問16.体温上昇の理由を答えよ

 目を覚まして最初に視界に入ったのは、ノートと参考書だった。どうやら昨晩最後の追い込みをしていて、そのまま机で寝てしまったらしい。

「おにーちゃん、行かなくていいの? 今日テストなんでしょー!」

 リビングから妹の声が響く。

「……いま行く」

 寝起きだからだろうか。喉から出た声は低く掠れていた。

「あれ、おにーちゃん顔色悪くない? まったく、傘忘れて濡れて帰ってきたりするからだよ」

 小言を言いつつも「おやすみしたら?」と気遣いを見せる妹に僕は言った。

「顔色が悪いのは寝不足のせいだろう。それに、休むわけにはいかない――今日は期末試験だからな」



 期末試験一日目のコンディションは、一言で言うと最悪だった。頭に靄がかかったみたいに思考が冴えない。

 だが、仮に万全の調子であっても、今まで通りの成績をキープするのは難しかったはずだ。

 これまで僕は、毎日多くの時間を勉強に費やすことで成績上位をキープしていた。本来の実力より上の高校に進学したのを、物量で無理矢理食らいついていた形だ。

 白瀬の勉強を見るにあたり、その前提が崩れた。睡眠を削るなどして、自分なりにどうにかやりくりしてきたつもりではあったが、それでも自分の勉強に割ける時間は大きく減ってしまっていた。


 初めは、こんなつもりではなかった。

 厳しく教えればすぐに音を上げて、途中でなかったことになるんじゃないかと期待していた。勉強を教えると決まった後も、ある程度軌道に乗ったら、あとは本人が勉強するのに任せるつもりだった。


 人生は学力が全てである。

 友情も、青春も、全部時間と労力の無駄。

 その考え方に未だ変化はない。そのはずだ。そのはずなのに。


 ああ、いい加減認めよう。

 いつの間にか、楽しくなっていたんだ。白瀬に、勉強を教えることが。


 昨日は解けなかった問題が、次の日には解けるようになる。難問を前にして泣きそうな顔が、僕が答えと考え方を教えるだけでおひさまのような笑みになる。

 そんな日々に、僕は楽しさを感じてしまっていた。


 カンニングを疑われないよう気をつけつつ、横目で白瀬の様子を覗う。

 真剣な顔でシャーペンを動かしている姿が目に入る。

 教科は数学。氷雨先生のつくったテストだ。

 前回までのテストで白瀬は、最初の五分くらいで分かりそうな問題だけ埋め、残りの時間は寝ていたと言っていた。

 僕が白瀬に教えてるのはほとんど英語だけ。

 にもかかわらず、白瀬は数学のテストを懸命に解こうとしていた。

 僕と一緒に勉強をすることで、学力以外の部分でも白瀬に何か変化があったのだろうか。


 自分の言動が、他人に影響を与える。

 友達も部活も誰かのためにする努力も、全部が全部無駄だと分かった〝あの日〟以来、久しく経験していなかった感覚。

 空っぽでぐらついていた身体を支えるための脚が、もう一本生えてきたような。

 僕も、こうしては居られない。

 浮かばない答えに頭を悩ませつつ、それでもどうにか空欄だけはつくらないようにと僕は手を動かした。



「テスト初日おつかれー!」

 図書室へ向かう途中の廊下で、僕は何者かに背中を叩かれた。まあ、友達のいない僕にこんなことするやつは一人しかいないのだが。


「って、あれ、きょーちゃん……?」

 普段は時間をずらして図書室へ向かい、図書室の中でしか話さないのだが、今日はめずらしく廊下で絡んできた。テスト一日目が終わり、よほどテンションが高かったらしい。


「えええ、あいらもしかして強く叩き過ぎちゃった? 頭打った? うそ、どーしよっ」

 そんな白瀬だったが、おろおろと心配そうに僕を見下ろしていた。見下ろしていた……?


「きょーちゃんだいじょぶ? 救急車? 救急車呼んだ方がいい?」

 ここでようやく事態を把握する。そうか、僕はさっき背中を叩かれた拍子に脚から力が抜けて倒れたのか。

 思えば朝から頭がぼんやりしていた。雨に濡れた上に机で寝たから風邪を引いたのかも知れない。朝から頭はぼーっとするし。身体に力は入らないし。


「白瀬、肩貸して……」

 保健室行くから。掠れた声でそう言うと、混乱して救急車を呼ぼうとしていた白瀬はスマホを仕舞い、僕の身体を起こしてくれた。

 そのまま肩を借り、保健室へ向かう。保健室は図書室の真下にあるため、階段を降りればすぐだ。

 というか、頭がぼんやりしててよく考えずに肩を借りてしまったが、これめっちゃ近くないか?


「あっつ?! きょーちゃんこれ絶対熱あるじゃん!」

「いや、これは今白瀬と……なんでもない」

 だめだ。本格的に体調が悪いらしい。

 熱が上がったのは白瀬と接近したからだ、なんて、そんなことを口に出そうとしてしまうなんて。


「お勉強しすぎて知恵熱でちゃったの?」

 きょーちゃん頑張り屋さんだもんね。僕の言葉は特に気にせず、白瀬がそう言った。

 知恵熱ってのは赤子が発する原因不明の発熱で、頭を使いすぎても人間が発熱することはないぞ。

 相変わらずあほの子な白瀬に小さく吹き出したら、「きょーちゃんが笑うなんてマジでヤバいのかも!」と白瀬が焦りだした。なんでだ。僕だって笑うことくらいあるが?



 家に帰って夕方まで寝たら、体調は随分マシになっていた。

「今日は悪かった。保健室まで運んでもらったみたいで」

 布団の中からLINEを送ると、一秒と待たずに既読がつく。こいつはきちんと勉強しているのだろうか。

「きょーちゃんだいぶよくなったの?」

「ムリしないでね」

 猫が「ムリすんな」と言っているスタンプと共にそんなメッセージが届き、思わず和んだ。

「ああ、大分よくなった。ただ、もし白瀬にうつしたらまずいから、しばらくは個別で勉強しよう」

 またすぐに返信があった。

「そのことなんだけどさ、あいら、いいこと思いついちゃったんだよね」

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