第23話
学びの時間を終えたと同時、紅梅と群青は柳が居る教室に向かい…退室してきた教師の前に立ち塞がる。
教師、青藤は困惑した笑みを浮かべた。
「紅梅…群青まで…どうしたの」
「訊きたいことがあります。この教室の猫の長期療養について」
「は…」
一瞬、青藤は息を詰まらせた。
紅梅はぴくりと眉を上げる…互いの反応に気づき、続けて青藤は、改めてまた新たな笑みを浮かべてみせる。
「何故、それを」
「朝会で聞いた」
群青が低く呟く。
「それはわかるわ。でも、だから、どうして貴方たちが、そのことを…私に訊ねてくるのかしら」
「貴方がその猫の教師だからです」
「同じ班でもないのに、何故。女郎花の猫たちは何も訊きに来ないわ」
「気になってしまったら詮索せずには居られませぬ」
するりと青藤の背後から柳が顔を出す。
「猫の興味は抑えられないのです。教師様といえど同じ猫ならご理解ください」
吊り上がった猫目で見上げられ、青藤は表情を硬くする。
前方の紅梅と群青。背後の柳。
桜萌葱の猫たちが青藤の逃げ場を奪う。
「…ですよね、群青様?」
「…青藤様」
群青は顔を上げずに青藤の名を呼ぶ…色売りの猫とはいえ青藤よりも歳上の牡だ。教師だと敬称で呼ばれても、その違和感は口内が苦くなる錯覚を誘う。
得体の知れない不快感。
猫にはわからない。
群青が問う。
「…石黄は、壊れていないか」
…痛い。
青藤は固く唇を閉じる。
暴力も行われていないというのに、どうしてか胸が痛んだ。痛いところを突かれるとはよく言うが、本当に痛みを感じる…そんなのは人間の感覚ではないだろうか。
紅梅が表情を探る…静かな戸惑いに、青藤の瞳は紅梅から目を逸らした。
「…青藤様。この色猫に話せる限りで構いませんから、何か教えてください。石黄は、私たちのせいで傷ついたのですか?」
「……」
続いた紅梅の言葉に、青藤は拍子抜けする。
…事実を知っているわけではない。
それはそうか。色猫たちに、彩潰し管理側の情報が漏れるわけがない。
群青の言葉は何らかの偶然で、所詮は紅梅のように、単純に、原因が自分たちにあるのではないかと不安になっているだけ。
幼猫だ。
無知の猫だ。
青藤は深く息を吸い…す、と紅梅を躱し廊下を歩き出す。
「石黄の療養について、詳細を話すことはできないわ。それは檳榔子様との約束」
「説明を求めているのではありません。それが私たちのせいか否かを」
「ええ、大丈夫よ、紅梅…石黄は何も気に病んでなんかいない。貴方たちは関係ないの。安心して」
「でしたらなおさら理由が気になりますね」
ぺたぺた。ひたひた。とたとた。
青藤と桜萌葱の色猫の足音が重なり、入り乱れる…色猫たちは追いかける。不安の視線や興味の視線が背に当たる。
「青藤様…どうかこの疑問への手掛かりだけでも教えてくださりませぬか。猫の長期療養の理由とは一体?」
疑いの視線が背に当たる。
苦痛だ。視線が痛い。息苦しい。
吐き出したい言葉が喉元に迫り上がる…猫が苦痛を感じること。猫も心を持っていること。猫が壊れればどうなるか。
感情に任せて伝えてしまったなら、この猫たちはどうなってしまうだろう…彩潰しで生きる未来を奪うだろうか。
或いはそれこそが救いではなかろうか。
青藤は立ち止まった。
「……青藤様?」
紅梅が名を呼ぶ。
深い呼吸の後…振り返った青藤教師は、穏やかな微笑みを貼り付けていた。
「猫は猫を心配しないものよ。そんなことをするのは人間だけ。それとも…そんな心を持ったのは、そこの、群青のお陰?」
「は。心ですって?」
柳が嫌悪を含んだ笑いを吹き出し、紅梅は呻く。
群青には悪いが、ふたりを沈黙させることはできた…青藤は視線だけで謝罪しようと群青を見る。
…暗く青い瞳が青藤を射抜く。
何か言いたげだが、群青は口を開かない。
しかし青藤には伝わる。
その目が確かに問いかけてくる。
ねこがこわれたらどうなる、と…───
「…と、とにかく、石黄は大丈夫。具合が良くなったら、必ず戻ってくるから」
「あんな性悪猫など、居ない方が皆様のためですよ」
柳の暴言を叱ることもせず…青藤は桜萌葱の色猫たちから逃げるように離れて行った。
×
…早足で廊下を進む。
やはりだめだ。
義父をこの世に留まらせている限り、石黄は、いつまたあれに自分が呼び出されるかを不安に思い、心の痛みに苛まれ続ける。放っておいても壊れてしまう。
…だから。
これは独断だ。檳榔子様からの命令ではない。私情。勝手な行動だが。
青藤はぎりりと牙を噛む。
…石黄の義父を。浅黄を。
この世から消し去る。
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