Episode.2 ミーナの隠れ処

 ミーナは走る。

 カイブツが出てくる大きな空間の裂け目が近くに生じてしまった事を、一刻も早く隠れ処の仲間達に伝えなくてはならない。


 ミーナは走る。

 いつの間にか体の痛みが消えているが、そんなことに気を配っている余裕など無い。


 しかし、『妖刀』はそんな彼女にとんでもない言葉をぶつける。


『ミーナよ。お前さん、仲間とやらと一緒に逃げるつもりか?』

「当たり前じゃない! 何言ってるの⁉」

『うーむ、お前さんだけ他の場所に身を寄せるとか、そういう見込みは無いのか?』


 彼の放言にミーナは思わず立ち止まり、激昂する。


「ふざけたこと言わないで! 捨てちゃうよ‼」

『おお、すまん。ごめんよ……。』


 本気で怒られて気圧けおされたのか、妖刀の嗄れ声は心なしか消え入るように弱々しかった。

 ミーナは彼を捨てこそしなかったものの、力一杯握りしめて再び歩き出した。

 肩を怒らせて歩を進める彼女に、妖刀は遠慮がちに語り掛ける。


『酷いことを言って悪かったの。事情も知らない今日会ったばかりのわしがとんでもない事を口走ってしもうた……。』

「反省してる? なら良いけど。」

『うむ、うむ。唯一つ、忠告させてくれんか? お前さんはさっきわしの事を捨てると言ったが、それはめた方がええ。どうしても許せんと言うなら、その時は覚悟するが、代わりの得物は用意しときんさい。例えば今懐に持っとる刃物、〝包丁〟とかをの。それも肌身離さず、寝る時も常に忍ばせといた方がええ。』


 妖刀の言葉が耳に入っているのかいないのか、ミーナは彼に答えることなくそのまま夕日に向かって歩いて行った。



**



 彼女が知る限りの世界に、旧人類の文明はその名残を遺すばかりで機能はしていない。

 故に電気等は無く、日が暮れてしまえば後は月と星の明かりだけが頼りである。

 ただ、例外的に緊急時は火を起こしてそれを灯りとすることがある。

 しかし、燃やせるものはカイブツから採った動物性のあぶらが大半であり、基本的には限りがある為余程の事態でなければ使用しない。


 つまり、文明の名残として今も聳えるビル跡の入り口で、小皿に盛ったあぶらの灯を用意した伯父や他数名の男達がミーナを待っていたのは、それだけ彼女を本気で心配していた証である。

 彼等の衣は皆ミーナに負けず劣らずボロボロだが、逆に少女のミーナが同じ状態になっている方がおかしいのだ。


「ゲン伯父さん!」


 ミーナは急いで伯父達の方へ、隠れ処の入り口へと駆け寄った。

 ゲンは表情こそ厳しいが、顔立ちはミーナの奔放を大目に見る柔和な中年を彷彿とさせるものがある。

 しかし、流石に日が暮れる頃まで出歩いていた彼女のことづけ破りは看過できないらしく、強い語気で彼女を叱りつける。


「ミーナ! あんまりウロチョロしちゃ駄目だっていつも言ってるだろう! おまけにこんな遅くまで帰って来ないなんて、みんなどれだけ心配したと思ってる!」

「ご、ごめんなさい‼」


 普段よりも声を荒げるゲンの様子にミーナは思わずたじろぐ。

 貴重なあぶらまで持ち出して最悪自分を捜索しに出かけるつもりだった様子に申し訳無さを感じずにはいられなかった。

 他の男たちは呆れたような、安堵した様な佇まいでミーナを温かく迎え入れようとしている。

 しかし、今はそれよりも大事な話がある。


「ね、聴いて伯父さん! わたし、とんでもないものを見ちゃったの‼」


 ミーナの慌てた様子にゲンは顰めた眉から僅かに力を抜き、説教を中断して彼女の話を聴こうとする。

 そして事情を知った背後の男達がどよめく中、彼は姪の言葉の真偽を吟味するように東の空に浮かぶ月の方へと目を遣った。


「川の新しい裂け目か……。」

「そう! カイブツも出てきて、それで、みんな逃げなきゃって……!」

「確かに、一大事かもね。こりゃリーダーと相談するべきかも知れない。」


 ゲンはじっとミーナを見詰め、そして彼女の右手に視線を移した。


「ところでミーナ、手に持ってるそれは何だい?」

「あ、これは……。」


 妖刀の事を尋ねられていると察したミーナは少し困った。

 自分の体験を話したところで、信じて貰えるだろうか。

 変な夢でも見たと思われるのが関の山だろう。


 そんなミーナの悩みなど露知らず、ゲンは何も持っていない左手を差し出した。


「ちょっと見せてくれんか?」

「う、うん……。」


 ミーナは少し迷いながら、恐る恐る伯父に妖刀を預けた。


『い、いかん‼』


 妖刀の声が聞こえた気がしたが、その時には既に彼はゲンの手に受け渡されていた。

 ゲンはすぐに刀が鞘から抜ける事に気が付き、それが刃物であることを察したらしかった。


「ミーナ、これは子供が持ってちゃ危ない物だよ。包丁くらいの小さな刃物ならいざ知らず、こんな大きな刃物を持ち歩いちゃいかん。これは伯父さんが預かっておこう。」

「え?」


 伯父の言葉にミーナは少し戸惑いを覚えた。

 道中で妖刀が語っていた言葉も相俟あいまって、それが何か禁忌、恐ろしい事のように感じられた。

 しかし、そんな彼女の思いは関係無いと言わんばかりにゲンは妖刀を両手でしっかりと握りしめ決して渡さないいう意志を無言の内に表していた。


「ミーナ、。ここからはだ……。」


 ゲンの脇にいた男がミーナの背後に廻り、彼女の背中を押して隠れ処としている建物の中に入るよう促す。

 そしてゲンはあぶらに灯を点し、薄暗くなった足下を照らしながらミーナ達を先導し始めた。

 ミーナにはそんな大人たちの態度が少々強引に感じられた。

 もっとも余り長く外に出ているのは危険なので、多少そんな行動になるのも仕方が無いとも考えた。


「ミーナちゃん、今日採ってきたものは?」


 後ろの男が話しかけてきた。


「肉が少し。本当は水も汲んで来たかったんだけど……。」

「わかった。おじちゃんが地下に持って行っておくからミーナちゃんは先に休んでなさい。もしかしたら明日朝早く此処を出るかも知れないからね。」


 男はそう言うとミーナが背負った袋を弄り、戦利品の肉と携帯していた水筒を預かる。

 この建物は近くの水脈の影響か地下に夏場も低温を保っている部屋があり、食料はそこに保管されている。

 この世の中に生きていく上では捨て難い、中々便利な物件と言える。


 なので、共に生活を送っている大人たちがどういう判断を下すかは分からない。

 もしかすると、このままここで生活を続けるかも知れない。


 ミーナは一人、寝室として与えられている部屋で背後の男とゲンを見送って扉を閉めた。

 ふと、彼女は懐に忍ばせていた刃物、「包丁」が気にかかった。

 いつもは洗って別の場所に仕舞っておくのだが、頭の中で『妖刀』の言葉が妙に引っ掛かる。


――例えば今懐に持っとる刃物、「包丁」とかをの。それも肌身離さず、寝る時も常に忍ばせといた方がええ。


 ミーナは得も知れぬ不安を覚え、これ以上膨らむ前に早く寝てしまおうと厚手の衣に身を包んだ。



**



 どれだけ時間が経っただろうか。


 大人たちの声がする。――ミーナは目蓋を閉じたまま意識を浅い眠りから覚醒させた。

 ミーナはいくつもの奇妙な感覚に包まれていた。


 一つは、空間に風が吹き抜ける開放感がある事。

 どうやら部屋の扉が開け放たれているらしい。

 もう一つは、肌に仄かな熱を感じる事。

 まるでいくつもの灯が点されているかのようだ。


 おかしい、明らかにおかしい。――ミーナは異変に飛び起きた。


 すると、何者かが物凄い力でミーナを取り押さえた。

 まさか、カイブツが侵入したのか。

 逃げなければ、みんなに報せなければ。――そう考えた瞬間、ミーナは周囲にその「みんな」が集まっていることに気が付いた。

 そして自分を取り押さえているのが、伯父のゲンとさっき肉を預けた男の二人であることにも。


「何⁉ 何⁉ これは何⁉ どういうこと⁉」


 ミーナは困惑し、体を捩り四肢に力を込めて藻掻こうとする。

 しかし、取り押さえている二人の男の力は予想以上に強かった。

 同じ人間とは思えない、とんでもない力。

 ミーナは男の膂力りょりょくを初めて知ることになった。


「伯父さん‼ 何なのこれ⁉」

「ミーナ、おれ達は話し合った。もうこれ以上お前を危険に曝すわけにはいかない。それに、これだけ大きくなればもう充分だろう。今まで沢山良くしてやった。多少のやんちゃも大目に見てやった。これからはお前がおれ達の役に立つんだ。」


 男の一人が灯の点ったあぶらが盛られた皿を床に置き、そしてボロボロの衣を脱ぎ捨て、痩せ細った裸体を露出させた。


おれ達には女のお前が必要なんだよ。だから。大人しくみんなの子供を産んで、働き手を増やしてくれ。」


 伯父の言葉はミーナの覚醒した脳内におどろおどろしく反響する。

 目の前の男が及ぼうとしている行為にはまだ想像が及ばないものの、何かとんでもない事をされようとしていることは解る。

 男はまるでカイブツにも似た歪んだ笑みを、今まで共に暮らして来てみた事も無いような邪悪な表情を浮かべて呟く。


「いやあ、別嬪べっぴんに育ってくれて本当に良かった。」


 ミーナは思い出す。

 此処ここへ戻ってくる前に妖刀が言っていた「危険」の意味はこういう事だったのだ。

 隠れ処に危機が迫っているのではなく、隠れ処そのものがミーナにとって危険な存在に変貌することを彼は予知していた。


 一人で逃げろと言われた事。

 自分、もしくは刃物を肌身離さず持っておけと言われた事。

 全てが繋がった時にはもう遅い。

 ミーナは体の自由が利かず、懐に忍ばせた「包丁」も意味を成さない。


 しかし、その時部屋の外から男の悲鳴が聞こえた。

 突然の異変にそれまでミーナに乱暴しようとしていた男たちは慌てふためく。


「み、みんな逃げろーっ‼」

「カイブツが、カイブツが入って……‼」


 事態を報せる言葉に男達は騒然となった。

 最早ミーナをどうこうしている場合ではない。

 灯りと人の気配が集まるこの部屋を察知されるのは時間の問題だ。


「畜生、判断ミスだ‼」


 男たちの一人、この隠れ処のメンバーを束ねるリーダーで最年長のジョーは頭を抱えている。

 ミーナの警告を聞き入れ、すぐさまこの場所を立ち去っていれば或いは襲撃は免れたかも知れない。


 一方でこの状況変化はミーナを一先ひとまずの危機から救った。

 但し、より大きな危機が招き入れられたのだから彼女にとっては(読者に対して物のたとえを用いるならば)狼が虎に代わった程度の変化でしかない。


 動揺からか、ミーナを取り押さえていた男たちの力が緩んでいる。

 彼女はその隙に必死で彼らの拘束を振り解き、懐に手を入れようとする。

 しかし、その腕は伯父のゲンに掴まれた。


「ミーナ、来い‼」


 ゲンは怒鳴り声を挙げ、ミーナの手を引こうとする。

 だが彼女にとってゲンは最早優しい保護者ではなく自分に危害を加えようとする獣の一匹だ。

 素直に身を預ける事には抵抗を覚え、引く手に逆らおうとする力が入る。


「嫌‼ 離して‼」

「嫌がってる場合か‼ おれと逃げるぞミーナ‼」


 結局ミーナはゲンの力に抗えず引き起こされ、そのまま手を引かれて部屋の出口に群がる男達に揉まれながら無理矢理引っ張り出された。

 しかし悪い事に、カイブツは廊下の、彼女の寝室のすぐそばまで侵入してきていた。

 三つ頸の猫科猛獣ような頭部、それぞれの口から喰ったと思しき人間の血が滴り落ちている。


 昼間、危機を脱する力となった『妖刀』は今ミーナの手には無い。

 彼女は再びカイブツのもたらす避け難き死に直面していた。




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お読み頂き誠にありがとうございます。

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