問20.問題を回避するための方法を求めよ

 白瀬との勉強会を終えた僕は、いつものように自習室へ向かった。

 そしていつも使っている一番端の席に座り、

「痛っ?!」

 強かに臀部を床にぶつけてしまった。

 一瞬何が起こったのか分からなかったが、どうやら椅子が壊れてしまったらしい。立ち上がって自分の状態を確認する。幸い怪我はしていなかった。


「……どうするかな」

 学校の備品が壊れたのだ。本来であれば先生に伝えるべきだろう。

 だが、時刻はすでに十七時を過ぎている。話の分かりそうな先生が職員室に残っているとも限らないし、明日の朝、氷雨先生に言っておけば問題ないだろう。

 そう考えた僕は、誰かが気付かずに座ってしまわないよう、念のため壊れた椅子を逆さにして机の上に載せ、別の席に移動した。


 思わぬトラブルに見舞われたが、これでようやく自分の勉強が出来る。

 いつものようにノートと問題集を開き、いざ問題を解こうとしたことろで、〝それ〟に気付いた。

「? 今、何か声が」

 誰かの声が耳に入り、僕は耳を澄ませる。

「……そ…、ざ……?」

 やはり、微かだが声が聞こえた。それも、氷雨先生の声だ。

 自習室は職員室の隣にある。普段とは違って職員室に面している席に座ったため、隣の音が聞こえているのだろう。

「おいおい」

 職員室の音が隣に筒抜けっていうのは、さすがにまずいんじゃないか? 

 これまで自習室で僕以外の人の姿を見たことがないから、今日まで誰も気付かなかったのかも知れないが。

 椅子の件と併せて、明日氷雨先生に報告することにしよう。

 そう結論づけ勉強に戻ろうとした僕は、思わず自分の耳を疑った。


「次の職員会議で、白瀬さんのバイトの是非について、議題に挙げようと思ってるんです」

 氷雨先生も自習室の側に移動したのか、今度の声はやけにはっきり響いた。

 いま、氷雨先生は何と言った? 

 白瀬のバイトの是非について、議題に挙げる? なぜ?


「水着のグラビア写真なんて、教育上問題でしょう」

「バイトなんて、許可すべきじゃ無かったんですよ。私はあの時だって反対したのに」 

「家庭の事情も分かりますが、このような下着同然の格好で雑誌に載るなんて、健全ではありません」


 断片的に聞こえてきた声から、何が起きているのか大体分かった。

 思い出したのは、先日妹の柚子から借りた雑誌のこと。あの雑誌には、白瀬の水着姿が載っていた。

 氷雨先生はそれを理由に、白瀬がモデルの仕事をするのを、辞めさせようとしている、らしい。

 でも、どうして急に。白瀬がモデルの仕事をしているのは、高校一年生の時からだと訊いている。


 まずい、だろ。これは。

 せっかくここまで勉強を頑張って、あとちょっとで白瀬のお母さんに認めさせることが出来そうなのに。学校からバイトを禁止されてしまってはどうしようもない。

 なんとかしなくては。でも、どうやって。

 そもそも、僕がそれをする必要があるのか? 

 下手なことをしたら先生の心証を損ねて、成績が下がるかもしれないんだぞ。

 困惑と葛藤と焦りと。様々な感情が胸の中に去来し、どうしたらいいのか、どうしたいのかすら分からなくなる。

 とにかく少しでも情報を集めようと、職員室側の壁に押し当てた僕の耳に、こんな言葉が飛び込んできた。


「一番の問題は、成績優秀なはずの生徒にも悪い影響が出ていることです。彼は、うちの実績になり得る生徒なんです。白瀬さんのせいでこのまま伸び悩んでしまっては困ります」


 それは、誰のことだ。

 一体、誰の。

 頭をがつんと殴られたような衝撃で、僕は思わず机に突っ伏す。

 僕の、せいか。

 思えば、兆候は少し前からあったのだ。


――氷雨先生、きょーちゃんに甘いもんね。甘いっていうか、お気に入りっていうか。


 どうして予期できなかった。


――まぁ、きょーちゃんに甘いってのもそうだし、あいらが嫌われてるってのもあるんだろうな。


 どうして回避できなかった。


――藤波君、友達は選んだ方が良いわ。高校生活を悔いなく、有意義に過ごすために。


 どうして僕は、白瀬と必要以上に関わったりしてしまったんだ。


 

 いつの間にか、長いはずの夏の陽は随分傾き、自習室内は薄暗くなっていた。

 不意に、スマートフォンが震える。画面には白瀬からのメッセージ―が表示されていた。

《きょーちゃんに教えてもらったやり方で解いたら、時間内に解けたよ! 2科目で153点だった! ヤバくない???》

 余程嬉しかったのだろう。テンションの高い文面とスタンプが目に飛び込んでくる。

 そんな白瀬に、僕は返信を打った。


《おめでとう。これで僕が教えることは全部教えた。だから、勉強会はもうやめにしよう》


 僕が白瀬に勉強を教えて、白瀬の学力が上がって。

 無事に白瀬の母親に認められて。白瀬はモデルを続けられるようになって。

 僕が白瀬に勉強を教えることが、白瀬のためになると、いつの間にか思ってしまっていた。


 でも、実際は逆だった。

 誰かのため、なんて馬鹿げてるのに。裏目に出るだけなのに。

 友達をつくっても、人と関わっても、ろくなことなんて無いのに。


「やっぱり、一人で勉強だけしてればよかったな」


 この世は学力が全てだ。それ以外は全部くだらなくて、友達も青春も恋愛もみんな無駄で馬鹿げている。

 だって、一人で勉強だけをしていれば、傷つくこともないんだから。

「勉強、しよう」

 氷雨先生は、僕が白瀬の勉強を見るようになってから、僕の成績が下がったことが気にくわないらしい。だったら、今からでも勉強を頑張れば、白瀬との関係を断てば、氷雨先生も考え直してくれるかも知れない。 

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