第22話
他の班などほとんど気にかけない猫たちだったが、消えた猫は、先日食堂で騒いでいた牡猫、石黄だ…察した猫たちはそれぞれの表情を浮かべる。
安堵。嘲笑。軽蔑。後悔。疑問。
朝食の箸の進まない紅梅は、険しい顔で呟いた。
「…私たちのせいではないか」
「いいえ、単に逃げたのでしょう」
肴を解しながら柳は口角を上げる。
「ここであれだけの惨めを晒したのですから、皆様に合わせるお顔を失っただけです。自尊心の高い傲慢猫ですからね」
「…それだけならいいのだが」
猫の長期療養などというものは、これまで片手の指で足りる数しか前例はなく、基本的にあり得ない。
傷を負うこともなく、死ぬこともない猫。
考えられる可能性としては、感冒などの病を患ったか…しかし長期間の闘病にはなるはずがない。猫の生存能力は、細菌や薬物の毒すらも短期間で消し去ってしまう。
発病するからこそ『無病』とは呼べないが、実質猫が病を患うことはほとんどない。
だからこそ、石黄の欠席は異例だった。
…とはいえ、非難や懺悔、憶測の会話はすぐに飽き、猫たちは何でもない会話を楽しみながら食事をしている。
柳は行儀悪く頬杖をつき、糠漬けに箸を突き刺した。
「ほら紅梅様…彼のことで鬱屈としているのはわたしたちだけですよ。食事は楽しみませんと」
「…しかし」
「見てください、女郎花の班を…常々彼に罵られていたあの猫たちは、むしろ安堵しておられる。不在を喜んでおります」
紅梅は女郎花の班へ視線を向ける…微笑みを交わし、楽しげに料理を口に運び、何事かを囁き合っている。
耳をすませば微かに聞こえた…このまま帰ってこなきゃいいのに。
「……醜い」
「そうでしょうか。天敵が居なくなれば喜ぶものでしょう。あれは当然の言葉です」
「だとしたら、やはり石黄の療養は私たちのせいだ。謝罪に行くべきでは?」
「群青様はどうお考えで?」
遮るように柳は問いかけた。
こくりと咀嚼した米を飲み下し…俯いたまま群青は答えた。
「…石黄は、その程度で逃避するような弱い、猫…ではない、はずだ。むしろ謝罪される方が、あれにとっては屈辱だと思う」
「…そうか」
紅梅は目を伏せた。
群青は唇を噛み、喉に痞えたような感覚を、空気を嚥下することでやり過ごし…ただ、ともう一度口を開く。
「ただ…長期療養というのは、やはり気になる。顔を合わせずとも、話は聞けないものか」
「共同の寝室にも帰らないそうだからな…恐らく面会謝絶だろう。話を聞くなら、仲居たちや女将、あとは教師だろうが…」
「そう簡単に口を破るとも思えませんね…何か思い当たることでもあるのですか?」
「…いや」
小さく首を横に振り否定し…群青は箸の先で米を掬った。
彩潰しにて何度も殺害されるようになってから、群青は食事がひどく苦手になった。それこそ色売りの際に、薬物を飲まされ血反吐になるまで嘔吐を繰り返す目に遭ったこともある。胃の中に物を収めるということが苦しくて堪らない。
そんなふうに、難しくなることが増えるように。
石黄に、不安に似た何かを想像してしまう。
何度も傷つけられ、殺される猫…死を喜びとする彼らが、もし自分と同様に、僅かでも心的外傷を負っていたとしたら。それを堪え続けていたとしたら。
死ねぬまま、心の痛みに堪え兼ねたとしたら。
…それはないと思いたいが。
異物感が消えない。
「ところで群青様、いつの間に石黄様と親しくなられたので?」
じとり、と…柳に嫌な視線を向けられる。
群青は無言で目を逸らした。
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