第27話

学びの間の大部屋に猫たちが集まる…銀朱から今週の猫の成績を聞かされ、仲居たちが封筒を配る。

中身を覗いた猫たちは嬉々と鳴く。その身とその血で稼いだ生の痕跡。承認された証。愛された証拠。それが汚い金銭ものと見る猫はごく僅か。

ざわめく猫たちを銀朱は、手に持つ鈴の音で静める。

「それから、中学年の猫なら疑問を抱いているだろう…青藤教師だが」

ああ、と猫たちが顔を見合わせる。そういえばと呟く猫、確かに彼女を見ていないと考える高学年の猫、何のことだかまったく知らない低学年の猫。

青藤様に何かあったのか…と、独り言として、会話として、その疑問がざわめきに混じる。聞き取った銀朱はもう一度鈴を鳴らす。

「静まれ。これは檳榔子様ご本人から、お前たちに伝えることが許された。沈黙して聞け」


「青藤教師は彩潰しを辞職し、永久機関へと招かれた。二度と帰ることはない」


ざわっ…猫たちは瞳孔を拡げ顔を見合わせる。中には立ち上がる猫も居た。

永久機関。

誰かの妄想から噂が広がった都市伝説、書物には載らず、猫の声でしか聞かない空想の言葉…それが、敬愛する主人から伝えられることを許されたとなれば、猫たちは黙っていられなかった。

永久機関が実在した。間近に居た猫が招かれた。罰当たりだ。救いだ。猫にも本当の死が有るのだ。

歓喜し、恐ろしさにふるえ、忌々しげに顔を顰め…女将銀朱を前にしても、猫たちは鳴くのをやめない。終いには口論を始める猫たちも居る。

銀朱はしゃらしゃらと強く鈴を鳴らし、大きく声を上げた。

「沈黙しろと言っただろう、馬鹿猫共!」

鋭い一喝に、色猫たちは跳ねるほど驚き押し黙る…銀朱の二つの吊り上がった眼は、全ての猫を睨みつけ、身動きを封じる。

やがて、ふ、と溜息をつき、集会内容の帳面を閉じ。

「今週は以上だ。なお、永久機関についての議論は好きにして良いが、こちらは一切の質疑応答も受け付けない。くれぐれも色売りに支障を出さぬように」

では戌の刻まで…と締めくくり、定期集会は終わる。

間髪を入れず猫たちは再び騒ぎ出した。

こんなにも身近な猫が、存在も不確かなものに招かれるなど…もしや次は自分では、と期待し、あってはならない、と勝手に苛立ち。

しかしその言葉は、敬愛する御主人からの言葉だと思い出せば…。


堪らず銀朱を追いかける数匹の猫を目で追いかけ、柳はくつくつと喉を鳴らす。

「質疑応答は受け付けぬと聞かなかったのでしょうかね…」

「あり得ない…永久機関など」

片膝を立てて俯き、紅梅は険しい顔をする…低い声でひとり、あり得ないと繰り返す。

おや、と柳がその顔を覗き込み微笑んだ。

「紅梅様は都市伝説がお嫌いでしたか。まあ、貴方のような現実主義の猫が都市伝説を信じていたなら、むしろそちらの方が驚きですがね」

「そうじゃない。永久機関なんてあってはならないのだ!」

紅梅は声を荒らげる…微笑みのまま身体を離した柳は目を細め、宥めるように言葉を吐く。

「ああ、そう仰る方も居られますよね。猫が本当の死を得られるのは、宿命からの逃走であり大罪…青藤様が彩潰しより逃走し、彼女だけが報われたことを恨む猫も…ほら、そちらに」

「柳、私の話を聞く気はあるのか…私が言いたいのは、永久機関は猫の救いなどではないと言うことだ!」

だんっ、と机を叩き紅梅は牙を剥く。

赤い瞳は散瞳し、呼吸は荒く乱れる。

紅梅が鳴らした騒音も怒声も、大部屋の興奮しきった喧騒の中ではまったく響かず、誰ひとり静まらない。

柳は冷めた目で見つめ返した。

「…そんなことを、そこまで声を張り上げて申すことでしょうか、紅梅様」

「だってそうだろう。永久機関は猫に本当の死を与えるものだ。皆の噂では、あれを猫の解放だと抜かしているが…私は幸福だとは思わない、思えるはずがない!」

「ですから?」

「柳は何も思わないのか。青藤様が救われたと…宿命からの解放を得るために逃走したのだと、本気でそう思っているのか?」

「事実がどうあれ…御主人様がそう仰ったのですから。我々色猫は、御主人様のお言葉を信用する他にないでしょう」

「それがそもそもの間違いなのだ!」

「はあ……」

深い深い溜息。

柳はくたりと頬杖をつき、もう片手の指先で机を叩く…たん、たん、たん、と不規則に弾く軽快な音には、僅かな苛立ちが含まれている。

片方の目を細め紅梅から目を逸らし、きりきりと牙を噛む口は、一瞬不快感を見せても、またにたりと皮肉な笑みを浮かべた。

「少し落ち着かれては、紅梅様…別にわたしは、貴方の意見には肯定も否定もいたしません。永久機関を否定しようが、青藤様の行先を案じようが、知ったことではありませんし」

「お前…それでも彼女の生徒だったつもりか。何の情も、恩も感じていないのか?」

「何の情と恩なのですか?」

はっ、と軽い吐息で笑い飛ばす。

「猫は猫を案じないと教えてくださったのは青藤様でございます。教えを守るからこそ、わたしは青藤様のことを、忘れることにいたしました…それが何か?」

「…柳」

「紅梅様。貴方、随分と変わられましたか」

溜息とともに目を閉じ俯いた柳は、睨み上げるように紅梅へ緑の瞳を見せつける。

「ただひとつ言わせていただくなら…御主人様を否定するお言葉だけは、いただけませぬな。猫風情のわたしたちが、御主人様に何を申せると…紅梅様?」

「……」

柳の目に悍ましさを覚えた紅梅は表情を強張らせ、ぎりりと歯を食いしばり、その鋭い猫目から目を逸らした…下品に立てた片膝に頭を沈めるように背を丸め、がりがりと髪を引っ掻く。

「…私は、嫌いなんだ」

「最上といえど貴方も所詮は…」

その先の言葉を噤んだ柳の視線の先には、ふたりの会話も聞かず、口元に指を当て独り言を呟く群青の姿。

耳を澄ませば、彼もまた、皆と同じ言葉を口にしていた。


「……永久機関…」

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