問17.知り合いと妹が遭遇した際の最適な振る舞いを求めよ

 ぐっすり寝たからか、熱自体は翌朝には下がっていた。

 とはいえ、まだ気は抜けない。なんせ、運命のマーク模試は十日後に迫っているのだ。万が一白瀬に僕の風邪がうつっては困る。

 そういうわけで、テスト二日目の今日も僕はテストだけ受けて真っ直ぐ帰り、図書室での勉強会は無しにすることにした。

 そう、図書室での勉強会は。


「わー! きょーちゃんの部屋ってそんな感じなんだね」

 画面の中で、白瀬がテンション高く声を上げる。

「僕は部屋を見せるために通話してるんじゃないんだぞ。大体、画面に映ってる範囲なんてごく一部だろう」


 白瀬が思いついた〝いいこと〟、それは通話によるオンライン勉強会だった。

 白瀬が一方的に勉強の様子を配信するのではなく、今日はオンラインでいつも通りの勉強会を行うことになっている。


「確かに、この角度だとちょっとしかお部屋見えないね。一回ぐるってカメラ動かしてみてよ! あいらもきょーちゃんのお部屋見たい!」

 一瞬だけでいいから、と謎の積極性を見せる白瀬に僕は言った。


「部屋よりもっと、僕に見せてもらうべきものがあるんじゃないのか?」

「うぐ」

 画面の向こうで、白瀬の肩が跳ねる。

 そして、胸の前で両手を合わせながら言った。


「きょーちゃんせんせ、あいらに家庭科のノートを見せてください。あと、数学の問題集と、現国のノートと、日本史のプリントと……」

「提出物ほぼ全部じゃないか!」

 今日わざわざ通話をしてまで勉強会を開いた理由。それは、白瀬の提出物がまったく終わっていなかったからである。


 僕と勉強し始めてからのここ一ヶ月は英語だけに力を入れていたし、仕事が忙しいのも知っているので、ある程度力を貸すことになるだろうと思ってはいたが、まさかここまでとは。

 事前に分かっていたら該当箇所のコピーを手渡すなりなんなり出来たのだが、今日になって発覚したため、画面越しに僕のノートやプリントを見せて写させることとなった。一々写真に撮って送れる量じゃなかったのである。


「……次のテストの時は自力でやるんだぞ」

「わかってるって。きょーちゃん、マジでありがとう!」

 今から調べ物をしたり、自力で解いていたのでは間に合わない。マーク模試の勉強にも障るだろう。仕方なく今回は了承したが、次同じことを許すつもりはなかった。他人のものを写して提出しても、勉強にはならないからな。


 もっとも、僕が白瀬の勉強を見ているのは、白瀬をマーク模試で三十位以内に入れるため。あと十日もすれば、僕と白瀬の接点はなくなる。

 だから次のテストでは、どのみち白瀬は僕が釘を刺すまでもなく、自力で、あるいは僕以外の誰かの手を借りて、提出物に取り組むんだろう。

 不意に浮かんだ未来図。そのビジョンを塗りつぶすように、僕は黙々とテスト勉強を進めていった。


 しばし、シャーペンがノートを駆ける音だけが部屋に響く。

 僕たちは集中して勉強をしていた。そう、扉に近づく足音に気づかないくらいに。


「おにーちゃん、具合よくなったー?」

 気遣うような台詞のわりに、間延びしたのんきな声とともに、扉が開かれる。

「おい、人の部屋に勝手に入るなといつも言って、」

「あー! 愛來ちゃんじゃん! おにーちゃん愛來ちゃんの配信見てるの? 意外なんだけど」


 スマホに映った白瀬をめざとく見つけ、画面に駆け寄ってくる柚子。

 扉が開いた瞬間は心臓が止まるかと思ったが、どうやら白瀬と通話していることはバレてないみたいだ。僕が配信を見ていると思ってるらしい。

 白瀬と通話しているなんてバレたら、妹に質問攻めにされるに決まっている。それは何としても避けたい。想像するだけで面倒だ。

 よし、面倒なことになる前に柚子を部屋から追い出し――


「きょーちゃんの妹さん? 初めまして! あいらだよ☆ あいらのこと知ってくれてるの?」

「……え? おにーちゃん、これ……」

 目を白黒させる妹。どれだけ演算してもこの状況を誤魔化す解が見つからず、天を仰ぐ僕。

「妹さん、きょーちゃんに結構顔似てるね。目元とかそっくり。かわいいーってあれ、二人とも、どったの?」

 そんな中、白瀬だけが暢気で元気だった。


「え?! おにーちゃん?! 愛來ちゃんと通話してんの?! なんで?!」

 ほらもうやっぱり面倒なことになったじゃないか!

 恨めしげに白瀬を見るも、白瀬は突然登場した僕の妹に興味津々のようで、僕の視線には気付かない。


「は、初めましてっ! 兄がいつもお世話になっておりますっ」

 緊張しつつも、白瀬に挨拶をする柚子と、「これはごてーねーに」とつられて頭を下げる白瀬。

「世話をしてるのは僕の方だ」

 どうしてこう、身内が自分の知人に挨拶をしている様を見るのは、むずがゆいのだろうか。

 柚子の頭にチョップを入れつつ言うと、「そんなわけないじゃん! だっておにーちゃんだよ?」と不満げに抗議をされた。僕は妹に何だと思われているのだろう。


「すいませんっ、うちの兄が変なことを言って」

 慌てた様子で頭を下げる柚子に、白瀬は言った。

「ううん。きょーちゃんの言ってることはほんとだよ。あいらね、きょーちゃんにお勉強教えてもらってるんだ」


 白瀬の言葉に、柚子は団栗眼どんぐりまなこをぱちくりとさせる。

 疑わしげに僕を見た妹だったが、それくらいしか僕が白瀬と通話をしている理由に説明がつかないと思ったのだろう。納得するように「なるほど」と一つ頷いた。


「……おにーちゃん、勉強がんばってきてよかったね」

 しみじみと呟き、僕の背をぽんぽんと叩く柚子。

 そんな柚子をひょいと抱き上げながら僕は言った。


「ったく。これで分かったろう。僕たちは勉強中なんだ。お子様は部屋で宿題でもやってろ」

「えー、もっと愛來さんとお話ししたいー!」

 ばたばたと足を暴れさせる妹は無視して、ひょいっ、とそのまま部屋の外に放り出す。


「愛來さーん! サイン、今度もらってもいいですかー?」

 扉の向こうから響く声。

「もち、オッケーだよー!」

 白瀬の返事に満足したのか、隣の部屋――柚子の部屋の扉が開く音が聞こえた。どうやら自室にもどってくれたらしい。

 ほっと息をつき、僕たちはまたそれぞれの勉強にもどっていった。



「おい柚子、入っていいか」

 その日の夜、僕は隣室の戸を叩いていた。

「いーよー」

 部屋の主からの返事を受け、僕は扉を開ける。

 ファンシーなぬいぐるみの並ぶベッドの上で、部屋の主こと柚子はスマートフォンをいじっていた。


「なぁ柚子。今日のことは……」

「分かってるって。パパとママに言わないように、って言うんでしょ?」

 話の分かる妹で助かった。母親は妹に似ている(正確には、妹が母親に似ている、と言うべきだろうが)ので、僕が有名な読者モデルと通話していたなんてバレたら、きっと面倒くさいことになる。


「そのかわり……」

「ああ、サインだろ?」

 妹にそう返すと、「話の分かるおにーちゃんでたすかるなー」と、どこかで聞いたような言葉が返ってきた。


「それにしても、白瀬ってほんとに有名なんだな」

 思わず感心する僕に、柚子がガバリと身を起こして言う。

「有名なんてもんじゃないよ! 愛來ちゃん、インスタもTikTokもすごいんだから」

 ほら、と見せてくれた、白瀬のものと思われるアカウントには、どちらも六桁のフォロワーがいた。

 普段アホなところばかり見ているから想像がつかないが、小学生の妹が知ってるレベルで有名人だったらしい。そういえば吉祥寺でも囲まれてたもんな、とぼんやり思い出す。


「で、サインは色紙か何かに書いてもらえばいいのか?」

 色紙は自分で買ってこいよ、と僕が言うと、柚子はベッドを降りて何やら本棚を漁り始める。

「色紙じゃなくてさ、これに書いてきてもらってよ! 愛來ちゃんが載ってる雑誌!」

 手渡されたのは、ティーンズ向けのファッション雑誌だった。何の気なしにページをめくって、思わず目を剥く。


「――っ!」

 そこに載っていたのは、海をバックに笑顔で飛び跳ねる、水着姿の白瀬だった。白地に小花を散らした布地が二つの豊満な膨らみを覆い、下はリボンの結び目が解けたらそのまま海に流されてしまいそうなデザインとなっている。


「彼女どころか、女友達すらいないおにーちゃんには、刺激がつよかったかな?」

 思わず固まる僕を、柚子がにやにやと下から覗き込んでくる。

「サインよろしくね! しばらく貸しといてあげるけど、変なことに使わないでよー?」

「はしたないこと言うんじゃありません」

「いった?!」

 調子に乗る妹に本気のでこぴんをお見舞いすると、柚子は額を抑えて涙目でうずくまった。これで少しは反省するだろう。


「……サインもらうまで借りておく」

 自室に戻り、僕は借りた雑誌を机の奥深くにしまいこんだ。学校に雑誌は持ち込めないし、サインは、次の女の子ゴコロレッスンの際にでも頼めば良いだろう。

 テスト期間中なんだ。雑誌などを見ている場合ではない。

 勉強に集中するために雑誌をしまい込んだ僕だったがしかし、脳裏にはしっかりと白瀬の水着姿が焼き付いてしまっており、思うように勉強が進まなかった。

 その日、僕は初めて己の比較的優秀な記憶力を嘆いた。

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