問7.人に気持ちを伝えるとき必要な事柄を答えよ
約束の十分前に待ち合わせ場所に向かうと、白瀬はすでにそこで待っていた。
キャミソールに、敢えて肩を出すように纏った紺のシャツ。短すぎるショートパンツからは長く白い脚が伸び、一つに結わえられた髪と露わになったうなじも相まって、あまりにも眩しい。
「あ、きょーちゃんおは~!」
と、こちらに気づいた白瀬が元気よく手を振る。
「おう」
控えめに手を挙げることで返事として、僕は白瀬の隣に並ぶ。
「あれ? きょーちゃんなんでそんな離れたとこ歩いてんの? はぐれちゃうよ?」
……高校に入ってからは一人でいたので、人と並ぶときの距離感が分からん。
半歩分ほど白瀬に近づき、はぐれないように気を付けながら人混みの中を歩く。
「それにしても、人が多いな」
「いつ来ても混んでるんだよね、吉祥寺は」
吉祥寺。
住みたい街ランキング上位を長年維持し続けているこの街は、僕らの通う学校から一番近い繁華街だ。
通りには学生らしき若者が溢れ、思い思いに青春を謳歌している。
青春なんて時間の無駄で、勉強こそが至上と思っている僕には、縁遠い街のはずだが、なぜそんな街を白瀬と二人で歩いているかというと――。
「ねえ、きょーちゃん。今日はあいらが先生だから、あいらもきょーちゃんにいーっぱい色んなこと教えてあげる!」
そう、今日は僕が白瀬に勉強を教えるメリットを享受する日。
つまり、白瀬が僕に〝いいこと〟を教えてくれるという日なのだった。
ちなみに、〝いいこと〟が具体的に何を指すのかはまだ教えてもらってない。
じろじろ見ないよう気をつけているつもりだが、不意に視界に入る普段は隠されているうなじが、肩が、あまりに白くて、僕は思わず唾を飲み込む。
「? どーかした?」
白瀬は女子にしてはかなり長身だが、僕も背が高い方なので、二人とも立っていると下から覗き込まれる形になる。いわゆる上目遣いってやつをしつつ首を傾げる白瀬から視線を逸らし、僕は
「別に」
とだけ返した。
「あー、もしかしてきょーちゃん、女子と出掛けんの初めて? きんちょーしちゃってかーわいいー」
後ろに腕を組んで前傾姿勢になり、にやにやとした笑みを浮かべる白瀬。
普段は白瀬の方が、珍回答を連発する関係で僕にいじられっぱなしなので、自分がめずらしく優位に立てているのが余程嬉しいらしい。
「誰かさんと違って、異性慣れしてなくて悪かったな」
誰もが白瀬達のように、男女混合のグループで仲良くしている訳ではないのだ。
まぁぶっちゃけ、緊張しているのはそれ以外の理由もあるのだが。
ふてくされたように、白瀬を置き去りにして大股でずんずんと進んでいく。「ちょっと待ってよぉ」と小走りで追いかけてくる音が後ろから聞こえるが、生意気な教え子は無視だ。無視。
小走りだった足音が止まり、けれどまだ半歩分だけ僕より後ろに居る白瀬が、小さく呟いた。
「ま、あたしも男の子と二人っきりで遊ぶとか、初めてなんだけどね」
思わず振り返ろうとして、やめた。
だって、もしこれで白瀬が照れてでもいたら、もうその後の空気をどうしたらいいか分からない。
「ところで、これはどこに向かってるんだ?」
なんだか落ち着かない空気を変えるべく、僕は後ろの白瀬に訊ねる。
〝いいこと〟なんて思わせぶりなことを言うので、絶対ないだろうと思いつつも、もしかしてと期待してしまう自分がいることを否定できない。そして、そんな自分が嫌だったし恥ずかしかった。
だから、どこに向かうかはっきりさせることで、心の平穏を取り戻したかったのだが。
「えっとね、ここだよ」
白瀬が指した方へ視線を向ける。
「カラオケ……?」
「うん。ここなら二人っきりになれるし、ね……?」
いやいやいや。絶対ないだろう。それは。勉強教えてあげたくらいでそんな。漫画の読み過ぎだ。
頭の中に浮かんできてしまうピンク展開を必死で否定するが、鼓動が早くなるのを抑えることができない。
「それじゃ、いこっか」
思わず唾を飲み込んで、僕は白瀬の後に続き、店内へ脚を踏み入れた。
◇
「なあ、もう……いいか?」
「ちょ、きょーちゃっ、まだ動いちゃ……だめ」
カラオケ特有の薄暗い室内に、白瀬の声が響く。
「……ッ!」
白瀬の細い指が触れ、くすぐったさに思わず身じろぎする。と、白瀬が言った。
「あー! だから、動かないでって言ってんじゃん! 眉毛なくなっちゃうよっ!」
そう、僕はいま白瀬に眉毛を整えられていた。
……まあ、そんなことだろうと思っていたが。
現在、僕はソファに腰掛け、白瀬に指示されるがまま斜め上を向いている。そして、白瀬は僕の正面に立ち、家から持ってきたという電動の剃刀で僕の眉毛の輪郭を整えていた。
切った眉毛が部屋を汚さないよう、僕たちの周辺には新聞紙が敷かれている。
時々額に、瞼に、白瀬の指が触れてこそばゆく、身じろぎをしそうになっては怒られていた。
剃刀を僕の額の上で慎重に滑らせながら、白瀬が口を開く。
「女の子ゴコロレッスンその1、見た目は心の一番外側、なんだから」
白瀬の言う〝いいこと〟とは、女心のことらしい。
「さっきも言ったが、僕に女心に対する理解なんてものは不要だ」
白瀬が怒るので、身じろぎをしないよう最大限の注意を払いつつ、僕は言った。
この世は学力が全て。女子と遊ぶ時間があるならその分勉強に充てた方が有意義だろう。これは断じて負け惜しみではない。
「だから、女心じゃなくて、女の子ゴコロだってば」
妙なこだわりがあるようで、白瀬が斜め上の突っ込みをする。なんでも、「女心だとなんかドロドロしてそうじゃん。女の子ゴコロの方がかわいい感じがする」とのこと。わけわからん。僕としてはどちらにせよ不要なのでどっちでもいい。というか正直どうでもいい。
「だってさ、きょーちゃん教室ではいっつも一人で居んじゃん。せっかく素材はいいのにもったいないよ」
「はあ? 嫌みか?」
思わず険しい顔で見つめると、いやいや、マジだって、と白瀬が首を振る。
「きょーちゃんって頭いいから色んなこと知ってるし、意外とノリもいいじゃん? だから話してても楽しいし、きょーちゃんの面白さをみんなにも知ってほしいというか……もったいないというか……」
「そりゃ、madeの読み方も知らなかった白瀬に比べたら、誰でも〝頭いいから色んなこと知ってる〟になるだろうよ」
思いがけないベタ褒めに、反射で皮肉を返してしまう僕。
「もう読めるもん! メイドでしょ」
「じゃあmadeの意味は?」
「マケの過去・かこぶんし? 形!」
「だからローマ字読みをやめろと言っているだろうがっ」
ツッコミつつ、僕は内心感心していた。アプリによる学習により、しっかりと英単語が身についてきているらしい。
アプリでは「made」の意味は、「makeの過去・過去分詞形」となっている。
なお、過去分詞形がなんなのかはまだ白瀬に教えてないため、アプリの選択肢に書いてあったことをそのまま覚えてきた、といった様子だが十分及第点だ。
makeはマケじゃなくてメイクと読むんだぞ、と教えていると、
「だーかーらーそうじゃなくてーーーーーーー!」
と白瀬が吠える。
「今日は、あいらが先生の日なの!」
頬を膨らませてぷりぷりと怒る(自称)先生。
どうやら大人しく生徒役に徹して、白瀬先生の授業を受けないことには、解放してもらえなさそうだ。
そう判断した僕は、しぶしぶ白瀬の女の子ゴコロレッスンとやらに付き合うことにした。
「はい、眉毛おわったよ!」
最後に刷毛(メイクブラシというらしい)で、先ほど切り取った余分な眉毛を払ってから、白瀬が言った。
「どう、どう?」
白瀬の私物である手鏡を向けられ、僕はそこに映る自分の顔を見遣る。
……確かに、これまで自然なままの状態で放置していた眉毛を整えたことで、少し顔の印象がすっきりした、ような……?
「それじゃ、次はその長い前髪をばっさりいってみよっか!」
いつの間に持ち替えたのか、鋏を構えながら白瀬が言った。
チョキチョキと蟹のように鋏で威嚇(?)をしてくる白瀬に、思わず前髪を手で隠して後ずさる。
「ストップ! 前髪だけは勘弁してくれ」
本気で嫌がっているのが伝わったのか、白瀬は「えー」と不満げにしつつも、鋏を仕舞ってくれた。助かった……。
「っていうか、髪を切るならプロに任せた方がいいんじゃないか」
僕が髪を切る時は、大体近所の千円カットにお任せしている。
「大丈夫! あいら、弟の髪とか切ってあげてるし!」
腕前なら心配ないよー、と再び鋏を取り出そうとしたので、堪らず静止した。油断も隙も無いな。
白瀬の興味を僕の前髪から逸らすべく、僕は「そういえば」と口を開く。
「さっき言っていた、〝見た目は心の一番外側〟って、あれはどういう意味なんだ?」
僕の問いに、白瀬が少し得意気に答える。
「ほら、心の中って基本的には見えないじゃん? でもさ、見た目っていうのは、その人の考え方とか思いとか、そういう心の中が見える場所だと思うわけ」
「ほう」
「例えばさ、きょーちゃんはあいらの今日の格好見て、どう思った?」
正直、露出度高いなと思ったというか、言葉を選ばなければエロいなというのが一番の感想だったわけだが、流石にそれをいうのは憚られたので、無難そうな言葉を探して答える。
「えーと……ギャルっぽいな、と」
「そう! つまり、あいらの格好を見れば、あいらのことを何にも知らない人でも、あいらがギャルっぽい子なんだなってのは分かるわけじゃん?」
「なるほど。つまり、見た目にはその人の人となりが現れるから、気を遣って整えろ、と言う話か」
僕が自分なりに解釈すると、白瀬は、まあそんな感じかなと肯定する。
「それにね、例えばきょーちゃんに好きな人がいるとしてさ、プロポーズしたいなぁって考えてるとするじゃん。そしたらTシャツにスウェットとかじゃなくて、きちんとおしゃれするっしょ?」
「まあ、するだろうな」
そんな予定はないが、常識に照らし合わせて返答する。
「そんな風にさ、何か気持ちを伝えたいって思ったときは、まず見た目を整えるのって必要だと思うんだよね。ほら、好きな人とのデートの時は、気合い入れた服着たりさ」
「だから、〝見た目は心の一番外側〟と」
そーいうこと。と、白瀬は指でオッケーマークをつくって微笑みながら頷いた。
言われてみると、確かに納得のできる話ではある。
僕は前髪を切りたくない。なぜなら、これは壁だからだ。
前髪を伸ばして視線を隠すことで、敢えて話しかけにくい雰囲気をつくっている。
その方が、一人でいた方が、勉強に集中できるから。
「でももったいないなぁ。きょーちゃん、結構整った顔してるのに」
だというのに、白瀬は人の前髪をまるで居酒屋の暖簾であるかのように気軽に掻き分けて覗き込んでくる。
普段と違い、遮るものが何もない状態で見つめられ、思わず息が詰まった。
「……僕はこれから壺でも売りつけられるのか? 褒めても宿題くらいしか出ないぞ」
どうにか茶化して、ふいっと視線を逸らす。
「もぉ、そういうんじゃないのに」
白瀬の言葉を聞きながら、僕は思った。やはり、前髪は切られなくて正解だったと。
だって、もし前髪を切られていたら、赤くなっているだろう頬を見られてしまっただろうから。
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