第3話
主人檳榔子の下に就く若女将、
学びの間に集まった猫たちは、銀朱から封筒を渡される。中身は客からの評価の言葉と報酬。猫たちは目を輝かせた。
「これくらいあれば遊びに行けそうね!」
「また僕を指名したいって!」
死を売る猫たちは、ほとんど客からしか承認を得られない。たとえそれがいっときのものでも、偽の言葉でも、愛がなくとも、猫たちにとっては賞賛や次回指名の仮約束でじゅうぶんに喜べた。
ある猫は化け猫だと捨てられた。
ある猫は金が欲しかった。
ある猫は死性愛だった。
ある猫はどんな形であれ愛されたかった。
色売り屋に住み着くことで、猫たちの心は満たされていた。外の世界で猫が愛されることなど、満たされることなどないのだから。
だから猫の住処は此処しかない。
色売り屋という狂った屋敷しかない。
「彩潰しはお前たちのお陰で成り立っている。今後も宜しく頼むぞ、猫ども」
銀朱は麗しく微笑む。
「夕方までは自由時間だ。今日は
長い袖を翻し、銀朱が立ち去ると…木蘭の班の三人娘が甲高い声を上げて学びの間を出て行った。
他の猫たちも席から立ち上がり、思い思いの行動を取る…紅梅は真っ先に群青の元へ向かった。
「群青、貴方にも報酬は渡されたのだろう」
「……ああ」
群青は気怠げな表情で紅梅を見上げた。その隣に柳が現れる。
「屋敷の中でも菓子などが購入できますが、なるべく貯金をしておくことをお勧めしますね。人目は気になるが、外の方が上質な品が並んでいますから」
「群青は私たちと同じ
「……」
群青は少しだけ口角を上げ、小さく頷いた。
瞳はうつろに、笑うことはない。
笑ってなどいない。
柳はちら、と群青の手元を見る…広げられた紙には、数文の罵倒の言葉が書き殴られていた。
「……苦情ですか」
「ああ」
群青が彩潰しに入って四日。猫としての手解き…殺されることに慣れる教育を受けても、群青は猫になり切ることはできなかった。殺害を煽る科白も、喜びの嬌声も上げられず、ただの人間と同様に、必死になって抵抗し、暴れ、拒絶する。死ぬことを恐れる。死を売れず、生に執着した。
そのみっともなさを指摘した苦情、色気も糞もないという文句、危うく顔を傷つけるところだったという非難…群青には十人の、十人分以上の罵倒の言葉が送り付けられていた。
「やはりそのご年齢から猫商売を行うのは難しいでしょう…今までは人の世で生きていたのですから、今更色売り屋に住まおうとしても…ねえ?」
「そもそも…どうして群青は色猫になろうと決めたのだ。今までは人の世で生きていたのだろう。その歳までよくばれなかったな」
「……化け猫は人の世では生きられない」
「それは…」
「檳榔子様が俺を見つけてくださった…それだけのことだ。俺は猫だ。ただ人間の中で生きることに疲れただけなんだよ」
群青は封筒の中へ苦情文を仕舞い込む…柳は少し腹立たしげにその行動と表情を見下ろしていた。
…と、はらりと一枚の紙が机から落ちた。 紅梅は拾い上げ、思わず目を通す…そしてぱっと笑みを浮かべた。
「おい、群青、これを見ろ。読んだのか?」
「どうしました、紅梅様?」
「腐れ文句ばかりではなかったようだ。群青、貴方をとても気に入ったと書いてあるぞ。しかも、次回の指名を約束している!」
紅梅が机に置いた手紙には、美しい文字で群青への称賛の言葉が書き綴られていた。確かに『次回も貴方を指名したい』と書かれている。
…群青はため息をつき、深く眉間に皺を寄せ、唇を噛む。あからさまな不快感。
「……物好きか。或いは誤った相手に出しているのではないか」
「銀朱様が間違うはずがない。これは紛れもなく貴方への評価だ、群青!」
「素直に喜んだらどうですか。これから貴方への常連様になるかもしれないのですよ…文面とはいえ、丁重に扱いませんと」
「……殺されるのに、か?」
ふ、と群青は笑うような息を吐いた。
猫になりきれない嫌悪の言葉は、どうにも紅梅や柳には、理解に苦しむ反応だ…猫は殺されてこその存在意義、価値がある。猫は殺されるために生きている。群青にはまだその心得が無い。
…柳は肩をすくめ、その場を去る。
対して紅梅は無理に微笑み、群青の机に手をつき、顔を覗く。
「群青…慣れる必要はない。貴方は、貴方が思うように生きればいい。私たちは死ねないが、生きるのは自由だ。群青は生きたいのだろう…それでいいんだ」
「……知らないな。俺はただ…」
群青は評価の手紙も封筒に入れ、再度閉じた。
「…俺は、檳榔子様のお望みに応えたい。それだけだ」
呪縛のような、感情のない呟きだった。
報酬は紙幣五枚…計八千の金額。
ここ四日、十一人に、気が狂うかと思うほど殺されたにしては少ない報酬だった。
猫とはそんなもんだ。
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