Chapter.1 探索

Episode.1 ミーナと妖刀

 銀髪色白、そして深紅の虹彩が印象的な少女ミーナはその日も伯父の言い付けを破った。

 かつて亡びた文明が残した頑強な建物は生き残った人類にとって己の身を護る隠れ処であり、そこから出なければならない危険な作業はもっぱら大人の役目である。


 しかし、ミーナは外の世界を探検するのが好きだった。

 青い空から照り付ける太陽の光の心地良さが好きだった。

 空間の裂け目から垣間見える怪しげな暗闇の不気味さが好きだった。

 前日まで三日間雨が降っていたこともあり、晴れたら久々に外へ出てみようとずっと考えていたのだ。


 ミーナは冒険心に溢れる十代前半の少女である。

 幼いころ両親を殺されてからは伯父やその周囲の者達の世話になり生活している。

 彼女は外の世界を出歩く危険性を十分に承知していた。

 そこは彼女の両親を殺した異形の「カイブツ」が徘徊する死と隣り合わせの世界だ。


「あ、お宝発見!」


 しかし、それでもミーナは好奇心の赴くままに長い銀髪を靡かせながら雪のように白い肌に似合わぬ活発さで外の世界を駆け回って探検し、生活に必要な「お宝」を見つけては棲み処に持ち帰る、ということを繰り返す。

 繰り返し繰り返す内に母親からの御下がりの衣はボロボロとなり、継ぎぎも追い付かない有様、正に襤褸ぼろを纏っている状態である。

 何度も述べるが、本来そんな姿になるような作業は大人の役目である。


 ミーナは密かに持ち出した錆びた刃物を懐から取り出し、「お宝」こと「カイブツ」の屍肉を削ぎ落そうとする。

 読者にカイブツの姿を可能な限り伝えようとすると、それは立派な角を生やした水牛に似た化け物だ。

 ただし、その背中には鋭い鉤爪の付いた翼が生えており、また翼、鉤爪、前足と後ろ脚、そして角の付け根には目や口が不気味に備わっている。


 ミーナの集落だけでなく、現在人類が摂取できる主要な動物性蛋白質は殆どが「カイブツ」由来のものだ。

 彼女はカイブツの体液が体に掛からないように注意しながら、肉に刃を入れる。

 時折、カイブツの中には血液に相当する体液に強い毒性や劇物性を示すものがあり、触れたら怪我や死の元になることもあるとミーナは知っていたからだ。


「げっ……!」


 カイブツの体液がほんの少し袖にかかった。

 幸いのところ衣服に異常はなかったものの、念のため後でよく洗っておかなければならない。

 貴重な水を無駄にするわけにはいかないので、近くの川まで足を運ぶ必要が生じてしまった。


「しょうがない……。ついでに水も汲んで来ようかな……。」


 ミーナは背負った袋から小袋を取り出すと削ぎ落した肉を詰め、鞄に仕舞い込んだ。

 そして、足早に草の生えたアスファルトを走り去る。

 カイブツの死骸があるということは、近くに殺した別のカイブツがいる可能性が高いからだ。



**



 穏やかに流れる川の岸まで辿り着いたミーナは肝を冷やした。

 上空には見たことも無い大きな「空間の裂け目」が新しく出来ていたからだ。


「もうちょっと流れの上の方に行かなきゃ駄目か……。」


 空間の裂け目、それは時としてカイブツの棲み処となっているらしい。

 カイブツから逃げてきた大人の証言には、このような大きい「裂け目」からそれらが溢れ出したという恐怖体験が多い。

 華奢な少女であるミーナは万一それらに遭遇すると確実な「死」を被ることになる。

 どうやらカイブツ側もまた人間を食料と見做みなしているらしい。


 これだけ大きな裂け目がある場所が危険であることは明々白々だった。

 なので、ミーナはもう少し上流で水を汲もうと考え、その場から立ち去ろうとする。


 しかしその瞬間、空間の裂け目の奥で何かがきらりと光ったような気がした。

 そして、それが事実かどうか確認しようと二度見したところ、奇妙な紋様と装飾が施された棒切れのようなものが裂け目から零れ落ちた。


「何だろう……?」


 先程も述べたが、このような大きな裂け目がある場所はカイブツとの遭遇可能性が高いため危険極まりなく、何があろうと脇目も振らず退散するのが本来賢明である。

 しかし、これも繰り返すがミーナは冒険心に溢れる少女である。

 この時、余りにも珍しいものが見えたので彼女の好奇心が危機感を上回ったのだ。


 ミーナは塀の亀裂に足を掛けて苔の生えたいわへと降り立つ。

 前日に雨が降った影響で濡れて滑りやすくなっているので、流水へと落ちないように気を付けながら先程の棒切れの様な物へと近寄る。


「これだ……。何だろう、凄く綺麗……。」


 手にとって改めてよく見ると、棒切れの長さは彼女の身長の三分の二を少し超える程度である。

 輪の様な装飾品が全体から四分の一ほどの箇所に嵌められており、その輪によって区切られた短い方は繊維が絡められて握り易い半面、長い方は奇妙な紋様が描かれ、そして見たことも無い程艶めいている。


「ん……?」


 ミーナは、その長く艶めいている物は棒切れ本体から抜くことが出来るという事に気が付いた。

 これは丁度中の物を収納する筒の様になっている。

 そして、いざ抜いてみると中から現れたのは、これまた彼女が今まで見たことも無い程の金属光沢、輝きを纏っていた。


「これは……刃物……?」


 ミーナが持っている包丁とは余りにも形が違い、また状態も雲泥の差であるが、彼女は即座に「これはとてもく切れるものだ。」と直感した。

 もしかしたらカイブツの肉を削ぎ落すのも楽になるかも。――珍しいお宝を拾ったと、彼女は上機嫌になった。


 ただ、少女にとっては中々重い得物だ。

 別に無くても刃物の用は足せると考え、少しでも軽くするために筒はその場に置き去りにしようとする。


 と、その時である。

 ミーナは誰かに呼ばれた気がした。

 最初、伯父が迎えに来たのかと思って叱られるのを覚悟したが、辺りにそれらしき人影は無い。


「誰……?」


 ミーナはまた自らを呼ぶ声を聞いた。

 それはしゃがれた老翁を感じさせる声だった。


 ふと、彼女は思い出す。

 カイブツの中には、人間の声を模して獲物を誘き寄せるタイプのものもいるらしい。

 そう考えると、早くここを立ち去った方が良さそうだ。


「早くみんなの所に戻ろう……。」


 ミーナは流水で先程体液を浴びた袖を洗った。

 今回の冒険はこれくらいで十分だろう。

 カイブツの肉も、珍しい刃物も手に入った。


「痛っ……!」


 ミーナの腿に先程拾った長い刃物が触れてしまった。

 切り口から血が流れるのを見て、彼女は先程の筒がこういった事態を防ぐためのものだと理解した。

 急いで筒を拾い、彼女は刃の部分をその中へ収めようとする。


『そうじゃ、それでええ……。』


 三度みたびミーナに声が聞こえた。

 今度ははっきりとした言語として、年老いた男に話しかけられたような感覚を受けた。


 隠れ処で共同生活を営む大人たち曰く、カイブツは人間の声を真似することはあっても、はっきりとした言葉を喋ることは無いらしい。

 だが、だとすればこれは奇妙な現象である。

 再び辺りを見回したミーナは、やはり誰の人影も見付けられなかった。


「何だろう、変な感じ……。」

『変で悪かったの。』

「え⁉」


 今度はミーナの言葉に受け答えするように声が聞こえた。

 不気味さに顔を顰めるミーナに痺れを切らしたように、声は続けて語り掛ける。


『こっちじゃよ。お前さんの握りしめとる〝刀〟がわしじゃ。』

「カタナ……?」


 ミーナは先程拾った刃物に目を遣った。

 すると刃の部分が仄かに光ると共に声が聞こえてきた。


『そうじゃ。ま、お前さんが不思議がるのも無理はない。わしがお前さんの立場でも屹度きっとにわかには信じられんかったじゃろうからの……。』

貴方あなたは……。刀さんはカイブツなの?」

『怪物……? まあ、妖怪変化の類かと問われればそうなのかも知れんが実はわしにもよく解らん。死んでしばらくは幽霊の様なこともやっとったが、この世に思い残す事も無くなって成仏したと思ったらこうなっとった。』


 ミーナには『刀』の言う事が良く解らない。

 ただ、どうやら『刀』自身にも自分の事が分からないようだ。


『ところで、お嬢ちゃん。怪物、というのはお前さんの後ろにいる類の生き物のことかいの?』


 刀の言葉に驚いた振り向いたミーナは、大きな空間の裂け目から大人三人分ほどの大きさをした四本腕の人間の体に蝿の頭と蛾のはねを着けたようなカイブツが這い出して来るのを目撃した。


「あ……あ……。」


 最悪だ、失敗した。――ミーナの心を絶望の暗雲が包み込んでいく。


 やはりこの場所は危険だった。

 訳の分からない声を気にして立ち止まらず、さっさと戻るべきだったのだ。


 カイブツは大きなはねをバタつかせ嫌に喧しい音と共にミーナ目掛けて飛び掛かってきた。

 その速度は子供へおろか大人でも狙われたが最期、決して逃れられないことを刹那の内にミーナにも瞭然と理解させた。


 自分の何倍もの巨体を誇るカイブツの、高速飛行による体当たり。

 激突の瞬間、ミーナは自らの死を覚悟した。


 しかし、その瞬間ミーナの腕は手に持っていた刀の刃を抜き、瞬く間に翻してカイブツの身体を真っ二つにしていた。

 肉の塊となったカイブツはミーナの背後で川の兵に激突し、浸食を受けて脆くなっていた塀の瓦礫に埋もれた。


「え? え?」


 ミーナは自分が斬った自覚が持てず、訳も分からぬ状況に困惑の声を漏らした。

 対して、刀は至って冷静である。


『ふむ、どうやらわしの切れ味は中々の様じゃの。』

「もしかして……刀さんが助けてくれたの?」

『さて、どうじゃろうな……。まあ確かに、わしがお前さんの手にあったからお前さんは助かった。そう言う意味では、わしが助けたと言っても良いかも知れん。』


 意味深な言葉だが、兎も角ミーナの無事だけは確かな事実である。

 そして、ミーナの手に握られた『刀』がカイブツを真っ二つに斬ったという事も。


 と、ミーナは突然自分の両腕に強い痛みを覚えた。

 堪らず刀を落としてしまったミーナは、それが腕に留まらず全身を包み込んでいる事に気が付いた。

 まるで全力で走り回った後の脚の様に、体全体の筋肉が悲鳴を上げている。


『おいおい、もう少し丁寧に扱っとくれよ。余り乱暴に投げ出されると折れてしまうし、水に浸かったら錆びてしまう。』

「ご、ごめんなさい……。」


 ミーナは痛みを堪えながら、ぎこちない動きで『刀』を拾い、刃を筒の中に収めた。


『そうじゃ。使わん時はわしの刃はなるべく剥き出しにせん方がええ。鞘の中に収めておいた方が安全じゃて。』

「サヤ……?」

『うーむそうか、知らんのか。これは一つ一つ教えていかねばならんの……。』

「刀さんだって自分の事よく解らないって言ってた癖に……。」


 ミーナは不貞腐れた様にふくれる。

 確かに彼女が刀と出会ったのは初めてのことで、それまでは見たことも無いのだから無知を責めるのは酷というものだろう。

 彼女が懐に忍ばせている「包丁」も、本人は「肉を切る為の刃物」としか認識しておらず、それが「包丁」という名の道具であることなど知らない。


 鞘に納められた刀は、その隙間から光を漏らして言葉を発する。


『しかし、お嬢さん。お前さん、自分が斬ったという自覚は無いのか?』

「うん。いつの間にか身体が動いてたというか、動いた事すら解らなくてただカイブツが斬れていたとしか……。」

『成程の……。どうやらわしは単なる〝刀〟というよりは〝妖刀〟と言った方が良い存在かも知れん……。』

「妖刀さん……。」


 ミーナはその言葉が差す意味など知る由も無い。

 ただなんとなく、この奇妙な刃物の呼称として「刀さん」よりは「妖刀さん」の方がしっくり来るような気がした。


「じゃあこれからはそう呼ぶね。」

『ふむ。ところで、お前さんの名を聞いていなかったの。』

「あ、そういえばそっか。わたし、ミーナ。よろしくね、妖刀さん。」


 こうして少女は妖刀を名乗る奇妙な刃物と出会った。



**



 その後、ミーナは全身の筋肉痛と戦いながらやっとの思いで川岸から塀をよじ登った。


「大きい肉が出来た事、帰ったらみんなに教えてあげよっと。」

『帰る、か……。見る限りわしの生きとった時代とは随分様変わりしとるが、中々人類もしぶとく生き延びておるんじゃの……。こんな危険なご時世じゃお前さんの家族も心配しとるじゃろうな。』

「家族……。ううん、家族というより、仲間かな? わたしの家族はもう何年も前にみんな死んじゃったから。今は主に伯父さんに面倒を見て貰ってるんだ。隠れ処ではみんなで助け合って暮らしてるんだよ。」


 ミーナの足取りは隠れ処としている建物が近づくにつれ軽くなっていく。

 しかしそんな彼女に対し、『妖刀』は何故か詳細に問い詰める。


『ミーナよ。お前さん、家族はもうらんのか?』

「うん、そうだよ。」

『今は伯父と、それから大勢の他人と共同で暮らしている?』

「そうそう。」

『お前さんより小さい子は?』

「いないよ。女の人が死んだお母さんだけだったから、もう子供は出来ないの。」

『成程……。』


 ほんの少しの間を置いて、『妖刀』は意外なことを言い出した。


『ミーナよ。お前さんの隠れ処は危ないかも知れん。出来れば早い内に逃げた方がええじゃろ。』


 ミーナは『妖刀』の言葉に足を止めた。

 彼が何を言っているのか、一瞬意味が分からなかった。


「危ないって……?」

『確証は無いがの。じゃが、この状況ではどうしても悪い想像が浮かんできてしまう。』

「もしかして、さっきの裂け目からもっと危険なカイブツがいっぱい出て来るって事⁉」


 ミーナは蒼褪めた。

 彼女が「隠れ処が危なくなる」と聞いて考えられたのは、近くの川岸の上空に巨大な裂け目が生じたという事。

 もしあそこから危険なカイブツが大量に溢れて来て、辺りをうろついたとしたら、もうこの場所は安全ではなくなってしまう。


「急いで帰ってみんなに報せなきゃ‼」


 ミーナは隠れ処に向かって慌てて駆け出した。




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