問12.人と話すときはどこを見るべきか答えよ

 前回と同じ吉祥寺のカラオケ店。

 偶然にも前回と同じ部屋に通された僕たちだったが、前回と異なる点が一つ。


「うんっ。あいらの思った通り、きょーちゃんこの髪型似合うね!」

 白瀬の、色素の薄い茶色の瞳と目が合う。

 僕は今、防波堤前髪を取り払われていた。

 とは言っても、前髪を強引に切られた訳ではない。


「わざわざ、ウィッグまで用意しなくても……」

 そう、僕は今、白瀬が用意したウィッグを被せられていた。

 白瀬が撮影の際仲良くなった衣装さんから借りたものだそうで、プロの現場で使われているだけあって本格的だった。鏡で見ても違和感が全くない。

 普段目元を隠してくれる前髪は、ネットの中にしまい込まれている。いつもよりクリアな視界が妙に落ち着かない。


「でも、せっかくデートするなら、ばっちりきめた方がアガるじゃん?」

 そう言う白瀬は、ふわふわとしたワンピースに身を包んでいる。丈こそ膝まで隠れる清楚なものであるが、その布地は薄く、太ももの上の方まで透けていて逆にきわどい。そして何より、肩や肩甲骨が丸出しだった。前回の反省を活かしたのか、帽子とサングラスで顔を隠しているが、もっとほかに隠すべきところがあるんじゃないのか。肩とか。背中とか。


「デートじゃなくて、デート特集で撮影する店の下見だろ?」

「似たようなもんじゃん」

 きょーちゃんは細かいなーなどと勝手なことを言う白瀬に、僕は小さくため息をついた。


 今日は女の子ゴコロレッスンの第二回目。前回と同じく、てっきりカラオケ店であれこれ言われるだけかと思っていたので、これから二人で吉祥寺の街をぶらつくと聞いたときは目を剥いた。集合してまだ三十分と経っていないが、もう帰りたい。


「よし! かっこいいきょーちゃんの完成! それじゃ行こっか」

 白瀬は満足げに宣言し、かと思うと、

「……? その右手はなんだ?」

 自然な動作で右手を差し出してきた。


「もう。デートなんだから、手繋いで歩くに決まってんじゃん!」

「……は?」

 僕の知る限りこの国にそんな法律はないし、ここ武蔵野市にそんな条例はない。

 しかし、河豚のように頬を膨らませた白瀬にそんなことを説いても聞いちゃくれないだろう。僕は渋々その手を取った。

 重ねた僕の手に、白瀬がぎゅっと指を絡める。心臓でも掴まれたように胸が跳ねた。


「今日は撮影の下見で、これはただのレッスンだろう」

「こういうのは、ふいんきが大事だからいーの!」

 えへへ、となぜか嬉しそうに白瀬が笑う。

 なんだそれは。どういう感情なんだ。国語の問題なら登場人物の感情を読み取るのはそう難しくないのに、現実ではさっぱり分からない。現実にも地の文をくれ。


「ふいんきじゃなくて雰囲気ふんいきだ」

 右手も会話のペースも白瀬に握られっぱなしの僕は、そんな言葉を返すのがやっとだった。



「次のお店はここね」

 白瀬と手を繋いで幾つかの雑貨屋を周り、ほどよく小腹が空いてきたところで案内されたのは、お洒落な雰囲気のカフェだった。

 これまでの人生で訪れたことのないお洒落スポットに思わず尻込みする僕だが、今日は白瀬に右手を掴まれているため逃げられない。飼い主に引かれ病院に行く犬のように入店すると、カランコロンとベルが鳴った。


 そのまま席に案内され、久方ぶりに繋がれた手が解ける。

 ほっとするような、ほんの少し残念なようななんとも言い表しがたい感情で右手を見つめていると、白瀬が


「ぢっと手を見る」と呟いた。

「啄木か」

 思わず吹き出しながらツッコミをいれ、僕はあることに気づく。

「というか、よく知ってたな」


 今の白瀬の発言は、先日現国の授業でやった石川啄木の「はたらけど はたらけど 猶わが生活くらし楽にならざり ぢっと手を見る」という短歌が元ネタだろう。実技以外は全部睡眠時間のように考えている白瀬の口から短歌が出てくるのが意外だった。


「なんかさ、きょーちゃんに勉強教えてもらってから、もしかして勉強って楽しいのかも? って思ってさ」

 最近は授業も真面目に聞いてるんだよと、どや顔する白瀬に、授業を聞くのは当たり前だと突っ込む。

 突っ込みをいれつつ、内心、喜びがわき上がるのは否定できなかった。そうか、あの学校を友達と騒ぐところだと思っていそうだった白瀬が……と、教え子の成長に思わずほろりとしてしまう。


「ねえ、きょーちゃんは何食べたい?」

 メニュー表を開きながら白瀬が問う。

 さっと一通り目を通したところで、店員がこちらにやってきた。

「ご注文はお決まりですか?」

 白瀬がダッチガーデンなる謎の食べ物(写真を見る限り、ピザのような何か)を注文する。

 視線で注文を促され、僕は言った。


「このふわふわパンケーキチョコバナナを」

「きょーちゃんって、意外と甘党なんだね」

「砂糖はブドウ糖に分解されやすいからエネルギーの吸収が早くて勉強に最適なんだ。バナナに含まれるトリプトファンはセロトニンを生成して心身の安定にも繋がるしな」


 言い訳のように早口でまくし立てると、白瀬は「甘いもの好きって、なんか可愛いね」と言って笑う。うるさいな。

 ちなみに、勉強中に糖分を取り過ぎると血糖値の関係で疲れや怠さに繋がるので、本当はパンケーキは勉強中の間食に向かない。注文したのは、単に食べたかったからである。


 料理を食べつつ、他愛のない会話を続ける。

 と、あることに気づいた。

 どうも、白瀬と妙に目が合うのである。

 最初は、今日は僕の前髪がないからそう感じるだけかと思ったが、それにしたって目が合いすぎだ。

 白瀬の指示で、今日僕は姿勢を正している。その結果、目の位置が白瀬より高くなり、白瀬は自然と上目遣いの形で僕を見つめることになる。 

 なんだろう。口の端にチョコでもついているだろうか。


「どうしたんだ、一体」

 流石に無視しきれず訊ねるも、白瀬から返ってきたのは答えではなく新たな問いだった。

「さて、ここできょーちゃんに問題です。人と話すとき、相手のどこを見たらいいでしょうか」

「……そりゃ、目だろ」

 なるほど。僕がいつも俯いていて、人と視線を合わせないから、それに対する〝レッスン〟ってわけか。と僕が一人で納得していると。


「ところがっどっこい。そうじゃないんだなぁ」

 白瀬が嬉しそうに言う。

「?」

「きょーちゃんさ、さっきなに考えてた?」

「いや、今日はやけに白瀬と目が合うな、と」

 僕が答えると、白瀬は「それだよ!」とテンション高く頷く。

「話が読めないんだが」

 それってどれだ。頭上に疑問符を浮かべる僕に、白瀬が言う。

「さっきね、きょーちゃんと話すとき、あいらはわざと、きょーちゃんの目を見るようにしたんだ」

 わざとらしく声を潜め、囁くように白瀬は続けた。


「どう? どきどきした?」

「……べつに」

 素っ気なく返したものの、思わず一瞬、答えに詰まってしまった。

 だが、白瀬はそれに気づかなかったらしい。つまんないのー、と唇を尖らせてから、説明の続きを始める。


「ま、きょーちゃんには効かなかったみたいだけどさ。あんまり目を見られすぎると、みんな結構キンチョーしちゃうわけよ。特にきょーちゃんって背も高いし、顔もいっつも恐いし」

「うるさいな」

 まあでも確かに、白瀬みたいな顔が整った女子ならともかく、僕みたいな大柄でしかめ面の男性に見つめられたら、かなり威圧感があるだろう。

「だから、実は人と話すときは、あんまりその人の目をじっと見ない方がいいんだよね」

 そうだったのか。意外だな、と思いつつ、僕の頭に新たな疑問が浮かぶ。

「でも、普段白瀬と話してるときは、威圧感は感じないぞ? 特に目線を逸らしている印象もないが……」

 アホな解答を突っ込まれた時の顔や、僕の解説を聞く真剣な顔など、様々な白瀬の顔が脳裏に浮かぶが、どれも真っ直ぐこちらを見ていた気がする。


 すると、白瀬の手がこちらに伸びてきた。

 なんだなんだ。思わず身を竦ませる僕の頭に、白瀬の手が触れる。これは、撫でられている……?


「きょーちゃんはやっぱり賢いね。そう。実はね、会話のときに相手の目を見るっていうのは、半分正解なんだ」

 その手つきはとても自然で、もしかしたら、弟のこともよくこうやって撫でているのかな、と感じた。というか、そんなことでも考えていないと、動揺が顔に出てしまいそうだった。


「目を見るべきなのは、自分が話すときじゃなくて、相手の話を聞いているときなんだよ!」

 ちなみに自分が話すときは、相手の首あたりを見つつ、ところどころ視線を外すといいよ、と白瀬が補足する。

「なるほど」

 言われてみれば、白瀬は僕の話を聞くとき、僕の目を見ていることが多い気がする。そして、目を見て話を聞いていると、こちらも(今きちんと話を聞いてもらえているな)という気分になる。

 ふとあることに気づき、僕は口を開いた。


「なあ白瀬。それが分かってるなら、授業中に先生の目をきちんと見て授業を受ければ、授業態度の評価が上がるんじゃないか?」

 なぜ分かっててそれをやらないんだ。そんな思いを込めつつ、冷ややかな目で白瀬を見つめる。


「あー! きょーちゃん、こっちのダッチベイビーもおいしそうだよ!」

「露骨に話を逸らすんじゃない」

 白瀬の脳天にチョップを入れつつ、メニューの白瀬が指し示した辺りを見る。

 ……確かに、美味しそうだな。


「すいません、これも追加で」

 近くを通りかかった店員を呼び止め、ダッチベイビーなる食べ物(シュー生地のようなパンケーキのようななにか)を注文する。


「きょーちゃん、本当に甘いもの好きだね……」

 白瀬が、信じられないものを見るような目で呆然と呟く。

「男子高校生は食べ盛りなんだ」

 言い訳のように呟くと、白瀬が笑ったのが見なくても分かった。


 ちなみに、初めて食べたダッチベイビーなるものは、生地そのものの甘さとバターの風味が素朴な美味しさで、非常に美味しかった。新たな美味と出逢えるなら、こうやって人と外食をするのも、まあ、たまには悪くないかもしれない。

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