これは少年の憶測だが、衛兵もまた、馬車に取り残されている人がいることに気づいているのだろう。今ならば何事もなく逃げられるだろうに戻ってこないということは、そういうことだ。だが、衛兵たちは警戒をするようにザナブルムを睨むのみで、それ以上動く様子はない。

(……きっと、迂闊に手を出せないんだ)

 ザナブルムは砂漠に住む魔獣の中でもかなり危険な生物である。それこそ、砂蟲の群れなどとは比べ物にならないほど厄介な相手だ。いくら食事に夢中とはいえ、ザナブルムの警戒範囲で動きを見せれば、尾の先端についている毒針で貫かれるかもしれない。そしてひとたびそうなれば、獰猛なザナブルムはその場にいる生き物を皆殺しにするまで怒りを収めないだろう。

 まさに一触即発の雰囲気の中、少年は葛藤していた。今までの少年ならば、こんな場面に出くわせばすぐに逃げていただろう。彼は力のないただの人間だ。誰かを助けるなんて、できる筈がない。

 だが、今は違う。いや、今も昔も少年自身は変わらないが、たったひとつ変わったことがあった。

 少年の手が、控えめに首元のストールを撫でた。そうすれば、ストールの中からトカゲが這い出てきて、少年の肩に乗る。

 逡巡するように視線を彷徨わせた少年は、しかし、思い切ってトカゲを見た。その視線を受け、聡明な炎獄蜥蜴バルグジートが小さな炎をぼっと吐き出す。

 任せろと言わんばかりのその動作に、少年は一度ぎゅっと唇を結んだ後、頷いて走り出した。怖くないと言ったら嘘になるが、ここで自分が逃げ出すのはいけないことのような気がするのだ。

(だって、あの人だったら、絶対に逃げたりしない)

 力がある者が力のない者の助けになるのは当然のことだ、と。きっと、あの王ならば、自分が王であろうとなかろうとそう言うだろう。だから、その王から力を貸して貰っている自分がそれをしないのは、間違いだと思ったのだ。

(ティアくんは飽くまでも僕の護衛だから、僕から離れられない。だから、僕がちゃんとあそこまで行かないと……!)

 そう思って門の外へ向かった少年だったが、不意に誰かがその肩を掴んだ。びくりと大袈裟に肩を跳ねさせた少年が振り返る前に、彼はぐいっと後ろへと身体を引かれた。そしてその耳元に、小さな声が落ちてくる。

「こんなとこで炎獄蜥蜴バルグジートなんか暴れさすなよ。大注目だぞ。そんなのお前も避けたいだろ?」

 どこか呆れたような、しかし怒っている訳ではない声だ。そこでようやく少年が振り返ると、そこには、上半身の衣服をはだけさせ、褐色の肌を惜しげもなく晒している色男が立っていた。

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