問22.本当に大切なものを答えよ

 七月十五日。マーク模試まであと四日。

 そして、職員会議当日。


 授業が終わると、僕は自習室へと直行した。

 とある準備を手早く済ませ、先日座った席へ。そして、職員室側の壁に耳を押し当てる。

 しばらくすると、多数の足音が聞こえた。職員会議に向けて、先生たちが集まってきているのだろう。


「それでは、これより第二十回職員会議を開始します」

 司会だろう先生の声が響き、職員会議が始まる。

 しばらく関係の無い議題が続き、思わず、先日の会話は聞き間違いだったのでは無いかと思う。

 あるいは、氷雨先生の気が変わったか。

 そうであれば好都合だ。だが、油断はできない。

 耳を澄ませて、その時を待った。


「事前にいただいていた議題は以上になりますが、そのほかに連絡のある先生いらっしゃいますか」

 僕が聞き逃したのでなければ、ここまで白瀬に関連しそうな話題は出ていない。

 どうかこのまま終わってくれ。

 祈るような気持ちで、職員室の音を聞く。


「……先ほどの生徒指導に関連して、一件よろしいでしょうか」

 僕の祈りも空しく、凜とした声が響いた。氷雨先生だ。

「生徒が持ち込んだ雑誌に、本学の生徒が掲載されているのはみなさんご存じですか?」

 きた。きてしまった。

 いつでも席を立てるよう準備をしつつ、耳だけは隣室の音に集中し続ける。


「みなさん。本学の生徒がこのような格好で雑誌に掲載されているのですが、どのように思いますか?」

 にわかに職員室がざわめく。そのざわめきを貫くような声で、氷雨先生が続ける。


「当該生徒は、お恥ずかしながら私が担任しているクラスの生徒、白瀬愛來です。アルバイト届けは出ていますが、指導規則にはこうあります。


 特別な事由がある場合に限り、勉学に支障の出ない範囲内での就労活動を認める。ただし、本学の学生に相応しくないものについては、これに値しない。


 肌を露出し、写真に撮られ、不特定多数の目に触れる。このような仕事は、果たして本学の生徒に相応しいものと言えるのでしょうか」


 朗々とした、氷雨先生の声。音だけしか分からないので、職員室の空気はここまで伝わらない。

 荷物を纏めきり、腰を少し浮かせ、僕はタイミングを計る。

 職員室に突入するタイミングを。


「氷雨先生は、白瀬の就労許可について、取り消しを望んでらっしゃる、ということでよろしいですか?」

 校長先生の問いに、氷雨先生が「はい」と返す。

「モデルという仕事を許可することについては昨年度議論し、賛成多数で決着がついたことです。モデルという職種を理由に、今更許可を取り消すことはできません」

 校長のきっぱりとした言葉に、僕は胸を撫で下ろす。

 よかった、これで氷雨先生もきっと諦めて――


「――では、〝勉学に支障の出ない範囲内で〟の部分についてはどうでしょうか」

 そう言われるのは分かってましたとばかり、氷雨先生が言った。


「一度許可をした以上、職種を理由に許可を取り消すことが難しいというのは、仰るとおりだと思います。けれど、この理由なら白瀬も納得するんじゃないでしょうか」

 氷雨先生の言葉を吟味するように、校長が押し黙る。


「白瀬は中学ん時から赤点ばっかだったから、バイトが勉学に支障をきたしたわけじゃないけどな」

 わははと笑いながら、先生の一人がそんなことを言う。釣られたように何人かの先生の笑い声が響くが、そこに氷雨先生のものは無い。

「……確かに、白瀬の成績は毎年進級が危ぶまれる水準です。それを理由に就労許可を取り消すというのも、無しでは無い、かもしれません」

 校長の声に、職員室内の笑い声が一気に静まった。


「でも、中学での不良っぷりに比べたら、大人しくなった方だと思いますけどね。モデルの仕事を始めてから、ちょっと変わったっていうか」

 まあ、相変わらずアホですけど。先生の一人が、そんなことを言った。 

 どうも、みんながみんな氷雨先生のように、白瀬のバイトを辞めさせたいわけではないらしい。


「氷雨先生、一体なんだってまたこのタイミングで、白瀬のバイトを辞めさせようって言うんです?」

 先ほどの声とは違う、年配の男性の声が響く。

 形勢の不利を悟ったのか、氷雨先生はすぐには口を開かなかった。


「……最近、白瀬が藤波と放課後よく一緒にいるのをご存じですか?」

 たっぷりの間の後、氷雨先生が言った。

 職員室がざわめく。どうやら、僕と白瀬の勉強会を把握していたのは、担任の氷雨先生だけだったらしい。

「どうも、白瀬が藤波に勉強を教わっているようで」

「結構なことじゃないですか」「ああ、だから期末も赤点無しで」

 肯定的な雰囲気に、僕はほっとする。これなら、僕が出ていかなくても氷雨先生の提案は却下されるのではないか。


「確かに、白瀬にとってはいいことかもしれません。けれど、

――藤波は、大きく成績を落としているんです」

 職員室の好意的な空気を切り裂くように、氷雨先生が言った。

 しん、と静まりかえった職員室に、氷雨先生の声だけが響く。


「バイトがあるため塾には通えない、という自分勝手な理由で、藤波に勉強を教えてもらっているようです。朱に交われば赤くなる。私は、藤波のような真面目で将来有望な生徒に、悪い影響が出るのが嫌なんです」


 職員室の空気が、変わった。


「それはまぁ、確かに問題だな……」「だから藤波くん、私のテストもいつもより低かったのね」「でも、白瀬の成績は上がってるわけだし」

 ここまでは白瀬のバイトに肯定的な意見が多かったのが、一気にひっくり返ってしまった。

 正直、自分の成績がそんなに重く見られているとは思っていなかったので、思わず面食らってしまう。

 だが、動揺している場合ではない。


「会議中失礼します!」

 注目を集めるよう、敢えて大きな音をたて扉を開く。

「誰ですかあなたは! いまは職員会議中……え?」

 いい雰囲気を邪魔された氷雨先生が吠え、かと思えば、その途中でフリーズしていた。

 口はぽかんと開いたままで、いつもキリッとしている氷雨先生らしからぬ姿が可笑しい。


「二年一組藤波恭平です。職員室の前を通りかかったところ、自分の名前が聞こえたため、ご迷惑としりつつも声をかけてしまいました」

 手は身体の横で指先までぴしっと伸ばし、申し訳なさそうに頭を下げる。

 突然の闖入者に驚く先生たち。

 だが、ほとんどの先生たちはそこではなく、別のところに驚いていた。


 女の子ゴコロレッスンその一。見た目は心の一番外側。

 相手に気持ちを伝えたいのならば、まずは外側から。


「ふ、藤波くん、その、髪型は……?」 

「ああ、勉学に邪魔でしたので、切ってみました。これまでの前髪は校則違反でしたよね。申し訳ありません」

 そう、僕はこの時のために髪を切っていた。

 人との壁をつくるように長く伸ばしていた前髪を眉のあたりで切り、後ろ髪も爽やかさが少しでも出るよう整えている。

 前に白瀬に被せられたウィッグを参考にしつつ、どうにか整えた。

 後ろ髪はどうしても見えないため、寝ていた妹を起こして協力してもらった。柚子には感謝しないとな。

 姿勢についても、猫背は治し、視線を上げるよう気をつけている。新品のワイシャツを卸し、眉も忘れず整えた。

「ええ、校則は、大丈夫だけれど……」

 氷雨先生が不自然に顔を逸らし、そう呟いた。

「先生? お顔が赤いようですが、体調は大丈夫ですか?」

 回り込むように視線を合わせ、その逸らされた瞳を強引に見つめる。


 女の子ゴコロレッスンその二。人と話すときは、相手の首辺りをみて、時々視線を外すこと。


 目を見つめたまま話されると人は緊張してしまう、と白瀬は言っていた。それは逆に言うと、相手を緊張させるには目を見ればいい、ということだ。

 僕は男子の中でも上背がある方だ。胸を張って距離を詰めれば、ある程度威圧感や圧迫感があるだろう。

 相手の思考力や余裕を削ぎ、この後の話し合いを優位に進めるため、僕は氷雨先生に視線を合わせる。

 こちらの余裕を見せつけるように、ふっと緩やかに微笑むと、氷雨先生の頬の赤みが増した。ふしゅーと湯気すら発していて、予想外の反応に少し戸惑う。

 ともあれ、相手が調子を崩しているなら好都合だ。


「僕の名前が聞こえてきたのですが、どのようなお話しだったのでしょうか。職員会議で怒られるような悪いことを、何かやってしまいましたか?」

 盗み聞きしていたなんてバレたら心証が悪い。本当は知っているが敢えて訊ねると、氷雨先生は当初の目的を思い出したのか、幾分冷静さを取り戻して言った。

「いえ、藤波くんには関係のない話です。ただちょっと、氷雨さんと仲良くし始めてから、藤波くんの成績が下がり気味なのが気になりますね、という話が出たくらいで」

 白々しくも、氷雨先生はそう言った。確かに議題自体は白瀬に関することで僕に直接関係はないかもしれないが、その言い方はないだろう。白瀬のバイトを辞めさせるために、僕の成績の話を利用したくせに。

 そんな気持ちはおくびにも出さず、僕は申し訳なさそうな顔を作って言う。

「……今回のテストについては、勉強不足で、申し訳ありません。ただ、今回成績が下がったのは自分の力不足で、白瀬さんとは一切関係ありませんよ」

 どうだか、とでも言いたげな表情で僕を見つめる氷雨先生。


「ところで、どうして白瀬さんの話が会議の場で出ていたんですか?」

 このまましらを切り通され、追い出されたらまずい。僕は無知を装って訊ねる。

「それこそ、藤波くんには関係のない話です。さあ、会議中生徒は立ち入り厳禁ですよ」

 案の定、氷雨先生はそう言って僕を追い出そうとしてきた。

 先生にバレないよう、息を小さく吸って、吐く。

 言ってしまえば、もう後に戻れない。だけど。


 思い出すのは、白瀬のことだった。

 この一ヶ月で見た、たくさんの表情。

 「ねえ、勉強おしえてっ」と言ってきた、無邪気な顔。

 一度断られ、それでもめげずに、どこか鬼気迫る様子で頭を下げ、教えを請うてきた顔。

 問題が解けるようになったときの、ぱあっと輝くお日さまのような笑み。

 自室で見せた、儚げな泣き顔。

 そして、「モデルのお仕事ってちょー楽しくてさ」と語ったときの、活き活きとした笑み。


 人と関わるのなんて、無駄だと思っていた。

 人のために頑張るのなんて、時間と労力の無駄で、愚かな行為だと。

 青春なんて形の無いものをありがたがって追い求める連中を、馬鹿な奴らだと下に見ていた。

 けれど。

 あの真っ直ぐに煌めくものを。真摯で尊いものを。

 誰も奪っていいはずなんてないんだ。

 

「関係なくないです」

 僕の言葉に、自分の席に戻ろうとしていた氷雨先生が「え?」と振り返る。

 その顔に、そして、職員室にいる全員に言い聞かせるように、僕はもう一度言った。


「関係なくなんか、ないです。白瀬さんは僕の――先生なので」


「えっと、それは、どういう……?」

 氷雨先生の頭上に疑問符が浮かぶ。

 周りの先生方も、逆では? と言いたげに首を傾げていた。

「その、僕、教室で少し浮いてしまっているじゃないですか。それで、お願いしたんです。白瀬さんみたいに、みんなと仲良くなるにはどうしたらいいか、教えてほしいって」

「……藤波君が白瀬さんに、勉強を教えているのではなく?」

 氷雨先生が目を白黒させながら言う。突然の僕の言葉に、混乱しているようだ。

「これまで黙っていてすみません。でも、僕も本当なら〝クラスで浮いているからなんとかしたい〟なんて恥ずかしい悩み、周りに知られたくなかったので」

 僕の言が未だに飲み込みきれていない様子の氷雨先生に、僕は言葉を重ねていく。


「ですから、もし白瀬さんに何かがあって教えを請えないようになると、僕が困るんです。例えば、停学や退学、そうでなくても――バイトを辞めさせられて、塾に通わなきゃいけない、なんてことになれば」

 ぎくり。

 氷雨先生の肩が跳ねる。

「……でもね、藤波くん。白瀬さんの成績が上がらないことには、学校側としては、このままバイトを続けさせるわけにはいきません」

 きた。

 望んでいた台詞が氷雨先生の口から飛び出し、僕は思わず口角が上がりそうになってしまう。


 女の子ゴコロレッスンその三。会話は一人じゃなく、二人でするもの。


 僕の要求は、〝白瀬のマーク模試での順位が、学年三〇位以内だったら、モデルの仕事を続けるのを、認めてほしい〟というものだ。

 けれど、僕がいきなり「白瀬さんの成績を上げるので、モデルの仕事を続けさせてやってください」と頼んでも、氷雨先生が納得してくれるかは怪しい。それなら、どうしたらいいのか。


 思い出したのは、屋上で一緒に昼食をとりながら、白瀬が言った言葉だ。

「相手に話してもらえばいいんだよ」

 会話は一人ではなく、二人でするもの。

 自分が話すのが得意でなければ、相手に話してもらえばいい。

 そんな話がヒントになって、僕は氷雨先生に要求を認めてもらう方法を思いついた。  


――こちらの要求を、氷雨先生自身の口から言わせればいいのだ。


「……なら、白瀬さんの成績が上がったとしたらどうですか?」

 僕の問いに、氷雨先生が答える。

「もちろん、白瀬さんの成績が上がれば、バイトを続けても問題は無いわ」

 よしッ。言質は取った。職員室に揃っているたくさんの先生方が証人だ。これなら、氷雨先生が約束を反故にすることはないだろう。

 氷雨先生が慌てた様子で付け加える。


「上がるといっても、ほんの少し上がるくらいでは認められません。最低でも――」

「十九日のマーク模試で、三十位以内に入れば問題ないですか?」

 氷雨先生が目を剥いた。

「……は?」

 氷雨先生だけではない。職員室中のみんなが信じられないものを見る目でこちらを見ていた。

 到底現実的ではないと思っているのだろう。呆れた目で見る者、現実の見えていない子どもだと笑う者、可哀想にと顔を覆う者。反応は様々だが、みな一様に「そんなこと出来っこない」という思いだけは同じようだった。

「……白瀬さんの成績だけじゃありません。あなたの成績も先生は心配しています」

 だというのに氷雨先生は、更に予防線を張ってくる。だが。

 その言葉をこそ、待っていたのだ。


「その点は安心してください。今度のマーク模試で僕は、一位を獲る予定なので」


 ぽかんとする氷雨先生。いつものきりっとした表情はどこへやら、今日は百面相が見られて面白いな。

「僕が一位、白瀬さんが三十位以内。それで問題ないですよね?」

 笑顔で念を押すと、氷雨先生はなおも条件を挙げつらおうとしたが、ついには観念して「……分かりました」とどこか悔しげに呟いた。

 これで第一任務完了、だな。

「それでは、僕は帰って早速勉強しますので。会議中に失礼いたしました」

 頭を下げて速やかに退出し、僕は言葉通り家路を急ぐ。

 宣言通り、マーク模試で学年一位を獲るために。

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