問8.この時、彼女の気持ちとして最も適当なものを選べ
結局その後も、背筋を伸ばせだなんだと、白瀬による女の子ゴコロレッスンは時間いっぱいまで続いた。
必要とも思えない人女心に関する知識を延々と教え込まれ、もうすっかりへとへとである。いつもの定期テスト最終日より消耗している。
終了五分前を伝える電話がかかってきた時には、これで解放される、と心の中でガッツポーズをしたほどだ。
休日ということもあり延長はできない、と店員からの説明を受け、僕たちは二時間ぶりに店の外へ出る。夕方になり、街の人出はカラオケに来る前よりも増えている気がした。
「この後はどーする?」
「そうだな。せっかく吉祥寺まで来たんだし、僕はこの後本屋で参考書でも――」
言いかけた言葉は、しかし、往来から投げかけられる黄色い声に遮られた。
「ねえ、あそこにいるの白瀬愛來じゃない?」
「マジ? 生愛來ちゃん? 本物?」
「やば! 実物かっわ! つーか脚ほっそ! なっが!」
声のする方を見れば、女子高生らしき三人組がこちらを見ながらきゃいきゃいはしゃいでいた。
白瀬はというと、自分の話をしている女の子達の方を向いたかと思えば、人差し指を口の前で立て、「静かに」のポーズをしながらウィンクを飛ばしていた。そのウィンクをうけ、ファンの子達は「きゃーっ」と、小声で騒ぐという高度なことをしている。
「白瀬って、有名人だったんだな」
読者モデルをやってる、とは聞いていたが(というか、それを辞めさせられないために勉強をみてやってる訳だが)ここまで有名だとは思わなかった。
「まあね。どーお? あいらのこと見直した?」
ほめてほめてオーラを全開で出してくる白瀬を「はいはいすごいすごい」とあしらいつつ、僕は口を開く。
「しかし、この分だと今日は解散した方が良さそうだな……」
辺りを見渡すと、最初に騒いでいた女子高生以外にも、白瀬のファンらしい人々が、いつの間にか周りを取り囲んでいた。
元々人通りの多い吉祥寺だが、比較的狭い路地に人が密集している状態は少し危険だ。中には、盗撮だろうか。スマホのカメラをこちらに向けている者もおり、解散するよりほかになさそうだ。
人混みを縫うように歩いて、どうにか駅の方を目指す。
その間も、白瀬は人々の注目の中心だった。
白瀬が注目を集めるということは、その隣を歩く僕にも自然と視線が注がれる訳で。
「え、あれ愛來ちゃんじゃね?」
「ってか、隣の男だれ? 愛來ちゃん彼氏いたの?」
「いや、お兄ちゃんとかなんじゃん? 流石にアレはナイっしょ笑」
「いやいや、兄弟にしては似てなさ過ぎるから笑」
本人達は小声で言ってるつもりなんだろうが、丸聞こえだ。
白瀬の耳にも届いていたようで、気まずげな視線をこちらに向けてくる。
「自覚あるし気にしてないから」
だから白瀬も気にするなと僕が言うと、白瀬はは少しだけ悲しげに眉根を寄せた。
ここにきて、僕はようやく気づく。
白瀬が女の子ゴコロレッスンの場所にカラオケを選んだ理由と、「うん。ここなら二人っきりになれるし、ね……?」という、意味深な言葉の意味に。
白瀬はきっと、この状況をある程度予見していたのだろう。白瀬はアホだが、気遣い屋さんというか、こういう部分には気が回る質のようだ。
何とか駅までたどり着くと、白瀬はあえて明るい声で言った。
「ねえきょーちゃん、次の女の子ゴコロレッスンはどうする? 来週は日曜に撮影あるけど、土曜日だったら――」
「いや、そのことなんだが」
白瀬の言葉を遮って、僕は言った。
「もう、やめにしないか?」
「……やめる、って?」
白瀬が小首を傾げる。その瞳は揺れていた。
「だって、無駄だろう?」
白瀬はどうも、僕に社交性を身につけさせ、クラスメイトと交流をもって貰いたいらしい。
だが、そんなもの僕には不要だ。
だって、僕はそんなこと望んでない。
白瀬の勉強の面倒は見るが、それは白瀬が単語テストで満点を取ったから仕方なくだ。ただでさえ自分の勉強に割ける時間が減っているのに、クラスメイトと関わるなど、まして、そのための女の子ゴコロレッスンを受けるなど、時間の無駄以外の何物でも無いだろう。
それに。
僕なんかと過ごして貴重な時間を浪費するのは、白瀬にとってもマイナスのはずだ。だから、この提案は両者にとってメリットがあるはず。
そう思っての発言だったが、白瀬は何かを耐えるように唇を噛みしめ、俯いた。
かと思うと、ぎこちない笑顔を浮かべ。
「そう、だよね。うん。……わかった。やめにしよっか」
震える声で呟く。
「……白瀬?」
流石の僕でも白瀬の異変に気づいたのだが、白瀬は僕の呼びかけに応えることなく改札を通ってしまった。
はぐれないようにその背中を追いかける。
電車に乗り込んでからも、二人とも無言だった。
電車の中は並んで座れない程度の混み具合で、ドアの側に二人で立って過ごした。
僕の最寄り駅を告げるアナウンスがあり、扉が開く。
「じゃあまた」
白瀬の最寄りは二駅先だ。僕の社交性は死んでいるが、流石にこのまま無言で電車を降りるほどではない。
声をかけてから電車を降りようと踏み出したその時。
手を、引かれた。
ぐいっと。その細い腕のどこからそんな力出てるんだって強さで引き戻され、僕は車内に逆戻り。扉が無情にも閉まる。
「ちょ、おいっ」
抗議の声を上げ、白瀬の方に視線をやる。
けれど、その表情は見えなかった。
白瀬が、ぐっと顔を近づけてきたからだ。
吐息がかかるほどの至近距離で、白瀬が囁く。
「きょーちゃんさ、このあと、うち、来ない……?」
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