問15.会話をするのに必要な最少人数を答えよ

 テスト前日の今日は、四時間授業だ。しばらくは図書室で勉強していた僕たちだったが、白瀬のお腹が鳴ったのをきかっけに勉強は中断し、お昼休憩を取ることにした。


「きょーちゃんすごい!」

 屋上に、白瀬の声が響き渡る。

 大人しい生徒の多い図書室ならまだしも、空き教室なんかで白瀬と二人で昼食をとっていては流石に目立ってしまう。そこでやってきたのが屋上だった。

 雲は灰色でどんよりと重いが、屋根のない空の下にいるというだけで開放感がある。


「それにしても、よく鍵なんて持ってたね?」

 伸びをしながら白瀬が訊ねた。

 屋上は通常立ち入り禁止だ。お陰で、僕たち以外の人影はない。


「ああ。前に氷雨先生の手伝いをしたら、お礼にって鍵をくれて」

 なんでも、担任の氷雨先生はこの学校の卒業生なんだそうだ。氷雨先生が通っていた当時、屋上は自由に立ち入りができ、屋上でぼんやりするのが息抜きになっていたのだという。

 藤波君も、一人になりたいときは屋上に行くといいわ。そんな台詞と共に鍵を手渡されたものの、一人になりたいときは図書館や自習室に行けば事足りるため、今日まで屋上を訪れることはなかった。


 適当な場所に腰を下ろし、持参したお昼ごはんを広げる。

「氷雨先生、きょーちゃんに甘いもんね」

 甘いっていうか、お気に入りっていうか。お弁当に入っていたプチトマトを食べながら、白瀬が言った。


「そうか? そりゃ、校則破り常習犯の白瀬と違って、怒られる回数は少ないかもしれんが」

 思わず首を捻る。氷雨先生はいつも凜としていて厳しい印象があり、甘やかされた覚えなどない。

 しかし、白瀬はゆるゆると首を横に振った。


「きょーちゃんさ、髪の毛に関する校則ってどんなのがあるか知ってる?」

「染めちゃ駄目、とか刈り上げ禁止とかそういうのだろう」

 それもだけどさ、と前置いてから白瀬は言った。

「前髪は眉毛までの長さにすること、ってあるの知ってる?」

「……そういやあったな」

 僕の前髪は目を覆うほどの長さだ。当然校則違反である。

「ちなみに、あいらのこれは地毛だから、髪型は校則違反してないよ」


 おばーちゃんがフランス人なんだってー。会ったことないけど。金の髪を指でくるくる弄びながら、白瀬が言った。

 さり気なく発された新事実は意外だったが、女子にしては高い身長や、はっきりとした目鼻立ち、そして何より根元まで金に輝くブロンドの髪が、まぁ、純日本人って言われるよりよほどしっくりくるな、と納得する。


 しかし、なるほど。

 それを踏まえて考えると、氷雨先生が僕に甘いという白瀬の言説も、頷けるものがあるかもしれない。先日白瀬が氷雨先生に髪型を注意されていたことを思い出しながら、僕は思った。


「まぁ、きょーちゃんに甘いってのもそうだし、あいらが嫌われてるってのもあるんだろうな」

 少しだけ寂しげに、白瀬が笑った。

「そうなのか?」

「あいら中学ん時は荒れてたからね。氷雨先生、そん時に教育実習きててさ」

 僕が入学する前から、そんな接点があったとは。


「っていうか、さっきからあいらばっか話してる気がする! きょーちゃんも何か話して」

「流石に無茶ぶりだろそれは」

 コンビニで買ったサンドイッチを咀嚼しつつ、会話のネタを探す。

「単語の暗記は順調か?」

「休憩時間なんだから、勉強以外のことお話ししよーよ」

 ちなみに単語はばっちりだよ、と指でオッケーマークをつくりながら白瀬が言った。

 勉強以外、勉強以外の話題、ねえ。


「……会話には公式みたいなのはないのか?」

 しばらく悩んだが、お手上げだった。数学のように公式があればいいのに。そう思って問いかけると、白瀬がふっふっふと笑う。

「公式じゃないけど、あいらが気をつけてることを教えてあげよう」

 そして人差し指を立て、キメ顔で言った。


「女の子ゴコロレッスンその三、会話は一人じゃなく、二人でするもの!」


「それは当たり前じゃないのか?」

 会話は一人では出来ない。流石にそれくらいは僕にでも分かる。

 疑問符を浮かべる僕に白瀬が言った。


「きょーちゃんはさ、人に何かを伝えるのは上手だと思うんだよね。勉強会での説明もすっごく分かりやすいし」

 いきなり褒められると反応に困るからやめてくれ。

 何も言えないでいる僕に、白瀬が続ける。


「でさ、何かを伝える時って、自分が中心になってるじゃん。でも、会話上手な人って、相手を中心に考えてるんだよね」

「あー、相手の良いところを見つけて褒めるとか、そういう感じか?」

 クラスで白瀬と連んでるやつらは、今日の髪型が可愛いだの、メイクが決まってるだの、相手の変化を見つけて褒めている印象がある。


「んー、それも話題としてはアリなんだけど、「その髪型可愛いね」「ありがと」で会話が終わっちゃったら、次にどうしたらいいか分かんなくない?」

「それは、確かに」

 実際にそんな状況になった時のことを考えただけで居心地が悪くなり、背中がむずむずとした。


「あいらがよく使ってるのはね、ずばり、〝相手が話したそうな話題を振る〟ってこと!」

 今一つピンとこなくて首を捻っている僕に、白瀬が説明を重ねる。

「例えば……きょーちゃん、甘い物好きみたいだけどさ、どういう系が好きなの? おすすめのお店とか商品とかある?」

「……そうだな。洋菓子でも和菓子でもなんでも好きだぞ。お店はそう詳しくないが、天音の鯛焼きは薄皮パリパリで結構好きだな」

 ちなみに天音というのは、吉祥寺のハーモニカ横丁にある老舗の鯛焼き屋である。いつも行列が出来ているが、並ぶだけの価値があると僕は思う。


 それにしても、どうして急に甘い物の話なんて。そう思っている僕に、白瀬は「それだよ!」と元気よく言った。

「きょーちゃんはさ、勉強とか甘い物のことはすらすら話せるじゃん? だから、あいらはその話題を振ったってわけ。こんな感じで、相手の好きなものとか得意なものについて話題を振れば、会話が盛り上がる、みたいな」

「なるほど」


 確かに、先ほど咄嗟に振られたわりには、自分の口からスラスラ言葉が出てきた。これがファッションや好きなアイドルについての質問だったら、こうはいかなかったろう。

「会話上手っていうと、面白い話が出来る人をイメージしがちだけどさ。自分で話すのが得意じゃなかったら、相手に話してもらえばいいんだよ」

 その方が相手の好きなものとか知れるしね、と言って白瀬は笑った。


 白瀬の指導のもと、二人が昼食を取り終わるまで会話のレッスンは続いた。

 会話が一区切りつく度、次なる話題を探し求めて白瀬を観察する。

 と、白瀬が持つお弁当に目が留まった。


「その弁当は白瀬手作りか?」

「うん、そだよ。あ、ひと口食べる?」

 はい、あーん。と白瀬が卵焼きを箸で掴み、僕の方へ近づけてくる。

「いや、要らないぞ?」

「ほらほら、落っこちたらもったいないよ。甘くておいしーよ?」

 僕の静止を気にも留めず、箸による侵攻は続く。ああもう。


「……まあ、悪くないんじゃないか」

 ついに観念して食べ、そう呟く。すると。

「ん、えへへ。ありがと」

 何やらはにかんで視線を逸らす白瀬がそこにいた。


 てっきり「でしょでしょ!」と自慢げに言ってくるか、「ちゃんと美味しいって言ってよ!」と怒るかのどちらかだと思っていたので、どんな顔をしたらいいのか分からなくなる。というか、照れるくらいなら最初からやらないでいただきたい。


「いい加減遊んでないで勉強に戻るぞ」

 お弁当を片付け屋上を去ろうとするのと、腕に滴が落ちるのは同時だった。

 滴は次々と落ち、灰色のアスファルトの色を濃くしていく。

「やば、雨じゃん」

「急ごう」

 幸いドアの近くにいたため、大して濡れることなく校舎に戻ることができた。ハンカチで水滴を取りつつ、僕たちは図書室へと戻っていった。



「雨、やまないね」

 相変わらず窓を打ち付ける雨粒を見て、白瀬がつぶやく。

 図書室の閉館まであと五分。だというのに、雨はまだ降り続いていた。

「随分憂鬱そうだが、もしかして傘を持ってきていないのか?」

 僕の問いかけに、白瀬は「あはは」と誤魔化すように笑う。どうやら本当に持ってきてないらしい。


「……仕方ないな」

「え?」

 鞄から取りだした黒の折りたたみ傘を、白瀬に差し出す。

「僕はふつうの長い傘を持ってきているから、遠慮せず使ってくれ」

 白瀬はしばらく、戸惑ったようにその傘を見つめていたが、僕の言葉に促され、遠慮がちに受け取った。


「やっぱりきょーちゃんは優しいね」

「別に。テスト前だというのに白瀬に風邪でも引かれて、ここまで教えてきた僕の努力が無駄になるのが嫌なだけだ」

 僕がそう言うと、素直じゃないなぁ、と白瀬が突っ込む。

「でも、ありがとっ」


 満面の笑みの白瀬を昇降口まで送り、僕は一人、いつものように自習室へと向かった。

「……まあ、僕が帰る頃には止んでるだろ」

 誰もいない自習室で一人ごちる。長傘を持ってきているというのは嘘だ。ただまあ、天気予報によれば、僕が帰る十九時までに雨は止むらしいし、問題ないだろう。


 結局、その日の雨は夜中まで降り続いた。


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