Episode.3 ミーナの戦い
ミーナにとって幸運だったのは、カイブツの注意が彼女の部屋に集まっていた大人の男たちの方へ向いたことだ。
彼女と伯父のゲンに遅れ、部屋から逃げ出してきたところをカイブツの剛腕、その指先に備えられた爪に次から次へと引き裂かれていく。
逃げ場を失った男たちはミーナの部屋の中、彼女の見えない所で袋小路へと追い詰められ、次々と断末魔の叫びをあげる。
ミーナにとって残酷だったのは、そうして血に染められていく場所がこの夜までは居心地の良い自分の部屋だったことだ。
基より場合によっては捨てなければいけない隠れ処だったとはいえ、それでも此処で共に過ごした大人たちは自分の仲間、味方だと思っていた。
しかし今、死に行く大人たちは先程まで自分を襲おうとしていた。
誰よりも信じていた伯父でさえ、それに加担した。
だからミーナは伯父に手を引かれることに嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
「来い! 一緒に来い‼」
「離して‼」
ゲンはあくまでミーナを連れて行こうとする。
男の腕力で無理矢理攫おうにも、少しずつ引き摺るように歩くことしか出来ない。
もたもたしているとカイブツが部屋から出てきてしまう。――そんな焦りから業を煮やしたのか、ゲンはミーナの体を担ぎ上げる為に胸に引き込もうとする。
ミーナはこの行為にこれまで以上の拒絶感を覚えた。
「がっ⁉」
瞬間、ミーナは懐に忍ばせていた包丁でゲンの腕を切り付けた。
ゲンの腕から
「お、伯父さんっ⁉」
「ミーナぁぁッッ‼ お前ふざけんじゃねえぇッ‼」
血走った目でミーナを睨み付けるゲンは尺骨動脈を切られていた。
無我夢中のまま自分がしてしまった行為の結果伯父の手から逃れたミーナだったが、ここまでするつもりは流石に無く、動揺を禁じ得なかった。
しかし、その時ゲンは突然ミーナから視線を逸らして瞠目し、斬られた腕を抱えこんだまま彼女の方へ突進して来た。
何が何やらわからぬまま突き飛ばされたミーナだったが、彼の意図は次の瞬間に知ることになる。
ミーナの背後にはカイブツが既に迫っており、彼女をその爪で引き裂こうとしていた。
彼女はゲンに突き飛ばされたことにより辛うじて難を逃れたが、逆にゲンはカイブツに捕まっていた。
「く、くっそぉぉ……‼」
「や、
ミーナは無謀にも包丁一つでカイブツに飛び掛かった。
ゲンを掴む丸太の様な腕を錆びた包丁で切りつける。
「ば、
ゲンの様な老いた人間の細腕ならいざ知らず、そんなものがカイブツに通るわけがない。――常識的には誰でもそう思うし、ミーナ自身もどうこうできるとは思っていなかった。
だが予想に反し、包丁はカイブツの腕に深く突き刺さった。
悶絶するカイブツは堪らずゲンを床に放り投げる。
包丁はカイブツの腕に突き刺さったままミーナの手を離れてしまった。
つまり彼女は唯一の武器を失った。
それでも彼女はゲンの元に危険を承知で駆け寄る。
「伯父さん、大丈夫⁉」
「くっ……。ミーナ、お前
悪態を吐くゲンだったが、その目には涙が滲んでいた。
「
ゲンは出血により青褪めた顔を後悔に顰めていた。
そして、最後の力を振り絞るように立ち上がる。
「伯父さん……?」
「ミーナ、お前が見つけてきた長い刃物、あれは
ゲンはミーナを守るようにカイブツの前に立ち塞がる。
「化け物め! ここを出るまで、ミーナには指一本触れさせんぞ‼」
カイブツはゲンを軽く弾き、ミーナに怒りの眼を向ける。
しかし、脚にしがみ付いたゲンを見て激高し、彼を踏み付けにする。
「ぐぎっ……‼ ミーナ、行け‼」
叫ぶ伯父の言葉にミーナは決意を固め、走った。
彼の部屋はすぐ近く。
本当に『妖刀』がそこにあるのなら、取りに行くのに時間は掛からない。
そして、このことに関して伯父の言葉に嘘は無かった。
部屋の扉を開けてすぐ、彼の枕元に『妖刀』は立て掛けてあった。
『ミーナ、無事だったか!』
鞘の奥で刃を光らせ、彼はミーナの無事に安堵の言葉を掛けた。
「妖刀のお爺ちゃん、力を貸して!」
『うん? 力?』
「昼間みたいにあのカイブツを殺す! ゲン伯父さんを助けなきゃ‼」
そう、ミーナは伯父の言葉に従って逃げるつもりで妖刀を取りに来たのではない。
逆に、カイブツと戦おうと考えていた。
『あの色呆け男を? この期に至ってはさっさと逃げた方がええと思うがの。ま、好きに使うがいいさ。一匹程度の怪物になら、お前さんは敗けやせん。』
ミーナは無言で頷くと、左手で妖刀の鞘を掴んで駆け戻る。
そして右手で柄を握り、抜刀の態勢を整えつつカイブツへと向かっていく。
「伯父さんを放せええっっ‼」
ミーナの真紅の眼が光り、抜刀された剣線がカイブツの体を袈裟懸けに貫いた。
正に一閃。
カイブツは自分の体が二つに斬られたことも気付かぬまま、実にあっけなく崩れ落ちた。
しかし、遅かった。
ゲンはカイブツに踏まれ、裂けた腹から肋骨と臓物を飛び出させていた。
息はあるが、辛うじて。
事切れるのは時間の問題だろう。
『ミーナ、気の毒だがこの男、間もなく死ぬぞ。』
ミーナは再び、黙って妖刀の言葉に頷いた。
薄々解ってはいた。
どれだけ短時間で戻り、一瞬の内にカイブツを
今、ゲンの瞳にミーナの顔が映されている。
震える唇から、何かの言葉を発しようとしている。
「ミーナ……。ごめんよ……。」
ゲンはそれだけ呟くと、息を引き取った。
掠れる様な小さな声で最期に残したのは、裏切ってしまった姪に対する謝罪の言葉だった。
「伯父さん……。」
確かに、この夜彼らはミーナを襲った。
その時点で家族たる資格を失ったと言っていいだろう。
しかし、そんなどうしようもない伯父だが己の行為を悔い、そしてミーナを逃がそうとしたこともまた事実だ。
「さようなら、ゲン伯父さん。みんな、さようなら……。」
ミーナは思い出す。
両親が死んだ時は、ただ悲しかった。
未知との出会い、外の世界の冒険はそれを誤魔化し、そして埋めてくれた。
今まで共に暮らし、そしてこの夜に
今回は、悲しいというよりも虚しさがこみ上げる。
愛おしいと思っていたものが根底から崩れ去り、思い出の中からも失われたような、そんな虚しさが。
このまま去ってしまう方が良いのだろう。
いつまたカイブツが襲ってくるか最早分からない以上、余り長居はしない方が良いのだろう。
でも
「妖刀さん、朝までには終わらせるから、少し我が
『どうした?』
「地下にお父さんとお母さんを埋めた時に使った穴掘りの道具がある筈。」
『お前さんまさか、こいつら全員葬るつもりか?』
ミーナは黙って地下へと向かう。
「妖刀さんはこうなることを分かっていたんだね。」
『ああ。きちんと言ってやるべきじゃったの。』
「言われても聴かなかったと思う。それに、一人で逃げるように言われた時怒っちゃったから……。」
『仕方のない話じゃ。』
「うん、良くして貰ったから。ただその裏では、本音ではずっと今夜の様にすることを考えてた。でも家族だと思って生きてきたのも確かだから、お父さんやお母さんの時みたいにちゃんと葬ってあげたい。それが大切な人との別れの作法だって、みんなに教わったから。そうしないと、全部消えちゃうような気がするから。」
この夜死んだ隠れ処の大人たちは全部で二十人。
華奢な少女が大の男の死体を外まで運び、そして埋めるのは一人だけでも大変な作業である。
しかし、ミーナにとってそれは必要な儀式だった。
死者を葬るというのは、別れに対する心の整理という意味合いもある。
『
「ありがとう。」
彼女は朝までかけて隠れ処の大人たち全員葬った。
そして休むことなく地下の備蓄から可能な限りの食料と水を持ち出し、袋に詰めて西へと旅立った。
生前の父、そして伯父の遺言の通り、同じ人間の仲間がいると信じて。
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