五章
第17話
僕の家系は、はるか昔から猫の血を持っていた。ずっと、ずっと、昔からだ。
だから僕は、遠く過去より受け継がれた、純粋な猫の身体なんだ。
死など恐れるものではない。人の手で殺された瞬間、全身の血や細胞が歓喜に粟立つのを確かに感じるんだ。快楽なんて下品な言葉で表すものではない。あの瞬間に僕の存在は認められ、愛され、満たされ…僕はこの世で最も崇高で美しい存在となる!
例えば、客はそんな僕の姿を「無様」だとか「みっともない」、「惨めだ」、「無残だ」とか抜かすが…そんなの、猫にとっては褒め言葉なのさ。死にざまが醜悪で悲惨であればそうあるほど、猫の命はより美しく輝く。輝いて尽きる。
荒々しく燃え、舞うように悶えたあとは。
淑やかに崩れ、風のように息を引き取る。
僕らは猫だ。そして僕はその中でも、もっとも高貴な猫なんだ。
死なんて、どこまでも容易に演じられる。
楽しくて堪らない。
悦びで笑っちまう。
僕は死ぬために生きている。
幸福な猫様なのさ!
…そう成りなさい、と。
母上が僕に言ったのだ。
子の刻を過ぎて客は皆帰り…金の間の一室に僕は残される。部屋一面が真っ赤な血飛沫で染まって、僕自身の身体に、真白の皮膚が覗ける場所はない。血みどろ深紅の、美しい猫の姿だ。
僕は恍惚と自らを抱きしめる。こんなにも愛された。こんなにも殺された。あんなにも痛めつけられた…それでもなお、僕の心臓はどくりどくりと脈打っている。新しい血液を作り出して、呼吸を促して、生き続けている。
死を知ることのない、愚かな僕の身体。
可愛い僕の身体。
猫の僕。
「素晴らしい死にざまだったぞ、石黄」
僕の背後に現れてくださったその冷たい気配。
僕を褒めてくださるお優しい声。
僕の御主人様。
檳榔子様!
「お前の血は美しい。遥か昔より受け継がれてきた純血の猫。お前のように上等な猫はなかなか居ない。美しいぞ、石黄」
「ああ。ああ。はい…ありがとうございます、御主人様!」
ひやりと脳天に当てられる掌の温度。
僕は御主人様に愛されている。
上等な猫の僕は、他の猫共の誰よりも愛されているのだ。
僕は至高の猫。
純粋で、純血の、高貴な猫。
「石黄。どうか壊れてくれるな。お前という猫の血が途絶えて仕舞えば、上等品は消えてなくなる…お前が頼りだよ、美しい猫、石黄」
「はい。石黄は壊れませぬ。石黄は御主人様に応え続けます…で、ですので、どうか…どうか御主人様」
「一度で構いませぬ。この石黄を、御主人様の御手で、殺してくださりませぬか!」
堪らず背後へ振り返れば。
最愛の御主人様のお姿はなかった。
…そのお顔を見たのは、色売りの初夜を終えたその時のみ。今はもう、御主人様がどれだけ美しいお顔だったのか…記憶から薄れてしまった。
冷たい気配だけが残る。
脳天に触れた冷たさが確かだ。
檳榔子様。
僕は猫だ。遥か昔より受け継がれた猫の血で作られて、産み落とされた、純血の猫なのだ。
故に僕は知りたい。
下賎で下劣な人間に殺される悦びなんて、きっと比べものになりやしない。
僕は。
僕は、孤高の御主人様に殺されてみたい。
その瞬間、きっと僕は、猫にとっての至上の幸福を手に入れられる気がしている。
だから、どうか。
石黄は頑張りますから。
いつか、石黄を殺してください。
母上を殺してくださったように。
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