問10.次の英文を日本語に訳せ「Walking down the street,I found a 1000-yen bill.」

「ねえきょーちゃん。あいらにウソ教えてないよね?」

「なんだ藪から棒に」


 波乱の土曜日から三日。日曜はそれぞれ家で勉強をし、月曜日は白瀬が撮影のため放課後空いておらず、今日は数日ぶりに図書室で勉強会を開いていた。


「今日コミュ英の授業だったじゃん? それであいら、この英文の訳を当てられたんだけど……」

 コミュ英というのはコミュニケーション英語のことだ。コミュニケーション英語の授業は、僕たちが所属する一組と、隣の二組の合同で行われる。二クラスを三つに分けた少人数授業のため、僕と白瀬は別の教室で授業を受けていた。

 白瀬が教科書を開き、授業で当てられたという英文を見せる。


「Walking down the street,I found a 1000-yen bill.」


「で、白瀬はこれをなんて訳したんだ?」


「道の下を歩いている、私は千円のビルを見つけた」


「千円のビルってどう考えても事故物件だろ!」

 というか、どんな事故物件であってもビルが一棟千円で売りに出されていることはないだろう。物価どうなってんだその国は。ジンバブエか。


「確かにめっちゃ安! とは思ったよ? でも結構自信あったんだけどなぁ……って、きょーちゃん天井なんて見つめてどったの?」

 思わず天を仰いでいた僕に、白瀬が問いかける。

「もしかして、またあいらの解答がアホすぎて呆れちゃった……?」

 不安げな白瀬。だが、


「いや、逆だ。僕は今感動している」

 ほんの一週間前までは、「made to be」を「~まで飛べ」なんて訳していた白瀬が、曲がりなりにも英語の訳らしき解答をしたことに僕は感動していた。やばい、ちょっと泣きそう。


 確かに白瀬の解答はまだまだアホだが、ここ一週間で教えたことはしっかりと身についているようだ。一週間前なら「found a」の部分は絶対に本田と訳していた。「私は千円ビルの本田」とか言ってた。


「白瀬、この一週間で成長したな……」

 しみじみ呟くと、白瀬は照れくさそうに「えへへ」と笑った。


「で、僕がウソを教えてるってのはなんのことだ?」

 話を戻し、白瀬に問うと「あ、そうだった」となんとも間の抜けた返事が返ってきた。君が言い出したんだろうが。


「きょーちゃんさ、「~ing」は「~している」を表すって言ってたじゃん? でも、先生が言ってた答えは「~している」じゃなかったよ?」


 確かに、英語の学習において最初に出てくる「~ing」の使い方は現在進行形だ。He is reeding a book.=彼は本を読んでいます。のように、今現在行っている動作を表す。


「~ingの使い方はもう一つ教えたはずだが、覚えてるか?」

 僕の問いに、白瀬は腕を組み、うーんと唸る。

 そして、パッと顔を輝かせ、


「あ、動名詞! ~することって訳すんだよね」

 褒めて褒めて、と言わんばかりにこちらを見つめる白瀬。中二レベルの英文法ができたからって、そんな得意気になられても……とも思うのだが、最初の頃を思えばかなりの進歩だ。「はいはいえらいえらい」とおざなりながらも褒めておく。

 適当に褒められて「むう」と頬を膨らませた白瀬だったが、自分が何のために図書室に来ているのか思いだしたのだろう。再び教科書に視線を落とした。


「ってことは、この英文の訳は「道の下を歩くこと、私は……」って、あれ?」

 頭上にたくさんの疑問符を浮かべ、助けを求めるようにこちらを見つめる白瀬。


「ああ。この文は「~している」でも「~すること」でも訳せない」

「やっぱり、きょーちゃんあいらにウソ教えてたんだ……」

「なぜそうなる」

 この一週間、白瀬にはひたすら中学で学ぶ英文法と英単語を教えてきた。中学英語でまだ勉強が終わっていない範囲もあるのだが、せっかくの機会だ。今日はこの単元をみっちりやるか。


「いいか。これは分詞構文だ」

「ぶんしこーぶん?」

「高校で学ぶ範囲だからまだ教えてなかったが、~ingにはほかにも使い方があったんだよ」

 僕が言うと、白瀬は「な、なんだってー」と大袈裟にリアクションした。さすが陽の者、ノリがいい。良すぎてこっちがちょっと引いてしまう。


「分詞構文は、簡単に言うと「~ing」もしくは「~ed」が接続詞の働きを兼ねている文章のことだ。ここでは「時」もしくは「同時」を表す「when」や「while」を兼ねてるな」


 白瀬の頭上には、先ほど以上にはてなマークが浮かんでいた。目をぐるぐるさせつつ、必死に僕の言葉を理解しようと頑張っている。


「……つまり、~ingではじまる文を見たときは、「とき」「もし」「ので」みたいな意味を補って訳す必要があるってこと」

 かなり乱暴な説明になってしまったが、そのかいあって白瀬もようやく「なる、ほど……?」と一定の理解をしてくれた。


「だから

 Walking down the street,I found a 1000-yen bill.は

 道を歩いていると、私は千円札を見つけた。となる」


 なお、billの訳は紙幣であり、1000-yen billで千円札を表す。千円のビルではない。


 僕がさらっと訳すと、白瀬はきらきらした瞳でこちらを見ていた。

「きょーちゃんすごい! そっか、~ingで文が始まってたら、自分でそれっぽい感じにして訳せばいいんだね」

「うーん、まあ、だいたいそんな感じだ」


 詳しい説明はあとで補足していくとして、まずはいくつか英文を訳してもらって、感覚で覚えてもらおう。

「じゃあこの文はなんて訳す?」


 Being tired,I went to bed at eight.


「疲れていたので、私は八時にベッドに行った」


「正解だ」

「やった」

「じゃあ次」


 Going to Tokyo,he watched a baseball game at stadium.


「東京に行ったとき、彼は野球の試合をスタジアムで見ました」


「正解だ」

「やったー!」

 両手を挙げ、全力で喜ぶ白瀬。


「すごい。すごいよきょーちゃん! あいら、高二の教科書の英語がちゃんと訳せてるよ!」

 白瀬の瞳が、眩しいくらいに輝いている。よほど嬉しかったのだろう、そのまま挙げた手を前に突き出し、ハイタッチ。

 白くて細い手が僕の手とぶつかる。自分より低い体温に、思わずどきりとするが、白瀬は何にも気にしてないって様子で次の問題を求めていた。


「あいら、ぶんしこーぶんマスターしちゃったかも」

 何でも来い、といわんばかりの白瀬。その顔は自信に満ちあふれている。

 それにしても、やはり白瀬は飲み込みが早い。分詞構文には色々なバリエーションがあり、覚えることはまだまだたくさんあるが、マスターできる日もそう遠くないかも知れない。

「なら、これはなんて訳す?」


 Waiting at the bus stop,I met Susie.


 ここまで連続正解している白瀬だ。きっとこの問題も正解してくれるだろう。

 白瀬は腰に手を当て、その豊満な胸を反らしながら自信ありげに言った。


「これくらい簡単だよ――バス停で待っていると、私はお寿司と会った!」

「どんな寿司だ!」


 二足歩行で、奇遇だねとでも言わんばかりに片手を挙げているマグロの握りが脳内に浮かぶ。Susieは人名でスージーである。寿司ではない。

 白瀬が分詞構文をマスターするには、まだまだ時間がかかりそうだった。

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